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灰色の仕事場と天使とsomeone。
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「…ヒェ、すっかり寒みぃ──。」
居酒屋のバイトを上がると、街はもうすっかり真夜中だった。午前零時半、これでも今日は俺の方が早く上がって、ユキヒトさんが帰ってくるのはまだ少し先のことだろう。
雑居ビル一階にある、お世辞にも小綺麗とは言えないBAR『美ヲFe瑠Miん』が、ユキヒトさんの職場だ。身分証明証も印鑑もないユキヒトさんを日当で雇ってくれた上、あれこれ世話を焼いてくれる店長の春香さん(※ゴリッゴリのマッチョ)は、閉店後に時々料理を教えてくれたり、賄いのご飯を出してくれたりするらしい。
果たして、ユキヒトさんがどんな風に働いているのか、俺は少しだけ気になってしまった。とはいえ、今から向かったところでユキヒトさんに会える保証はなく、クローズの看板がかかったドアを開けてまで踏み込む勇気はまったくない。
「──ま、帰ってもすることないしね。」
外出時はいつも着けている黒いマスクの下で独り言を放ち、何となく、気の向くままに、大通りから一本入ったところにある雑居ビル群の合間を縫って歩き始める。
外はすっかり冬、しかも平日で、通りを歩く酔っ払いの数は少ない。終電間際のこの時間は、二次会も終わってしっぽりと飲みたいか、あるいはオールしたいかのどちらかの客しかいないのだ。
ネオンも歯抜けのように落ち、灰色になった街中を、俺は真っ直ぐに大股で歩く。
別に、会えなくたっていい。むしろ、都合よく会える確率のほうが低い。でも、俺は不思議といい方の予感を覚えていた。
果たして、目指す雑居ビルの前で、外に出していた店の看板をしまおうとしている長身の姿を見つける。灰色の髪に灰色の瞳、そしてカッチリしたピンストライプのスーツに身を包んだ彼は、どういう訳か、灰色で統一された街の中で光でも放っているかのように、その周囲だけが明るく、眩しく見える。
ユキヒトさんは、近付いてくる俺にすぐに気が付いたようだった。
「ハルトくん──。どうして、ここに?」
「んー、理由としては、ヒマだったから?」
ことりと首を傾げる俺を軽く見下ろして、ユキヒトさんは軽い驚きの表情を浮かべてまばたきをしている。
と、BARの扉が内側から開き、超イカつい半袖金髪のマッチョがぬっと顔を出した。このゴタゴタしたBARの店長、自称春香さんである。
「ユキちゃん、それしまい終わったら上がりでいいわ…アラ。」
俺の存在に気づいた春香さんは、イカつい片眉を跳ね上げる。ただでさえ迫力の塊みたいなビジュアルの人に見下され、俺は咄嗟に被っていたキャップの前を深く引き下ろし、コミュ障人見知りを存分に発揮してしまった。
「その子、アンタの同居人よね。なぁに?約束でもしてたワケ?なら、もうちょっと早く上げても良かったんだから、先に言いなさいよぉ…。」
「や!ち、違うんです!…その、ただ、通り掛かっただけっていうか…」
俺は、完全にしどろもどろになっていた。
だって、俺の仕事場とこのBARは、マンションを挟んで正反対の方角なのだ。
突然ユキヒトさんの仕事姿を見たくなった、なんていう理由を素直に言えるはずもなく、会話を繫げるスキルもなく、俺はただひたすらに気まずさを味わう。
そんな俺を一瞥し、春香さんは、人差し指の先を折り曲げてチョイチョイと手招きしてくる。
「入んな、小僧。そんなところに突っ立ってたら風邪引くわよ。」
「え、あ、ハイ──。」
いいのかな?と無言で見上げたユキヒトさんは、優しげな目を細めてうんうんと頷いている。
だから、俺はおずおずと、お邪魔しますの挨拶と一緒に薄暗い店内に足を踏み入れた。
『美ヲFe瑠Miん』は本当に小さなBARで、四人掛けボックス席が三つ、カウンターが5席で、店内には統一感があまりないポスターやインテリアが所狭しと飾られている。
