ワケあり上司の愛し方~運命の恋をもう一度~【完結】番外編更新中

水樹ゆう

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140【真実④】

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「……まさか」

 信じられないものを見たように、蛇親父の瞳が見開かれる。

「本命は、なのか?」
「はい、です」

 風間さんの顔に、例のチェシャ猫めいた笑みが浮かぶ。

「谷田部総次郎氏からの依頼は、あなたに関する横領と、関連企業間との贈収賄の確たる証拠を押さえること。こちらはすでに証拠を揃えて報告済みです」

「それでは、警察が来るというのは……」

「もちろん、横領と贈収賄の容疑です。――が、証拠に、この録音データを渡せば、もう一つ罪が上乗せされるでしょうけどね。どちらにせよ、あなたは、自分が犯した罪に見合った社会的制裁を受けることになるでしょう」

 浮き沈みする意識の向こう側で、いつの間にか麒麟きりん探偵と蛇親父の対決は、決着がついたみたいだ。考えてみれば、鳳凰ほうおうや龍と並ぶ神獣・麒麟きりんと、ただの蛇では勝負になるわけがないのだ。

――うん、よかった。めでたしめでたし。

 そして。
 私の意識は、完全に眠りの底へストンと落っこちた。


     ※ ※ ※


――夢を、見ていた。
 大きな、優しい手の感触が頬をなでる。

『梓……』

 低く温かい響きをもった声が、細胞の奥底までゆっくりと染み渡るような、そんな甘やかな声が私の名を呼ぶ。もうけっして、呼ばれることはない名前を。

――東悟。

 その人の名を呼ぼうと口を開くけど、喉の奥に力を込めても声が出てこない。

 どうして声が出ないんだろう?

 闇の中で、私は一人膝を抱えて丸くなる。

――理由なんかわかってる。
 呼んだらダメだと、私自身がブレーキをかけているから。

 枷を作っているのは、私だ。
 その名を呼んだときに、返ってくる反応が怖いから。

――ねぇもしも。
 もう一度その名を呼ぶことが叶うなら。

 その時、あなたはどんな表情を浮かべるのかな?

 笑ってくれる?
 それとも。

『東悟』

 闇の中、声にならない声であなたの名を呼ぶ。

「――梓?」

 返るはずのない呼びかけに、答える声。それはやけに現実味を帯びていて、私の意識は一気に夢から現実へと引き戻された。熟睡をした後のようなやけにすっきりとした目覚めの後、最初に視界を埋めたのは見覚えのない白い天井。

――あれ? ここ、どこだろう?
 ぱちりぱちりと、夢の向こう側に置いてきた記憶を呼び覚まそうと、ゆっくりと目を瞬かせる。

――確か、会社で残業していたら電話がかかってきて……。

『谷田部凌』
 課長によく似た面差しの、課長の従兄。
 ああ、そうだ。

『――実は、東悟の婚約に関して少し困った状況になっていまして。それがあなたにも関わりがあることなんですよ、高橋さん』

 そう言われて彼に呼び出されて――。

『君は、東悟との結婚を考えていないのかな?』

『ひとつ確認しておきたいんだが、九年前、東悟が泣く泣く別れた意中の彼女とは君のことだね?』

『仕事よりも大事だと思ったから、ここまで初対面の私に付いてきたんじゃないのか、君は?』

『君は――実に面白い女だな。仕事ができるキャリア・ウーマンなのかと思えば、まるで十代の少女のような素直な反応をしてみせる』

『いくら払えば、東悟とヨリを戻すと聞いている』

『百万でも一千万でも、好きな金額を書いていいんだ』

『情でも金でも動かない女を思いのままに動かす方法はいくらでもある。それを、教えてあげようと思ってね』

 リアルに脳裏を過る、男の表情とその言葉。走馬灯のように、一連の体験がフラッシュ・バックする。

 まざまざと呼び起こされる、驚きと嫌悪と恐怖。
 ゾクリと、全身が恐怖で総毛立つ。

 ソファーの隅に抑え込まれ身動きできない屈辱と恐怖。口移しで無理やり飲み込まされた、ワインと怪しげな薬。

「あ……ああっ――」

 あの瞬間、体に走った恐怖の戦慄から逃れようと、私は横たわっていた体を跳ね起こした。

 その体を、誰かがフワリと抱きとめてくれる。けっして強くはないその抱擁は、ただすっぽりと私を包み込んだ。

――とくん、とくん、とくん。

 温もりとともに伝わる規則正しい鼓動が、私を恐怖の影から遠ざける。

――とん、とん、とん。

 大きな優しい手が、労わるように小刻みに震える私の背を叩く。薄いシャツの布越しに香るのは、ほのかな煙草の匂い。

――ああ……。

 泣きたくなるような安堵感に包まれながら、私は、大きなその背にギュッと両手を回した。



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