もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!

めがねあざらし

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50、夜の静脈に地図を描く

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夜はまだ深く、屋敷の空気は眠らぬまま静かに澱んでいた。
蝋燭の火だけが、僕たち四人の影を揺らしている。

リセルの姿が消えた直後の胸のざわつきは、まだ収まりきらない。
それでも、前に進まなければいけないことだけは分かっていた。

アルバートが、短く息を吐いて言った。

「……状況を整理する。敵術師は、おそらく王城内のどこかに潜んでいる。あるいは誰かの姿を借りて入り込んでいる可能性も高い」

リーゼンが頷く。

「精神系の術を扱うなら、人格の上書きや、断片的な幻覚挿入も可能でしょうね。王城を拠点にするのが最も理屈に合うかと。人が山ほどいて困りませんからねぇ」
「つまり、王城の内部に既に侵入している……てことだね」

カリナが顔をしかめながら呟く。
その声が震えているのは、恐怖ではなく、焦燥だと分かった。

「……僕らは、ここでその人を誘き出すんでしょ? イリィを餌に」

餌、という言葉にアルバートの眉がぴくりと動いた。

「言い方が悪いが……事実だな」
「まあ、餌は僕であってリセルかな」

僕は淡く笑って返した。
言葉の端に少し緊張が混じるのは、まだ胸に残る痛みのせいだろう。

「僕が動けば、必ず来る。リセルも、そう言ってた」

アルバートは息を吐き、静かに立ち上がった。
その仕草ひとつで、空気に緊張が走る。

「リーゼン。ここの防御術式の中に、侵入者を浮かび上がらせる術があったな?」
「あります」
「それが使えないか?」
「あ~……、そうですね。術式を組み替えれば、精神系の干渉主だけを拘束する罠にも転用可能です、かね」
「……それを使う。敵術師は必ず精神魔法を使って自分の周囲を固めようとするはずだ」

リーゼンは軽く顎に手を当て、考えるように目を細めた。

「……まったく、ナターシャ様には助けられてばかりですね。こんな場所、他にありませんよ。こんな分厚い結界を私用で組むなんて」

アルバートがほんのわずか口元を緩めた。

「あの人の趣味だ。昔は随分と泣かせられたが……今回はありがたく使わせてもらう」

ここにアルバートの過去がある。
こんな状況でなければ笑えたかもしれない。
けれど、胸の奥の緊張が解けることはなかった。

────そのときだ。

カリナが、僕の首元をじっと見つめた。

「……ねえイリィ。……それ、痛まないの?」

そこには、薄くなってはいるが決して消えない“術痕”があった。
メルグレイドでの精神干渉を行った痕跡。
魂に触れた術が残す、特殊な焼印のようなもの。

僕は少しだけ肩をすくめ、指を首筋に滑らせた。

「うーん……今はそれほど、かな?」

アルバートが近づき、軽く僕の手を押しのけて、指先でそっと術痕に触れた。
冷静な顔の裏で、彼の喉がわずかに鳴っているのが分かった。

「……未だに、完全には消えないのか」
「うん。でも、前よりは淡くなったよ。……たぶん、リセルが顕になったから」

リーゼンが首をかしげながら言う。

「それは……つまり?」

僕は深呼吸をひとつし、視線をカリナとアルバートへ移した。

「二人が知ってる“前の記憶”の話を、リーゼンにしておくべきなんだと思う」

アルバートが一瞬だけ目を伏せ、やがて静かに頷いた。
カリナの表情は強張り、でも逃げずに僕の言葉を待っていた。
僕は、ゆっくりと語り始めた。

僕は一度死んだこと。
その直前の“別の時間”があったこと。
アルバートとカリナだけは、そのときの記憶を持っていたこと。
そして、今日リセルが語ったように――これは何度も、何度も繰り返されているということ。

「リセルの魂は……もう欠けていて、全部には戻れない。でも僕の中に残った欠片が、僕と君たちの記憶を繋いだんだと思う」

ずっと黙っていたリーゼンが、深く息を吐いた。

「…………はぁ……本当に、規格外の方々ですね。よくまあ、平然としていられるもので」
「平然じゃないよ」

僕は苦笑した。

「でも、もう逃げることだけはしたくない。リセルのためにも……僕は、あの人と会う。じゃないと、きっと何も変わらない」

アルバートが僕を真っ直ぐ見つめた。その瞳は鋼みたいに硬いのに、優しさで濡れていた。

「……あの術師は、恐らくイライアスをリセルと重ねている。なら、強引にでも接触してくるはずだ。誘き寄せるのは容易い。……だが、絶対にお前から離れない」

カリナも拳を握りしめて言う。

「僕だって……イリィを守りたい。前みたいに泣いて終わるのは嫌なんだ」

リーゼンも、穏やかな声で。

「防御術式は私が担当します。侵入者と精神干渉反応を炙り出す罠。それが整えば……必ず、勝機はあります」

僕は三人を見渡した。

この繋がりは、きっと“今回だけ”のものだ。
でもだからこそ――リセルの望んだ結末に、必ず辿り着ける気がした。

「……ありがとう。みんながいてくれるなら、きっと大丈夫だと思う」

そう言った瞬間、
胸の奥で、あの歌の気配が微かに揺れた。

(きっと……もうすぐだ)

夜明け前の屋敷は、静かに、しかし確実に、次の鼓動を待っていた。




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