ワケあり上司の愛し方~運命の恋をもう一度~【完結】番外編更新中

水樹ゆう

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161【真実㉕】

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 そうしているうちにエレベーターは到着し、重い音を響かせて扉が開いた。

「ほら、乗った乗った」
「……」

 妙に明るい声で言う課長に促され、エレベーターに乗りこむ。

 自室があるのは、3階。ボタンを押そうと伸ばした私の指先が、課長の指先と見事にバッティング。

「あっ」

 意図せず触れた指先の少しひんやりとしした感触に、思わずビクリと手をひっこめる。

「すみませんっ」

 もちろん、嫌だったからじゃない。
 病院で手を繋いで歩いたときの感触と胸のドキドキが、一気に脳内を駆け巡ったからだ。課長がどんな表情をしているのかなんて、確かめている余裕なんかまったくない。

――どうしてこんな些細なことで、こうもたやすく暴走し始めるんだこの心臓は。

 チンと、静まり返った空間に、到着を知らせるベルの音が高らかに鳴り響く。

――今日は、やたらと聞いている気がするなぁ、この到着音。これってけっこう耳に付くから、帰宅が深夜になるこういう時には少し困る。というか、ご近所さんに迷惑かけたりしないか、すごく気が引ける。

 前回は、一か月半前。美加ちゃんの事件の時だった。その前は、課長の歓迎会の夜。

――たびたび深夜のご迷惑、本当にすみません……。

 思考が変な方に逃げるのは、心臓の暴走を止めるため。それと、すぐ隣にある課長の気配を意識しすぎないようにするため。

 今日の私は、自分でも分かるくらいに感情の振り幅が大きい。また頭に血が上って、挙動不審になりそうでちょっと怖い。胸の高鳴りとほんの少しの恐怖心。そして生まれる、妙な焦燥感。

 ごちゃまぜになった複雑怪奇な感情を持て余しながら、課長と二人肩を並べて無言で歩く。
 エレベーターを降りてからのほんの短い距離を、ひたすら歩き、部屋の前まで着いた私は、ハンドバックから鍵を取り出し黙々とドアを開ける。

 カチャリと、キーロックの外れる音が本日終了の合図。
 ドアを開ければ、そこは、懐かしの我が家。

――ああ、これで、終わり。
 そんな悲しみにも似た焦りが、心の中でむくむくと膨らんでいく。

「ありがとうございました……」

 私は、課長の顔を見ることができずに、部屋を背にして頭を深々と下げた。

「今夜はゆっくり眠って、明日は会社を休むこと。出てきても仕事はさせないから、ぜったい部屋で安静にしているように。これは上司命令な」
「う、あ、……はい。わかりました」

 チラリと視線を上げれば、笑いを消した真面目腐った表情の課長の顔がすぐそこに。視線がばっりち捕まり、外せない。

 実は内心、『会社に行って仕事をした方が気がまぎれるー』とか、『会社に行っちゃえば、まさか帰れとは言われないよねー』とか、ひそかに出社を目論んでいた私は、ズバリとピンポイントで釘を刺されて、うろたえ気味に相槌をうつ。

――す、鋭い課長。

「それと――」

 ためらうように、途切れた言葉。視線を外すことも動くこともできずに、私は言葉の続きを待った。でも、課長は沈黙したまま、すうっと目を細める。

 捉えられたままの視線が熱を帯び、ドクンと、また鼓動が変なふうに跳ねまわる。

 な、な、なんだろう?

 何を言われるのか想像できない私は、動揺しまくった。

「……」
「課長?」

 沈黙に耐え切れなくなった私がおずおずと口を開けば、課長は、ふっと視線を和らげる。

 それは、いつもの柔らかい優しい笑顔。
 なのに、そこに内包されている『何か』が、私の心の奥をかき乱す。

「……いや。なんでもない。それだけだ」

――何を、言おうとしたの?
――何を、言えなかったの?

 笑顔の下に隠されてしまった、言葉の続きが知りたい。
 私を、どんなふうに思っているのか。
 課長の、本当の気持ちが知りたい。
 私の気持ちを、伝えたい。

 そう切望する一方で、諦めてしまっている自分がいた。

――知ったところで、どうなるの?
――伝えたところで、どうなるの?

課長には、お義父さんが決めた婚約者候補がいるのに。
私の想いはきっと、課長の負担にしかならないのに。

 波立つ感情を戒めるように、理性の欠片がチクリチクリと鋭い棘を突き刺していく。でも、その痛みを簡単に押し流してしまうような激しい感情の大波が、心の中で渦を巻く。

「ゆっくり、休んでくれ」

 淋しげな笑顔が、闇に溶ける優しい声が。

「それじゃ……な」

 ゆっくりと向けられた背中が、私の理性の残滓をきれいさっぱり吹き飛ばした。

「課長!」


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