ワケあり上司の愛し方~運命の恋をもう一度~【完結】番外編更新中

水樹ゆう

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146【真実⑩】

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 からかうでもなく、まして呆れるでもない。恐いくらいの、まっすぐで真摯な瞳が私を見つめ返す。

 それが、私にとって吉凶どちらの領域のモノなのかは分からない。でも今課長は、何か大切なことを言おうとしている。そんな気がした。

「谷田部課長?」

 不安に駆られた私が名を呼ぶと、課長は、少し苦笑気味に口の端を上げた。

「すっかり、『谷田部課長』ってのが板についてしまったな。まあ昔も、『榊先輩』ってのが、なかなか抜けなかった気がするが」
「あ、え……っと」

――名前で、呼んで欲しいのかな?

 でも、アレにはかなりの気合いと勢いが必要で、今の私には、どちらも少しばかり足りていない。それに、名前で呼ぶと、気持ちまで昔に引き戻されて錯覚しそうになる。この人が、自分の恋人だって。

 たかが名前を呼ぶだけ。だけど、それを無制限に自分に許したら、少しでもボーダーラインを下げたら、きっと『もっともっと』と欲が出てしまう。それが分かっているから、名前を呼べない。

 この人は、私の恋人だった『榊東悟』じゃなく、ただの上司の『谷田部課長』なんだから。

 幾度となく繰り返された自問に、出る答えはいつも同じ。私には、今の立ち位置から飛び出す勇気なんかない。結局、私はこの場所から一歩も出られない。それは誰のせいでもなく、自分のこだわりと弱さゆえだ。

「すみません……」

 いたたまれなくなった私は、重なり合っていた視線を自分から外してうつむいた。

「どうして、君が謝る?」
「その、今回のこともそうですが、課長には、色々とご迷惑をおかけしてしまっているので、申し訳ないなぁと」

 さっきの名前呼びの反動か、ことさら他人行儀な話し方になってしまう。チラリと伺い見れば、課長は、小さな溜息を一つ落とした所だった。

「迷惑だとは思ってない。ただ、今回の事だけは、正直、会ったら『どうしてこんな危険なことやったんだ』と、怒鳴りつけてやろうとは、思っていた」

 怒気がにじむような、若干、低くなった声音にギクリとして思わず視線を上げれば、声とは裏腹な楽しげな瞳が私を捉える。口元に浮かぶのは、微笑。

「は……はい。反省してます、すみません!」

 私が複雑な気持ちで再びうつむけば、頭上から、追い打ちをかけるようにクスクス笑いが降り注いでくる。

――ううっ。やっぱり、遊ばれてる。
 課長の、いじめっ子!

『額で熱を測って攻撃』もそうだけど、なんか、大人な上司の仮面が外れかけてやしませんか?

「六回目」
「……は?」

――何が、六回目?

 私の顔がよほど間抜けだったのだろう。課長は、こらえきれないように、『プッ』とふきだした。のまま、目に涙を浮かべて、苦しそうに笑っている。さすがの私も、少しばかりむっとして問いただした。

「なんですか? 何が六回目なんですか?」
「君が目覚めてから、『すみません』って、頭を下げた回数」
「はい?」

――なんだって?
 自分だってかなり挙動不審だったくせに、私の謝罪回数を数えるなんて、そんな余裕をかましていたのかこの人は。

「そういえば、昔、大学の構内で初めて会った時も、そうだったな」
「そ、そうでしたっけ? 気のせいですよ?」

 気のせいじゃなく、まさにその通り。忘れもしない。あれは、六月に入ったばかりの雨上がりの大学の構内。水たまりですっ転んでいい年をして半べそをかいていた私に、救いの手を差しのべてくれた奇特な先輩。

『すみません』と、コメツキバッタのようにペコペコ頭を下げる私に、彼は言ったのだ。『すみません』じゃなくて、『ありがとう』だろうと。

「ほんと、君は、相変わらず――」
「おバカで間抜けで要領悪い奴です、はい」

 私は課長のセリフを横取りして、大きなため息をついた。

 そう。
 昔、よく言われたっけ。
 見事に成長していないんだわ、私って女は。

「……いや、そうじゃない」

 課長は、少し遠くを見るように目をすがめて、微かに口の端を上げた。

「……え?」

 その声と表情に内包されているものを感じて、ドキンと、鼓動が一際大きな音を上げる。


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