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第1章 人生最悪の一日の終わりに、おいしいマフィンを
03 逃れられない現実②
しおりを挟むつぶらな瞳は、本当に何でも知っているように見える。
『そうよ。元気をださなきゃよ!』
亀子さんが、そうエールを送っているかは定かではないけれど、とにもかくにも私は、こんがりと狐色に焼けた朝食のトーストーを、大きな口をあけて『サクッ』と食んだ。
今の美大に入ったのは、絵本作家になりたかったから。それは、大好きだった母の影響だ。
幼いころから寝る前にはいつも、絵本を読み聞かせてくれた、母。絵を描くのが好きだった母は、よく自分で画用紙に描いた手作りの絵本を読んでくれた。
シンデレラや人魚姫、それに白雪姫。色々な童話がミックスされたような奇想天外な物語に、寝るのも忘れて聞き入ったものだ。注がれる優しい眼差しと心に染み入る温かいお日様のような母の声に包まれて、眠りに落ちるあの瞬間が、どんなに心地好かったか。
母が亡くなった今も、その思い出はたくさんの物語と共に、今もなお色褪せることなく私の心の一番柔らかな場所で息づいている。そうして私は、ごく自然に、『絵本作家になりたい』と思うようになっていた。
『お母さん、私、大きくなったら絵本を作る人になるの! そして、お母さんに、たくさんたくさん、絵本を読んでもらうの!』
あれは小学一年生の時だったか、学校で将来の夢についての作文を書いてきた私が、家に戻るなり勢い込んでそう言うと母は、『それは素敵な夢だね。叶うといいね』と、とても嬉しそうに笑ってくれたものだ。
その夢に、一歩一歩近づいているはず、だったのに。
「お母さん……」
亀子さんの水槽の隣。サイドボードの上で微笑む母の写真を見詰めながら、ぽつりと呟く。
その母の笑顔は、昔と何も変わらない。変わったのは、そう、私たちだ。
「私……、大学、続けられそうにないよ」
美大を卒業すること、イコール、絵本作家への唯一の道ではないのは、分かっている。
それでも、せっかく積み上げてきたモノがなくなってしまうような気がして、我知らず、弱気が口をついてポロリと零れ出す。
『言霊』とでもいうのだろうか、言葉にしてしまうと、いよいよそれが現実味を帯びてくるような気がするから不思議だ。ふいに、鼻の奥に熱いものがツンとこみ上げてきて、唇を噛んだ。
――悲しいんじゃない。悔しいんだ。
父の会社が倒産したことじゃなく、何もできない自分のふがいなさが、悔しい。
――何も、できない?
本当に、何もできないの?
私は、自分の心に問いかける。
――ううん。
私にも、出来ることはある。
お金が無いなら、働けばいい。
『そうだよ! 私にだって、できる仕事が、あるはずだよ!』
私の中の、ポジティブ担当『白天使茉莉』が、白い羽根をはばたかせて、ガッツポーズを作る。
その傍らで、『無理無理~。大学中退目前の、なんのスキルもない女の子を雇ってくれる奇特な会社なんか、ナイナイー。やるだけ無駄無駄!』
ネガティブ担当『黒悪魔茉莉』が、ウケケケと尖った尻尾を振り回す。
私は、そんな妄想を消し去るように、ぶるぶると頭を振った。
――私は、ダンプカー一台から、県下一の運送会社を作った篠原徳太郎の娘だ。
――よし! 仕事だ!
仕事を見つけるんだ、茉莉!
ここが、根性の見せどころよっ!
亀子さんが見守る、ダイニングキッチンで。やる気モード全開の私は、右手で『ぐっ』と握り拳を作り、天に高々と突き上げた。
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