27 / 49
第伍話
続
しおりを挟む
「敵襲です!」
そんな声が朱皇の耳に入る直前、無遠慮に部屋のドアが開かれ、またそれをした者が普段は他人行儀なまでに礼を欠いた真似をしない丹思であった為、我が目を疑って呆けた様子を見せた。
「申し訳ありません、朱皇様。急ぎ屋敷から離れて下さい」
「今、敵襲と聞こえたが?」
何かの予行練習でも始めたのかと考えたのは、この屋敷を訪問した縛罪府将軍蒼慈と、人手が足りないことから雑事を任されている内官理の玖涅が青子と共にいるからだ。もしもの時に備えての警護と妖狐族の監視が目的であるらしいが、そのもしもの時を想定した演習でも行い始めたのでは? といった呑気な考えに至ったのには理由が他にある。
妖狐族の結界が張り巡らされているこの屋敷に、侵入を果たせる者などいないという絶対的な信頼だ。正面から普通に訪れる者には結界の力は及ばないが、それ以外からでは例え上空を通過するだけの鳥であろうと、迷い込んで来た獣であろうと意識操作で方向転換させてしまう。侵入しようなどという者を文字通り跳ね返すという仕掛けがある為、逆手に取るならば堂々と正面から乗り込んだ方が敵も侵入しやすいのであった。
しかし、丹思は朱皇を廊下へと促しながら「結界が破壊されました」と苦い表情で言う。
「青子様に怪我を負わせ、拐おうとした者たちと同じ輩です。まさかここまで踏み込んで来られるとは思いもしませんでした」
朱皇はこれは夢なのではないかと逃避しかけた。先程まで、自分が尊敬し慕う存在である千茜と、自分を慕い何かと世話を焼きたがる丹思とが、互いに疑念を抱き、それがこれまで起きた事件に関与或いは首謀者であるとしているという事実、そして自分が異世界へと飛ばされたことに関して丹思がしたこと、現皇帝の潭赫が呪いを受けていたことなど、様々な、それこそ思いもしなかったことを知らされ、未だ心の整理がついていなかった。
自分はとことん考えが甘いのだと思う。今まで流れに付き従えば何とかなってきていた。それら全ては千茜と丹思がいてくれたからこそだ。異世界へ行って儘ならないと感じていた時も青子が現れた。本当の窮地に立たされ、自身で判断を下し、自ら何かと正面切って戦い抗うことなど一度としてなかった気がする。
バリンッ、と不意にガラスが破裂したような音が聞こえた。随分と離れた位置ではあるが、あれは青子のいる部屋の方角ではなかったか。
「俺のことはいいから青子を!」
「青子様ならば問題ありません。あちらには将軍殿が。それに既に向かわせております」
丹思が朱皇の腕をガシリと握りながら小走りで階段を下りていく。朱皇はそれに引き摺られ、丹思がどうする気なのか自分はどうすべきなのかを考える。
「!」
廊下を左折した瞬間、前方より迫り来る一団があった。黒い外套に黒く塗り潰された顔、銀色に輝く瞳。丹思らを襲撃し、青子を拐おうとした者として聞き及んでいた者の姿だ。
「これは朱皇殿。お飾り程度の扱いでも、皇帝の座が惜しくて黄泉より生還なされておいでか」
「何だと?」
足を止めさせ、先頭にいた者が一歩進み出て言う。
黄泉というのは死を示すものではなく、異世界という意味であろう。
「丹思様、朱皇様。ここは我々が」
二人を背に庇うように妖狐族の青年たちが回り込む。どちらも会議室で丹思の後方に控えていた者だ。
しかし「否」と朱皇は青年たちの間を割って入ると、部屋を飛び出した際に咄嗟に掴んだ長剣の鞘を腰帯に差し込み、柄に手をあてた状態で外套姿の者を見据える。
「折角ここまで来たのだ。手合わせくらいしてやらねば、客のもてなしも出来ぬと民に笑われてしまう」
「いけません! 今の朱皇様のお身体では……っ」
「丹思。黙っていろ」
