女給志乃の謎解き奇譚

有馬 千博

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6.今回限りですよ

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「どうも、志乃さん」

 喫茶店の開店時間と合わせて、時宗と道信は浪漫俱楽部を訪ねた。
 連日の訪問に驚いたのか、志乃は2人を見たまま固まっていた。隣りにいるマスターはのんびりとカップを磨いている。

「早くからすみません、マスター。志乃さんに相談したいことがあるんです」

 道信がマスターに声を掛けると、マスターはゆっくりと顔をあげた。

「他に客もいないから構わないよ。奥の席を使ってくれよ」

 マスターは特に気にすることなく3人を奥の席に案内する。時宗と道信は席に座るが、志乃はテーブルの隣に立ったままだ。

「志乃さんも座りましょうよ」

 道信が志乃に座るように勧めるが、志乃は首を横に振った。
 しかし女性を立たせたままにしているのは忍びない。ちらりと時宗は志乃を見る。志乃は特に気にした様子もなく、2人に話を振る。

「それで、相談したいこととはなんでしょうか?」

 客に向けるような声とは違い、少しだけ刺々しい。そんなことに動じずに、道信は笑顔を志乃に向ける。

「この手紙の差出人が誰か調べたいんだけど、協力してくれない?」
「私は探偵でもないんですけれど」
「君のその頭脳は向いていると思うけどな。頼むよ」

 じろりと冷たい目つきで道信を見る志乃。特に気にすることなく、道信は穏やかな表情のまま、志乃を見ている。
 店内は静寂に包まれた。
 沈黙が耐えきれず、時宗は割って入ろうとしたところで、道信がシャツのポケットから手紙を取り出した。

「差出人は不明なんだけど、女性らしい筆跡なんだよね」
「心当たりはないんでしょうか」

 志乃の問に道信は首を横に振った。胡散臭いものを見るかのような目つきで、志乃は道信を見る。

「1人か2人くらいはいるのではないんですか?」

 ははっと軽く笑う道信を更に温度が下がったような目つきで見る志乃。
 流石にこれ以上怒らせるのも悪い。
 テーブルの下で時宗は道信の足を軽く蹴る。向かいの道信はちらりと時宗を見るが、気にした様子がない。道信は砕けた調子で志乃に言う。

「そう冷たく言わないでさ」
「お引き取りください」

 志乃は冷たく言い放つと、テーブルを離れていった。道信は肩をすくめ、ポケットに手紙をしまう。

「仕方がないな。俺たちで探すか」
「初めから頼ろうとするのが間違っているんだよ」
「そうだな。今日のところは諦めて春子に会いに行ってくるよ。時宗はどうする?」
「俺はしばらくここでゆっくりする。ここのコーヒーをゆっくり飲めていないしな」
「門限までには帰るんだぞ」
「お前こそ」

 会計を済ませた道信は、さっさと喫茶店を出て行った。時宗は道信を見送ってからコーヒーを注文する。

 コーヒーを待っている間、時宗は道信への手紙について考えを巡らせていた。
 付きまといする女性というのが本当に存在するのかわからない。
 しかし、これまでの女性関係のもめ事とは何かが違うと、時宗の勘が囁く。
 運ばれてきたコーヒーを志乃がテーブルに置き、道信が出て行った先を見る。彼女の顔には少し申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。

「気にしないでください。彼はああ見えて強いですからね」
「ですが、どこか不安そうな雰囲気もありそうでしたので」

 志乃の観察力に時宗は少しだけ舌を巻いた。
 道信は口が達者で自分の思ったことも言いたい放題な性格に見られがちだが、実際のところはそうではない。
 口達者なのは、相手の理不尽な考えを撃破するだけのために使われる。それ以外には実に紳士で、純粋だ。それに気づいているのは同級生でも時宗以外にきっとごくわずかなのかもしれない。

「よく見ておられますね」
「し、失礼しました。何かあればお声掛けください」

 志乃は慌てて頭を下げてから、カウンターの中に戻って行った。時宗は気持ちを切り替えて、コーヒーを楽しむことにする。
 芳醇な香りは次第に頭をすっきりさせてくれる。この苦みにもなれてしまえば、この味の虜になるかもしれない。

「志乃ちゃん、最近困ったことがあるんだ」

 時宗がコーヒーを楽しんでいると、その声はカウンターから聞こえてきた。
 振り返ると、初老の男性がカウンター席に座って、志乃に話しかけている。和装に山高帽。着物の柄にも流行をそれとなく取り入れている。
 どこか余裕があるような男性は、カウンター席から志乃を見ている。

「黒岩様、そういったお話をされても、私にできることはありませんよ」

 志乃はコーヒーを入れながら、初老の男性――黒岩の話を聞いている。聞いたことがある名前に時宗は思わずカウンター席をちらりと見る。黒岩は手を合わせながら、志乃にお願いをしている。

「頼むから聞いてくれよ」
「今回限りですよ」

 先ほど時宗たちをあしらった時よりも幾分柔らかい返事で黒岩の話を聞き始める。時宗は面白くない気持ちを抱えながらも、黒岩の話に興味が出てきた。

 この近所で黒岩と言えば、資産家として有名だ。宗和にも見合い話が持ち込まれたこともあったと記憶している。宗一は見合いを受け入れなかったため、黒岩家の娘は宗和と見合いはしなかったが、黒岩があちこちに見合いを持ち込んでいる噂は今もある。年頃の娘をどうにかして結婚させたいか考えているようなのは誰が見ても明白だった。

「この紙が投げ込みされてだね」

 黒岩が懐から取り出したのは、くしゃくしゃと丸められた紙だった。ごみでも投げ込まれたのだろうか。

「珍しいですね、いつもお庭をきれいにされているとおっしゃっていたのに」
「そこにこのごみのようなものが入っていたのは許せなくてね。掃除をしている者に確認をしたら、どうやら掃除が終わった後の時間に外から投げ込まれているんじゃないかとちうことでね。それがここ数日続いているんだ」
「中身を見てもよろしいでしょうか?」
「志乃ちゃんならば、構わないよ」

 志乃が黒岩から紙を受け取ると、志乃がやや複雑そうな顔をした。手を触られながら紙を受け取ることに不快を感じているのかもしれない。
 それとなく手を外しながら、志乃は紙をそっと開く。

「……これは恋文、でしょうか」
「恋文! 投げ込まれた紙が恋文と言うのかね」
「ですが、この文章は恋文ですよね」

 話の内容が気になり、時宗は先ほどからコーヒーが飲み進められないでいる。その様子に気づいた志乃は時宗に笑顔でカウンター席に誘う。

「お客様、申し訳ありません。マスターが不在ですので、お代わりをご注文でしたら、カウンター席にいらしていただけませんでしょうか?」
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