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04【再会④】
しおりを挟むそれまでも『男の子』を好きになったことは、勿論ある。
相手は、学校の同級生や先輩。それがほとんど、というか百パーセント片思いの領域、『憧れ』と言う感情が占めていたとしても、やはりそれは『恋』だった。
それまでのそう言う淡い恋心。プラトニックな自己脳内完結恋愛とはまるで違う、実体を伴った恋愛。東悟との付き合いで私は始めて、『男を愛する』という意味を知ったように思う。
体の構造も考え方も全てがまるで違う異性。自分に無いものを沢山もっている『榊東悟』の存在を愛するという行為。それは、その頃の私にとって自分の一部分であり、なくてはならないものだった。でも――。
甘く。ひたすら甘い蜜月の 時間。
終わりが来ることなど考えも及ばなかった、その日々は、実にあっけなく終わりを告げた。
付き合いだしてから一年余りたったある日。大学卒業を目前にした東悟からの、一方的な別れの言葉によって――。
行方を捜そうにも携帯電話は解約され、それまで住んでいたアパートは引き払われていた。おまけに、オメデタイことに私は東悟の実家を知らなかった。大学への問い合わせは、『個人情報の保護』の高い壁に阻まれてしまい、最後の頼みの綱だった友人達からも知りたい情報は得られずに終わった。
『すまない――、もう終わりにしよう』
その一言を残して、東悟は私の目の前から、消えた。文字通り忽然と、消えてしまったのだ。
何が原因なのか。何がいけなかったのか。理由を聞きたくても、肝心の本人が居なくなってしまった。置いてけぼりにされた恋心は、時と共に風化するどころか、私の中で濃縮還元されてしまったようだ。
東悟との再会。
もしくは東悟と瓜二つの男との出会い。
そのことで、自分自身がこんなにとっちらかるなんて、私は思ってもいなかった……。
――いい年して。アンタは、中学生かっつうの……。
その視線。その表情。
その動きの一つ一つに、揺れてしまう自分の姿が滑稽に思えて、私は大きなため息を吐き出した。
「あ、ため息~。ため息をつくたびに、幸せが逃げて行くんですってよ、梓センパイ!」
自分のデスクで、本日のお仕事予定の工場での原寸検査の準備をしながら、私が思わず吐き出した特大のため息を目撃した美加ちゃんが、クスクスと笑いながら隣の席から顔を覗かせる。
原寸検査とは、工場で実寸大に書いた図面を設計士立ち会いの元、検査すること。これが終わればその型紙を元に実際に材料の切断行程に入る、大事な検査でもある。
「……そうね、美加ちゃん、気を付けるわ」
幸せか。
幸せってなんだろう。
なんてしみじみ考えてしまう、自分が少し悲しい。
「高橋さん、私もその原寸検査、立ち会わせてもらうから、よろしく」
「はい、わかりま……」
は、はいっ!?
頭上から降ってきた聞き覚えのある渋い声に、思わず硬直。
おそるおそる視線を上げると案の定、予想通りの渋い声の主、本日着任されたばかりの新課長さんの、ニコニコ営業スマイルがあった。
「か、課長も行かれるんですか?」
思わず、語尾が変な風に掠れてしまう。
「はい。一通り、仕事内容の把握をしておきたいので行きます」
ああ、なんてこったい。
これじゃ、治りきらない古傷に塩をすり込むようなものじゃないか。
私は、暗たんたる気持ちで、心の中で特大のため息を吐き出した。
※ ※ ※
「え~と、まずは駅に設計士の先生と、ゼネコンの担当監督をお迎えに行きます。そのあと、検査現場になる、車で五分ほど離れた所にある第一工場に向かいます」
準備万端。整ったところで、私は検査に向かうべく、会社の営業車の運転席にのりこみ、助手席に座る谷田部課長に、これからのメニューを説明した。
「はい、どうぞ。取りあえず、私は仕事内容を見学させて貰うだけですから、気にせずいつも通り仕事を進めてください」
って、言ってもね。
これじゃまるで『自動車仮免許取得中!』のノリだ。隣に乗っている『教官』の些細な反応にも、何かマズイ事でもやらかしたんじゃないかって、神経がビクビクと過剰反応する。
緊張しちゃうわ、これ……。
それに大体、あなたは、榊東悟なんでしょうか!?
それとも、他人のそら似!?
「はい……、分かりました」
喉まででかかった聞けるはずもない言葉を飲み込み、私は愛想笑いを浮かべて車を走らせた。
ええい、もう。こうなりゃ、腹をくくるしかない。
この人は、課長。新任の課長。それ以外の何者でもない。
今は、検査に集中、集中!
心の中でそう自分に言い聞かせながら、ちょうど赤信号で車を止めた時だった。それまで、沈黙していた谷田部課長が、おもむろに口を開いた。
「――高橋さん」
な、なんだろう、今日の検査のことで質問でもあるのかな?
それとも、他のこと? と、少しドキドキしてしまう。
やっぱり、この声で話しかけられると鼓動が早まるのは、理性が及ぶ範疇のことじゃない。ほとんど条件反射。自分では、どうしようもない。
「は、はい、なんですか?」
「――相変わらず、面白い人だね」
「はい、そうで……」
はい?
――まるで、世間話をするように。谷田部課長がサラリと放った言葉に反射的に頷きかけた私は、その意味するところに『はた』と気付き、身を強ばらせた。
この男は今、『相変わらず』と言った。つまり、以前から私を知っていると言うことだ。おまけに、続く言葉は『面白い人だね』。ってことは、成り立つ図式は一つしか思い浮かばない――。
谷田部東悟=榊東悟。
私は、隣で愉快そうにクスクス笑い出した谷田部課長に、呆然と、ハンドルを握りしめながら驚きの視線を向けた。
「あ、あ、あ……!?」
じゃ、なにか?
『すっとぼけ』だったのかーっ!?
「――八年。いや、もう九年になるかな? 久しぶりだね、 梓――」
ニッコリ。
動じるふうもなく。
谷田部課長様は、眩しいくらいの笑顔を浮かべなさった。
いや。
浮かべやがった――。
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