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幕 間 社長・不動祐一郎の独り言 (1)
44 ほのかな甘い香りと既視感
しおりを挟む「私、けっこう得意なんですよ。えっと、給湯室は……」
きょろきょろと視線をさまよわせている茉莉に、俺は部屋の右奥のドアを指さし、給湯室の場所を教える。
「あの角だ……」
茉莉は、仕事の疲れも忘れたように、いそいそと給湯室へ歩いていく。
――なぜいきなり機嫌が良くなったんだ?
二十歳の女の子の思考回路は、つくづく解せない。ともかく、コーヒーを入れてくれるというのだから、ありがたく入れてもらおう。
それじゃ、待っている間に仕事をかたずけてしまおうとノートパソコンの画面に視線を落とせば、何やら給湯室の方で「パタン、パタン」と、ドアを開け閉めする音が響いてくる。
そういえば、コーヒーはスティックタイプのものしかなかった気がする。冷蔵庫に入れてある缶コーヒーでじゅうぶんだ。そう伝えようと給湯室を覗いたら、茉莉はつま先立ちでキッチンの吊戸棚に手を伸ばしているところだった。
だが、悲しいかなどう見ても、身長が足らない。苦笑しつつ室内に足を進めようとしたときに、何を思ったのか茉莉はつま先立ちしたまま「ぴょん!」と小さくジャンプした。
「っくっ……ううっ、どどかない」
それでも、吊戸棚の取っ手にどうにかかすった程度。
やれやれ。と、小さくため息をつきつつ近づいていくが、扉を開けることに夢中な茉莉は気づかない。
そして。
「もうちょっと!」
もう一度、今度は一歩右足を引いて弾みをつけて、飛び上がる。伸ばした手が取っ手に触れた瞬間、すかさず掴んで手前に引いた――のがいけなかった。
確かに、扉は開いた。だが、思いの外反動の付いた茉莉の体は、グラリと後ろに傾いでしまった。このままこの狭い通路で後ろに倒れこんだら、茉莉の後頭部を待っているのは壁面収納の木製の扉。
あの勢いでまともにぶつかったら、ただじゃすまない!
もうほとんど脊髄反射で床をけり、両手を伸ばす。抱き寄せるというよりは、壁面収納と茉莉の間に体を滑り込ませて、クッションがわりになったという方が正確だ。
重力にひかれるまま、後ろに自由落下してきた茉莉の華奢な体をナイスキャッチで両腕に抱え込み、そのままドスンと尻もちをつく。
ま、間に合った。
どうにか、間に合ったぞ。
ここで茉莉にケガなんかさせたら、篠原の親父さんに顔向けができない。
心の中でホッと安堵する俺の気持ちなど知らずに、茉莉は無言で身体をこわばらせて目をギュッっとつむりこんでいる。
もうほんと、寿命が縮むからやめてくれ。
「……何をやってるんだ、君は」
「ふ……えっ!?」
重低音の声で茉莉の頭上からぼそりと呟きを落とせば、茉莉はさらに全身ピキリと見事に固まった。
「社、社長!?」
俺をクッションがわりに尻に敷いている状況をやっと理解したのか、泡をくった茉莉は振り向きざま、勢いよく立ち上がろうとする。
その刹那、俺は、グイッと強い力で茉莉を引き戻した。反動で、茉莉は顔から『バフン』と俺の胸元にダイビング。フワリと柔らかな髪が俺の顔をかすめ、おそらくシャンプーのものだろう、ほのかな甘い花の香りが鼻腔をくすぐった。
瞬間、俺の脳裏によぎった既視感。
この華奢な感触と、ほのかな甘い香りは確か――
なおも腕の中でワタワタと身じろぎをする茉莉を、なだめるように少し腕に力を込めて抱きしめ、ため息交じりに言う。
「いいから少し落ち着け。その勢いで立ったら、今度は天板に腰を打ち付けるぞ?」
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