「っ」
一瞥と共に吐かれた言葉に、丹思は目を見開く。
「ほう。やれますかな? 以前お会いした時よりお痩せになられたご様子。黄泉より生還なされて後、何者とも知れぬ者からの悪意が恐ろしくて、震えておいでではございませんでしたかな?」
「貴様が誰か知らんが、戯れも度を過ぎれば罰を受けねばならんことを、きっちり教えてやる」
グルルッと朱皇が唸り声を上げた。
外套姿の者たちが手にしていた武器を構え始める。
一団の数は八。それほど広い廊下ではない為、通常であれば一斉攻撃は難しい。
だが、懐に入れられてしまえば、袋叩きに遭うのは目に見えていた。
「では、お手並み拝見!」
ガキンッ、と一団を率いていると思しき者が先陣を切り、朱皇が素早く抜き放った剣の鍔近くでその刃を受け止め、腰を入れて押し退ける。
しかし離れたのは一瞬のこと。再び幅広い刃で殴り掛かるような攻撃をかわし、朱皇は壁を利用して三角跳びの要領で相手のやや後ろの上方から首の辺りに踵落としを食らわせた。
「ガハッ……!」
前のめりによろけたその者に対し、妖狐族の青年たちも見物を決め込むことはなく、その者の武器を奪ってから腹部へと突き立てる。
そして直ぐ様、朱皇を幻術にかけようとする気配を察し、術者へと幻術を放った。
「ウギャアッ、何だこれはっ。何でこんなところに蜘蛛がっ……うわぁぁぁっ!!」
大量の蜘蛛が襲い掛かっている幻に、術者が暴れ回り、仲間の動きを鈍くさせていく。
一方、闇の中に放り込まれたような術中にはまりかけた朱皇だったが、相手が動く際にどうしても隠せない大気の揺らぎによって攻撃の手を読み取ることが可能であった。故に、視界がすぐに良好になったことの方に僅かに気を取られたようだったが、外套姿の者たちが一人の取り乱し様に混乱した隙を突いて、青年らと共に全ての者に致命傷を与えた。
「態度だけは一人前だったが、やはりこんなものか。拍子抜けにも程がある」
ただ一人、幻術で蜘蛛を相手にしていた者だけがなかなかに厄介であったが、怯えて武器を振り回す動きに慣れれば一撃で終えられた。
外套を剥げば全員が妖狐族だった。しかし、見知った顔はいない。朱皇を知っているようであった者の顔も、黒く塗られているとはいえ全く覚えのないものだった。
「朱皇様、無理はなさらないで下さい」
「今までろくに動かずにいたからな。感覚を取り戻すのにちょうどいいと思っただけだ。無理をしたつもりはない」
青年たちが死体を脇に退けて行くのを眺めながら、軽く諌めるように口を開いた丹思に、朱皇は拗ねたように答える。
戦闘には向かない丹思の傍から、青年たちを離したくなかったこともあるが、それは口にしないでおく。
「あちらの抜け道を使います。まだ奴らの仲間が他にいるかもしれません。どうか慎重にお進み下さい」
「抜け道ならば、この手前にもあるだろ」
「そちらは青子様にご利用頂きます」
「……そうか。ならいい」
頷き、青年が開けた隠し通路へと入り込む。
丹思の母親の元へ訪れる為に、城からの脱出経路である洞窟とこの屋敷を繋げる通路を最初に作ったのは、潭赫だった。作ったといっても職人に命じただけであるが。そしてそれを朱皇が面白がってあちこちに洞窟への通路を作らせたのだ。かくれんぼをしてもすぐに見つかってしまうつまらなさから、その遊び場を屋敷から洞窟内に変更させる為に。或いは悪戯をして怒られることから逃れる為に。また或いは、いつか必要となることを予見したように。
「青子を逃がすのはいいとして。何故俺まで逃げねばならんのだ。あの者は、大袈裟な芝居染みた言い方をしていたが、俺がここにいることなど、とうに知っていたようだったぞ」
「ええ。どうやらそのようですね」
「お前、まだ何か隠しているだろう?」