春香さんに促されるままに、閉店したBARのカウンターに座る俺は圧倒的に場馴れしていない。ユキヒトさんが看板を片付けて戻ってくるまでの一分足らずの時間が、まるで無限のように感じられる。あーこの無言ツライわ、とスマホをいじり始める俺をよそに、春香さんは奥のキッチンの方へ引っ込んでしまった。
「…ふぅ。これで閉店作業は終わり、ハルトくんも、お疲れ様だね。」
「あぁ、うん…。いきなり、なんかごめん──。」
「いいんだよ、気にしなくても。店長がそう言う時には、甘えていいんだ。」
俺の横のスツールを引いて腰掛けるユキヒトさん。薄暗がりで眺めても、やっぱりすごく顔がいい。ここのバーテンダーだと紹介しても違和感がないほどには、彼はこの空間にすっかり馴染んでいた。
不意に、キッチンから春香さんの巨体が姿を表す。手にした丼を二つ、カウンターの上にドンと乗せてきた。
「今日の賄い飯よ。折角なんだから小僧も食って行きな。」
「エッ…、あ、俺も…いいんです──か…?」
「アタシがいいって言ってんだから、いいのよ。遠慮とかそういうの、いらないからね。」
湯気の立つ豚肉やモヤシやニラの炒め物が、豪快にご飯の上に盛られている。醤油とニンニクのいい匂いが鼻をくすぐり、晩飯前の胃がキュッと鳴った。
「いただきます!」
割り箸をパチンと割って、いかにも育ち盛りの男子向けな丼を掻き込んだ。柔らかく炊けた熱々のご飯に絡む醤油ダレと肉の甘味で、いくらでも白飯がいけそうだ。
俺の隣で、もくもくと上品に同じ料理を頬張るユキヒトさんも、春香さんの賄い飯を味わいながら幸福そうに目を細めている。当の春香さんはといえば、カウンターの向こうで電子タバコを吸いながら、晩飯を楽しむ俺達二人をどこか楽しそうに見つめているのだ。
「どお?ウチの賄いは美味いって評判なのよ。」
「あ、はい…!すげぇおいしい…です…。」
それは素直に、空きっ腹の男子には最高のディナーだった。俺の返答に満足したのか、ガラスのコップを手に取った春香さんは、不意に俺の顔を覗き込んでくる。
「小僧。──陽翔っていうのよね?アンタ、歳はいくつよ。」
「…え、十九歳…ですけど。」
俺の返答に、春香さんは盛大に眉を顰めて溜め息を吐く。
「…アンタ、二十歳になるまでウチじゃ酒は一滴も飲ませないわよ。仕事上がりのビールは最高だけど、ウーロン茶で我慢しな。」
「えっ…。でもハルトくん、家では普通に…。」
「──あー、まあ、この辺のコンビニじゃ年齢確認なんてしないから、さ…。」
ユキヒトさんの曇る顔を横目で眺め、たはは、とわざとらしく笑う俺。眼の前に、ウーロン茶のグラスを叩きつけるように置きながら、春香さんはフンッと鼻を鳴らす。
「プライベートな家でどんな悪さをしようが、アタシには関係ないわ。だって、アタシだってガキの頃から飲んでたもの。だけど、未成年に酒出したなんて知られたら大問題よ?ウチがお上にシメられんのよ。大人のユキちゃんだって責められるんだから、ユキちゃんも自覚すること。いいわね?」
「はい、店長。──そうか、そういえばハルトくんは未成年だったよね…。ぼく、すっかり忘れてた。だって出会ったその日から……」
「いやご馳走様でした美味しかったです!二十歳になったらお酒出して下さい!」
同居に至る設定のことを忘れ、うっかり口を滑らせ掛けている天使の言葉を遮るように、大声を出して両手を合わせた。カウンターの下でユキヒトさんの足をちょいちょいとつついて発言を止め、コップ一杯のウーロン茶をごくごくと飲み干す。
そんな俺を眺め、春香さんの頬がふっと緩んだ。
「そうね、ハタチになったら浴びるくらい飲ませてやるわ。だって、酒は何度か失敗しなきゃ覚えないもん。アンタがユキちゃん連れてきてくれたお陰で、ウチはちょっとした大繁盛。ユキちゃんサボらないし聞き上手だから、悩みを聞いてほしい女のコのお客も増えたし…そこはアンタに感謝してんのよ。」
