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第4章 ファーストキスは助手席で
71 走り出す気持ち②
しおりを挟む「骨折はしていないようだな。捻挫か……」
ハイヒールでこけただけで骨折したら、さすがの私もヘコミます。それよりも、いきなり足を掴みあげられたものだから、ワンピースの裾が限界までまくれ上がって、かなりきわどい状態になっている。
これはさすがに恥ずかしい。
私は、まくれ上がった裾をギュッと引っ張り下ろし、どうにか声をしぼりだす。
「だ、大丈夫です。本っ当に、大丈夫ですからっ!」
「ちょっと待っていろ、今、医者を呼んでくる――」
そう言って社長が立ちあがろうとしたのと、凛とした声が響いてきたのは、ほぼ同時だった。
「祐一郎さん、もういらしていたのね」
入り口から、微笑みをたたえ優雅な足取りで歩み寄ってきたのは、中肉中背の年配の女性。
なにがしかのブランドものだろう、ぜったい既製品ではありえない、身体のラインにフィットした、ライト・ブラウンのアンサンブルを身に纏っている。
身に着けている、指輪、ネックレス、イヤリングはどれも自己主張をしすぎない上品なデザイン。でもそれぞれが放っている煌びやかな光は、使われている宝石がイミテーションではなく本物だと物語っている。いったいどれくらいの値段がするのか、皆目見当がつかない。
本物の宝石を身に着けていてもぜんぜん違和感がない。一目で、セレブと分かる人種だ。
椅子に座る私と片膝をついた社長。私たち二人の姿にその人は、少し驚いたように目を見はって言った。
「あら、何かトラブルでもあったの?」
「すみません。連れが、足を痛めてしまったようで……」
恐縮したように、社長は言う。
「まあ、それはいけないわね。大丈夫、あなた?」
「あ、はい大丈夫です」
初対面のご挨拶をする前に、心配されてしまった。大切な接待の場を私のドジのせいで台無しにはできない。私は慌てて、社長に小声で訴える。
「大丈夫ですから。もうぜんぜん痛くないですから」
ちらりと私の顔を見た社長は、総支配人さんを手招きした。
「すまないが、この人を医務室に連れて行って、薫に診てもらってくれないか」
――えっ?
今、『かおる』って言った?
鼓膜を通り過ぎて行った言葉の中に、妙に聞き覚えのある名前を聞いた気がして、私は眉根を寄せる。
「右足首を捻挫したようだ」
「承知いたしました、お伝えします」
『さあ、こちらへどうぞ』と、総支配人さんに逆らい難い満面の笑顔で手を差し出された私は、この場に留まることを断念するしかなかった。実を言えば、右足首が、かなりズキズキと痛み出していたのだ。
総支配人さんに肩を貸してもらいながら、ひょっこり、ひょっこり、右足を庇いつつどうにか歩く。
履きなれない靴は、足を傷める。どんなに着飾って外見を綺麗にしても、中身が釣り合っていない。私は、シンデレラには程遠い。そんな軽い自己嫌悪を感じて、小さな溜息がもれた。
「だいぶ痛みますか?」
「あ、いいえ。大丈夫です。あの……」
「はい?」
「社長が言ってた、『薫』さんって、お医者様の磯部薫さんのことですよね?」
「はい、そうです。薫様のことを、ご存知なのですね」
――薫、『様』?
お医者さんとはいえ、自分のホテルの勤務医に対して、『様付け』。総支配人さんって、名前を呼ぶときみんな様付けなんだろうか?
少し、腑に落ちないものを感じた。
「はい。以前、こちらのマフィンをご馳走になったことがあって……」
「そうでしたか」
不意に、記憶のあちらこちらに散らばった点と点が繋がって、やっと、一つの像が綺麗に浮かび上がり、驚いた私は足を止めた。
「あっ!」
「どうかされましたか?」
「あ、いいえなんでもないです」
――私は、バカだ。
なんで、今まで気付かなかったんだろう。
あの時。
一か月半前のホテルロイヤルのエレベーターの中で、私は社長に会っている。
偶然乗り合わせたエレベーターの中で、まるで外国の恋愛映画のような濃厚なキスシーンを繰り広げてくれた、破廉恥カップル。
あの美しい女性が、ここの勤務医の磯部薫さん。そして、エレベーターの鏡越し、私の視線に気付き、むかっ腹の立つ笑いを向けてきたあの男、あれは。
あの人が、薫さんの恋人の『朴念仁』さんで、その名前は、『ユウイチロウ』。
イコール、不動祐一郎。つまりは、私の雇主の社長様だ。そう理解したときに体中を走り抜けた衝撃を、なんと呼べばいいのだろう。
――なぁんだ。そうなんだ。
あの、綺麗で優しい女医さんが、社長の彼女――。
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