「――申し訳ありません。青子様を神殿へお連れした件ですが……」
躊躇うように言葉を止めたのは、青年たちの耳を気にしてか。
「実は、確認の為でもあったのです」
「確認?」
「はい。僕の身内に、情報を漏らしている者がいないかどうか、と。残念ながら疑いが確信となっただけで、それが誰であるのか分かっておりませんが」
「屋敷の中にあいつらの仲間がいると?」
「僕が至らないばかりに」
「そんなことは決して!」
苦し気に目を伏せた丹思の言葉を切り、青年が声を上げてハッと口を押さえる。
「丹思様は何も悪くありません。我らの心は一つであらねばならないのに、二心を持つ者がいるとは……」
口を押さえた方にやや厳しい眼差しを送ったもう一人が、声を抑えながら言葉を引き継ぐ。
「青子の元に誰がいる?」
「章杏です。あの子は大丈夫ですよ。それに万が一のことが生じても、玖涅殿もおられます。将軍殿が無能な者を傍に置いておくとお思いですか?」
自分のことを噂されているなど露知らず、玖涅がぱかりと目を開けた。
洞窟内にある「黄龍の逆鱗」で青子と二人で残され、空腹を満たしてごろごろしていた彼であったが、跳ね起きてからの様子はそれまでの彼と些か違うようである。
こっそりと、しかし素早く青子の隣に移動すると、すっかり眠ってしまっている青子に顔を近付ける。匂いを嗅ぎ、頬をつつき、胸の上に手を置いて鼓動を確認。
「いっけね。これじゃ痴漢じゃん。でも青子は寝てるしー、誰もいないから大丈夫」
わざとらしいまでに慌てて離れる玖涅。独り言も、まるで誰かに聞こえるように言っているものと思われた。
ぐりん、と先に顔だけ振り向き、後でゆっくりと身体を正面へ向ける。そうしながらニヤニヤと笑った玖涅は、再び聞こえるように独り言を始める。
「睡眠薬、よく効いてるっすよー。臭いでバレないように腐ったモンわざといれたっしょー? 乾燥黄果(ドライフルーツのマンゴーのようなもの)の甘ったるい匂いと一緒でもバレバレだったからねー」
ふふん、と腰に手をあてて胸を張るが、近くには誰の姿もない。
「まあお陰で、青子は見なくていいものを見ずに済む訳だから、一応感謝しておくっすよ。……んで、さ」
玖涅の笑みが凶悪なまでに歪められる。それは、普段の退屈そうで気の抜けた、人懐っこそうでいて臆病な印象を与えていた少年のものとは思えないもので。
だから、気配を消して潜んでいた者が息を呑み、動揺したことを気取らせたのは仕方ないことと言えよう。
時間をかけて行った調査の何処にも、彼の今の姿を報告するものはなかったのだから。
「機嫌のいいうちに出て来て下さいよ。そうじゃなきゃ、ここ、血の臭いで充満させちまうことになる。そしたら、おとなしく寝てる子が怖い夢見ちゃうでしょ」
玖涅の尻尾が揺れる。
痺れを切らせて顔から笑みが消えかけた頃、自分の周囲を幾つもの狐火が浮かんでいることに気づく。
「ざーんねん。俺、狐の幻術、効かないんすよね」
今頃は狐火の中に、玖涅が苦手とする回収の仕事で目にするものが映り、本来ならば怯えて腰を抜かしていたであろう。
「本当、嫌なんすよね。――だって、自分が確実に殺った手応えを感じたモノじゃなきゃ、本当に死んでるかどうか分からないじゃないっすか。俺、お化けとゾンビは怖いんだよねー……ってことで、殺りますか」
タンッと軽く地を蹴った玖涅。相手からすれば一瞬で目の前に移動されたと感じただろう。がしかし、そんな思いを抱くより先に意識が奪われ。
「なんてね。殺さないっすよ。だって怖いし」
無邪気そうな声がその者の耳に届いたかどうかは、分からない。