ユキヒトさんより背が高い金髪ベリショゴリマッチョのくせに、春香さんは見かけによらず優しくて情け深いのだろう。電子タバコの水蒸気を燻らせ、ゆっくりと食事を噛み締めているユキヒトさんを親のような眼差しで見詰めている。
「そういえば──俺、名前言いましたっけ…?」
「ユキちゃんが毎日のようにアンタのことを話すから、覚えちゃったわ。陽翔、アンタずいぶん愛されてるわね…。」
途端に、ウーロン茶が喉の変なところに入って、俺は盛大に噎せた。ゲホゲホと咳き込む俺を心配そうに見つめる灰色の瞳に、邪気や他意は一切ない。
いや、ないからこそ逆にタチが悪いのだ。
「だって、ハルトくんは僕に色々良くしてくれるから…。お返し、しなきゃいけないだろう?」
「──や、いつも気にしないでいいって言ってんじゃん。」
「それでも、だよ。」
俺達のわちゃわちゃしたやり取りをカウンターの向こうで眺め、春香さんは、妙にスッキリと満足げな笑顔を浮かべていた。
「あーあ、若いっていいわねぇ…。誰が誰を好きになろうが関係ないわ。お互いに気持ちがあるなら、常識やモラルなんてクソ喰らえ、よ。──ま、いいわ。陽翔、また来な。アンタの飯の食いっぷりが気に入った。シェフとして、見ていて気持ちいいのよねぇ…。」
何だか多大な誤解を受けている気はするが、どうやら俺はここの店長・春香さんに気に入ってもらえたらしい。確かに、春香さんの賄い飯は美味かった。そして、あまり手料理というものを知らない俺に、手作りの温かさを教えてくれる。お袋の味ならぬ、ゴリマッチョオネェの味。灰色の大都会の片隅にあるゴチャゴチャしたBARの一角は、カオスだけれど暖かくて、酷く居心地がいい。
人見知りでコミュ障の俺が、こんなことを口にするくらいには。
「──えっと、時々…様子見に来ます…。ユキヒトさんがきちんとやってるか心配だし…。」
「おや…。ぼく、そんなに頼りないかなぁ…?」
眉尻を下げるユキヒトさんと、それを楽しそうに見詰める人情家の春香さん。
もし、K市K駅の繁華街を夜に訪れる人がいたら、俺はこのBARを推すかもしれない。
変な店長と優しい天使が出迎える、雑居ビルの中の居心地の良いBARを。
居酒屋のバイトを上がると、街はもうすっかり真夜中だった。午前零時半、これでも今日は俺の方が早く上がって、ユキヒトさんが帰ってくるのはまだ少し先のことだろう。
雑居ビル一階にある、お世辞にも小綺麗とは言えないBAR『美ヲFe瑠Miん』が、ユキヒトさんの職場だ。身分証明証も印鑑もないユキヒトさんを日当で雇ってくれた上、あれこれ世話を焼いてくれる店長の春香さん(※ゴリッゴリのマッチョ)は、閉店後に時々料理を教えてくれたり、賄いのご飯を出してくれたりするらしい。
果たして、ユキヒトさんがどんな風に働いているのか、俺は少しだけ気になってしまった。とはいえ、今から向かったところでユキヒトさんに会える保証はなく、クローズの看板がかかったドアを開けてまで踏み込む勇気はまったくない。
「──ま、帰ってもすることないしね。」
外出時はいつも着けている黒いマスクの下で独り言を放ち、何となく、気の向くままに、大通りから一本入ったところにある雑居ビル群の合間を縫って歩き始める。
外はすっかり冬、しかも平日で、通りを歩く酔っ払いの数は少ない。終電間際のこの時間は、二次会も終わってしっぽりと飲みたいか、あるいはオールしたいかのどちらかの客しかいないのだ。
ネオンも歯抜けのように落ち、灰色になった街中を、俺は真っ直ぐに大股で歩く。
別に、会えなくたっていい。むしろ、都合よく会える確率のほうが低い。でも、俺は不思議といい方の予感を覚えていた。
果たして、目指す雑居ビルの前で、外に出していた店の看板をしまおうとしている長身の姿を見つける。灰色の髪に灰色の瞳、そしてカッチリしたピンストライプのスーツに身を包んだ彼は、どういう訳か、灰色で統一された街の中で光でも放っているかのように、その周囲だけが明るく、眩しく見える。
ユキヒトさんは、近付いてくる俺にすぐに気が付いたようだった。
「ハルトくん──。どうして、ここに?」
