オ・ト・ナの、お仕事♪~俺様御曹司社長の甘い溺愛~【完結】

水樹ゆう

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第4章 ファーストキスは助手席で

70 走り出す気持ち①

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「いらっしゃいませ、祐一郎様」

 私たちが部屋に足を踏み入れたとほぼ同時に姿を見せたのは、ホテルの制服を身にまとった穏やかな雰囲気を持った年配の男性で、人好きのする笑顔を浮かべて、ニコニコと挨拶をしてきた。左胸に付けられた白いネームプレートには、『総支配人』の文字が書かれている。

 総支配人自らが挨拶に訪れたこともさることながら、苗字ではなく、下の名前を呼ばれたことに、ふと走る違和感。一方、呼ばれた社長の方は、とくにそんなことは気にしている様子もない。

「今日は、よろしく頼む。不備のないようにな」
「はい、万事承知しておりますので、ご心配なさらずにお任せ下さい。奥様も、間もなくお見えになるでしょうから、お二人とも席に付いてお待ちください」

――え?

 だだっ広い部屋の中を興味津々で見まわしながら二人の会話を聞くともなしに聞いていた私は、総支配人さんが言ったあるワードに、ぎょっと身を固めた。

 身体は動かないのに身の内にある心臓だけが急に熱心に仕事をし始めて、ドキドキと早まる鼓動を感じながら、私はノロノロと考えを巡らせる。

『奥様』と、総支配人さんは言った。
 一般的に、既婚者の女性を指す言葉だけど、問題はそれが『誰の奥様』なのかだ。

――まさか。
 まさか、『社長の奥様』とかじゃないよね?

 自分の考えに、ドキリと、心臓の音が一際大きく跳ね上がる。

――それはないよ。

 相手は大株主だって、大事なお客様との接待の食事だって、社長はそう言ってたもの。

 そう。これは、あくまで『ビジネス』であって、プライベートじゃない。もしも、接待の相手が社長自身の奥さんなら、こんな回りくどいことしなくてもいいはず。

 でももしかしたら、セレブにはセレブの、私には分からない独特のルールなり慣習があるのかもしれない。夫婦間でも、接待で食事とかも、あり得るのかも。

 この胸の中でむくむくと急速に膨らんでいくのは、不安と焦り。
 そして――悲しみ?

 なんで?

 確かに、社長が、大好きだった『祐兄ちゃん』だったことは嬉しかったけど。

 二足のわらじ宣言をした私を雇ってくれたことも、感謝しているけど。

 いつも遅くまで仕事をして、すごいなぁとも思うけど。

『社長に奥さんが居るかもしれない』。

 それは、ただの可能性にしかすぎないのに、どうして、こんなにも心が乱れるの?

「おい、どうした?」
「えっ!?」

 グルグルと思考の渦に落ち込んでいた私は、社長の呼び声に、飛び上がらんばかりに驚いた。驚いた拍子に、足がたたらを踏む。

 慣れないハイヒールを履いていた足は見事にバランスを崩し、全体重がかかった右足首が『ギクッ』と嫌な音を上げる。瞬間、足首から脳天に鋭い痛みが突き抜けた。

「っつ……」
「おい、大丈夫か!?」

 耳元で聞こえる心配げな社長の声に、私は、どうして転倒を免れたのかを知った。スッ転ぶ寸前に、社長が支えてくれたからだ。

「足を傷めたのか?」
「え、ああ、平気です。ちょっとひねっただけなんで、大丈夫です」
「いいから、まずは座れ」

 社長は、私の膝の裏と背中に腕を回すと、ひょいとこともなげに抱き上げて椅子まで連れて行って、そっとイスに座らせてくれた。

 ふだんなら赤面物のシチュエーションだけど、混乱と足首の痛みで顔を赤らめている暇はない。それでもイスに座ったことで少しだけホッとしたのもつかの間。

 片膝を床についた社長に足首をつかみあげられて、またまた脳天に突き抜けた痛みに、思わず小さな悲鳴を飲み込んだ。


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