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155【真実⑲】
しおりを挟むあはははと、笑顔を浮かべようとするけど、なかなかうまくいかない。
「俺の方こそ、ごめん……」
囁くようにいって、課長はまだ濡れている私の頬を両手で包み込み、顔を上向かせる。まっすぐ注がれる眼差しはとても優しくて、胸の奥がざわざわと波立っていく。
「たぶん、泣かせてしまうだろうって、分かってた」
親指の腹で涙の伝った後をそっとなぞりながら、課長は優しい囁きを落とす。
「でも、どうしても会わせたかった……」
――大切な人に会わせたかった、と。
そんなふうに思ってもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。素直に、そう思う。
「私で良かったら、いつでも会いに来ますから。あ、でも、あまり騒がしいのも、ダメですよね?」
頬が、熱い。
大きな手のひらで、すっぽり包み込まれている両頬に帯びる熱に耐え切れずに、思わず身を引こうとするけど、どうにも動きが取れない。そんな私の内心を知ってか知らずか、課長の囁きは微妙に近くなる。
「頻繁に話しかけたりして刺激を与えるのは、意識回復に有効な方法らしい。本の音読とか好きだった歌を聞かせるとか、色々試してはいるんだ」
「そう……なんですか」
意識回復に有効な方法はよく理解したけど、分からないのはこの状況だ。両頬を両手で掴まれて上向かされて、至近距離で視線が外せない。更に顔が近づき、ピキリと全身の動きが止まる。
――か、課長、なにするんですかっ!?
ここ、お母さんの病室ですよっ!
いくらなんでも、不謹慎――
「――止まったな」
笑いを含んだその一言で、忙しなく回っていた私の思考も止まった。
「は……い?」
何が、止まったって?
「鼻水と涙。こっちを止めるにも、刺激を与えるのは有効な方法みたいだな」
「鼻……水と、涙って」
――優先順位が高いの、鼻水ですか?
そりゃあ、見ていてアレなのは鼻水でしょうけど。
せめて、涙の方にしてください……。
「荷物も持ったことだし、帰るとするか」
「……そうですね」
私をお母さんに会わせるための方便かと思ったら、本当に病室に忘れ物をしていたらしい。着替えやタオル類が入っているという大ぶりのスポーツ・バックを二つ手に持つと、課長は、私の顔を覗き込んだ。
「なんだ? 元気がないな。やっぱり入院していくか?」
あきらかにからかい交じりの声音に、いったい誰のせいだと心の中で一人ごちる。
あれは私の反応を見越した上でやっている。
ぜったい確信犯――に違いない。
昔っから、そうだ。
人をからかっては、その反応を見て楽しんでいる。
――課長、そのメンタリティー、小学生並じゃありませんか? と、言ってやりたいところだけど、さすがに場所柄をはばかった。
「別に、普通です。入院は必要ありませんから、ご心配なく」
答える声が少しぶっきらぼうになってしまったのは、仕方がないと思う。だって優先順位=鼻水ですから。どうせ、鼻水をせき止めて綺麗な涙だけ単体で出すような、あんびりーばぼーな真似はできません、私。
おかげさまで、どっと力が抜けました。ついでに、胸のドキドキもすっ飛びました。
――近づいたと思ったら、急に遠くなる。
くっ付く瞬間に片方が裏返り、突然反発しあう磁石みたいだ。
強引に引き寄せられたあげくに力技でひっくり返されるのは、いつも私の方のような気がする。
一度くらい、返り討ちにしてやりたい。
と、危ない思考がチラリと顔を出して、すぐさま引っ込んだ。
慣れないことはするものじゃない。それは今日、嫌というほど身に染みたばかりだ。
「あ、荷物一つ、持ちますよ?」
両手が塞がっていたのでは不便だろうと右手を差し出すと、一瞬微妙な間が空いた。
でもすぐに、「それじゃ、よろしく」と、小さい方のバックを渡されたので受け取り持ち手を左肩にかけ、ハンドバックを左手から右にバトンタッチしたところで、ひょいっと課長に取り上げられてしまった。
「え?」
「これは、俺が持つから」
なんで?
と、反応する暇もなく、空いた私の右手は課長の左手にがっしりと掴まれる。否、繋がれた。
――は……い?
そのまま、一歩、二歩。
手を引かれて歩き出しても、イマイチこの状況が飲み込めない。
――手。
手が、繋がっているんですけど……。
繋がれて、触れた場所ぜんぶが心臓化したみたいに、ドクドクと拍動を始める。
――う、えええっ!?
ちょっと、待って。
これは、どういう状況ですか!?
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