「んー、理由としては、ヒマだったから?」
ことりと首を傾げる俺を軽く見下ろして、ユキヒトさんは軽い驚きの表情を浮かべてまばたきをしている。
と、BARの扉が内側から開き、超イカつい半袖金髪のマッチョがぬっと顔を出した。このゴタゴタしたBARの店長、自称春香さんである。
「ユキちゃん、それしまい終わったら上がりでいいわ…アラ。」
俺の存在に気づいた春香さんは、イカつい片眉を跳ね上げる。ただでさえ迫力の塊みたいなビジュアルの人に見下され、俺は咄嗟に被っていたキャップの前を深く引き下ろし、コミュ障人見知りを存分に発揮してしまった。
「その子、アンタの同居人よね。なぁに?約束でもしてたワケ?なら、もうちょっと早く上げても良かったんだから、先に言いなさいよぉ…。」
「や!ち、違うんです!…その、ただ、通り掛かっただけっていうか…」
俺は、完全にしどろもどろになっていた。
だって、俺の仕事場とこのBARは、マンションを挟んで正反対の方角なのだ。
突然ユキヒトさんの仕事姿を見たくなった、なんていう理由を素直に言えるはずもなく、会話を繫げるスキルもなく、俺はただひたすらに気まずさを味わう。
そんな俺を一瞥し、春香さんは、人差し指の先を折り曲げてチョイチョイと手招きしてくる。
「入んな、小僧。そんなところに突っ立ってたら風邪引くわよ。」
「え、あ、ハイ──。」
いいのかな?と無言で見上げたユキヒトさんは、優しげな目を細めてうんうんと頷いている。
だから、俺はおずおずと、お邪魔しますの挨拶と一緒に薄暗い店内に足を踏み入れた。
『美ヲFe瑠Miん』は本当に小さなBARで、四人掛けボックス席が三つ、カウンターが5席で、店内には統一感があまりないポスターやインテリアが所狭しと飾られている。
春香さんに促されるままに、閉店したBARのカウンターに座る俺は圧倒的に場馴れしていない。ユキヒトさんが看板を片付けて戻ってくるまでの一分足らずの時間が、まるで無限のように感じられる。あーこの無言ツライわ、とスマホをいじり始める俺をよそに、春香さんは奥のキッチンの方へ引っ込んでしまった。
「…ふぅ。これで閉店作業は終わり、ハルトくんも、お疲れ様だね。」
「あぁ、うん…。いきなり、なんかごめん──。」
「いいんだよ、気にしなくても。店長がそう言う時には、甘えていいんだ。」
俺の横のスツールを引いて腰掛けるユキヒトさん。薄暗がりで眺めても、やっぱりすごく顔がいい。ここのバーテンダーだと紹介しても違和感がないほどには、彼はこの空間にすっかり馴染んでいた。
不意に、キッチンから春香さんの巨体が姿を表す。手にした丼を二つ、カウンターの上にドンと乗せてきた。
「今日の賄い飯よ。折角なんだから小僧も食って行きな。」
「エッ…、あ、俺も…いいんです──か…?」
「アタシがいいって言ってんだから、いいのよ。遠慮とかそういうの、いらないからね。」
湯気の立つ豚肉やモヤシやニラの炒め物が、豪快にご飯の上に盛られている。醤油とニンニクのいい匂いが鼻をくすぐり、晩飯前の胃がキュッと鳴った。
「いただきます!」
割り箸をパチンと割って、いかにも育ち盛りの男子向けな丼を掻き込んだ。柔らかく炊けた熱々のご飯に絡む醤油ダレと肉の甘味で、いくらでも白飯がいけそうだ。
俺の隣で、もくもくと上品に同じ料理を頬張るユキヒトさんも、春香さんの賄い飯を味わいながら幸福そうに目を細めている。当の春香さんはといえば、カウンターの向こうで電子タバコを吸いながら、晩飯を楽しむ俺達二人をどこか楽しそうに見つめているのだ。
「どお?ウチの賄いは美味いって評判なのよ。」
「あ、はい…!すげぇおいしい…です…。」
それは素直に、空きっ腹の男子には最高のディナーだった。俺の返答に満足したのか、ガラスのコップを手に取った春香さんは、不意に俺の顔を覗き込んでくる。
「小僧。──陽翔っていうのよね?アンタ、歳はいくつよ。」
「…え、十九歳…ですけど。」
俺の返答に、春香さんは盛大に眉を顰めて溜め息を吐く。
「…アンタ、二十歳になるまでウチじゃ酒は一滴も飲ませないわよ。仕事上がりのビールは最高だけど、ウーロン茶で我慢しな。」
「えっ…。でもハルトくん、家では普通に…。」
「──あー、まあ、この辺のコンビニじゃ年齢確認なんてしないから、さ…。」
ユキヒトさんの曇る顔を横目で眺め、たはは、とわざとらしく笑う俺。眼の前に、ウーロン茶のグラスを叩きつけるように置きながら、春香さんはフンッと鼻を鳴らす。
「プライベートな家でどんな悪さをしようが、アタシには関係ないわ。だって、アタシだってガキの頃から飲んでたもの。だけど、未成年に酒出したなんて知られたら大問題よ?ウチがお上にシメられんのよ。大人のユキちゃんだって責められるんだから、ユキちゃんも自覚すること。いいわね?」
「はい、店長。──そうか、そういえばハルトくんは未成年だったよね…。ぼく、すっかり忘れてた。だって出会ったその日から……」
「いやご馳走様でした美味しかったです!二十歳になったらお酒出して下さい!」
同居に至る設定のことを忘れ、うっかり口を滑らせ掛けている天使の言葉を遮るように、大声を出して両手を合わせた。カウンターの下でユキヒトさんの足をちょいちょいとつついて発言を止め、コップ一杯のウーロン茶をごくごくと飲み干す。
そんな俺を眺め、春香さんの頬がふっと緩んだ。
「そうね、ハタチになったら浴びるくらい飲ませてやるわ。だって、酒は何度か失敗しなきゃ覚えないもん。アンタがユキちゃん連れてきてくれたお陰で、ウチはちょっとした大繁盛。ユキちゃんサボらないし聞き上手だから、悩みを聞いてほしい女のコのお客も増えたし…そこはアンタに感謝してんのよ。」
ユキヒトさんより背が高い金髪ベリショゴリマッチョのくせに、春香さんは見かけによらず優しくて情け深いのだろう。電子タバコの水蒸気を燻らせ、ゆっくりと食事を噛み締めているユキヒトさんを親のような眼差しで見詰めている。
「そういえば──俺、名前言いましたっけ…?」
「ユキちゃんが毎日のようにアンタのことを話すから、覚えちゃったわ。陽翔、アンタずいぶん愛されてるわね…。」
途端に、ウーロン茶が喉の変なところに入って、俺は盛大に噎せた。ゲホゲホと咳き込む俺を心配そうに見つめる灰色の瞳に、邪気や他意は一切ない。
いや、ないからこそ逆にタチが悪いのだ。
「だって、ハルトくんは僕に色々良くしてくれるから…。お返し、しなきゃいけないだろう?」
「──や、いつも気にしないでいいって言ってんじゃん。」
「それでも、だよ。」
俺達のわちゃわちゃしたやり取りをカウンターの向こうで眺め、春香さんは、妙にスッキリと満足げな笑顔を浮かべていた。
「あーあ、若いっていいわねぇ…。誰が誰を好きになろうが関係ないわ。お互いに気持ちがあるなら、常識やモラルなんてクソ喰らえ、よ。──ま、いいわ。陽翔、また来な。アンタの飯の食いっぷりが気に入った。シェフとして、見ていて気持ちいいのよねぇ…。」
何だか多大な誤解を受けている気はするが、どうやら俺はここの店長・春香さんに気に入ってもらえたらしい。確かに、春香さんの賄い飯は美味かった。そして、あまり手料理というものを知らない俺に、手作りの温かさを教えてくれる。お袋の味ならぬ、ゴリマッチョオネェの味。灰色の大都会の片隅にあるゴチャゴチャしたBARの一角は、カオスだけれど暖かくて、酷く居心地がいい。
人見知りでコミュ障の俺が、こんなことを口にするくらいには。
「──えっと、時々…様子見に来ます…。ユキヒトさんがきちんとやってるか心配だし…。」
「おや…。ぼく、そんなに頼りないかなぁ…?」
眉尻を下げるユキヒトさんと、それを楽しそうに見詰める人情家の春香さん。
もし、K市K駅の繁華街を夜に訪れる人がいたら、俺はこのBARを推すかもしれない。
変な店長と優しい天使が出迎える、雑居ビルの中の居心地の良いBARを。
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