そんな声が朱皇の耳に入る直前、無遠慮に部屋のドアが開かれ、またそれをした者が普段は他人行儀なまでに礼を欠いた真似をしない丹思であった為、我が目を疑って呆けた様子を見せた。
「申し訳ありません、朱皇様。急ぎ屋敷から離れて下さい」
「今、敵襲と聞こえたが?」
何かの予行練習でも始めたのかと考えたのは、この屋敷を訪問した縛罪府将軍蒼慈と、人手が足りないことから雑事を任されている内官理の玖涅が青子と共にいるからだ。もしもの時に備えての警護と妖狐族の監視が目的であるらしいが、そのもしもの時を想定した演習でも行い始めたのでは? といった呑気な考えに至ったのには理由が他にある。
妖狐族の結界が張り巡らされているこの屋敷に、侵入を果たせる者などいないという絶対的な信頼だ。正面から普通に訪れる者には結界の力は及ばないが、それ以外からでは例え上空を通過するだけの鳥であろうと、迷い込んで来た獣であろうと意識操作で方向転換させてしまう。侵入しようなどという者を文字通り跳ね返すという仕掛けがある為、逆手に取るならば堂々と正面から乗り込んだ方が敵も侵入しやすいのであった。
しかし、丹思は朱皇を廊下へと促しながら「結界が破壊されました」と苦い表情で言う。
「青子様に怪我を負わせ、拐おうとした者たちと同じ輩です。まさかここまで踏み込んで来られるとは思いもしませんでした」
朱皇はこれは夢なのではないかと逃避しかけた。先程まで、自分が尊敬し慕う存在である千茜と、自分を慕い何かと世話を焼きたがる丹思とが、互いに疑念を抱き、それがこれまで起きた事件に関与或いは首謀者であるとしているという事実、そして自分が異世界へと飛ばされたことに関して丹思がしたこと、現皇帝の潭赫が呪いを受けていたことなど、様々な、それこそ思いもしなかったことを知らされ、未だ心の整理がついていなかった。
自分はとことん考えが甘いのだと思う。今まで流れに付き従えば何とかなってきていた。それら全ては千茜と丹思がいてくれたからこそだ。異世界へ行って儘ならないと感じていた時も青子が現れた。本当の窮地に立たされ、自身で判断を下し、自ら何かと正面切って戦い抗うことなど一度としてなかった気がする。
バリンッ、と不意にガラスが破裂したような音が聞こえた。随分と離れた位置ではあるが、あれは青子のいる部屋の方角ではなかったか。
「俺のことはいいから青子を!」
「青子様ならば問題ありません。あちらには将軍殿が。それに既に向かわせております」
丹思が朱皇の腕をガシリと握りながら小走りで階段を下りていく。朱皇はそれに引き摺られ、丹思がどうする気なのか自分はどうすべきなのかを考える。
「!」
廊下を左折した瞬間、前方より迫り来る一団があった。黒い外套に黒く塗り潰された顔、銀色に輝く瞳。丹思らを襲撃し、青子を拐おうとした者として聞き及んでいた者の姿だ。
「これは朱皇殿。お飾り程度の扱いでも、皇帝の座が惜しくて黄泉より生還なされておいでか」
「何だと?」
足を止めさせ、先頭にいた者が一歩進み出て言う。
黄泉というのは死を示すものではなく、異世界という意味であろう。
「丹思様、朱皇様。ここは我々が」
二人を背に庇うように妖狐族の青年たちが回り込む。どちらも会議室で丹思の後方に控えていた者だ。
しかし「否」と朱皇は青年たちの間を割って入ると、部屋を飛び出した際に咄嗟に掴んだ長剣の鞘を腰帯に差し込み、柄に手をあてた状態で外套姿の者を見据える。
「折角ここまで来たのだ。手合わせくらいしてやらねば、客のもてなしも出来ぬと民に笑われてしまう」
「いけません! 今の朱皇様のお身体では……っ」
「丹思。黙っていろ」
「っ」
一瞥と共に吐かれた言葉に、丹思は目を見開く。
「ほう。やれますかな? 以前お会いした時よりお痩せになられたご様子。黄泉より生還なされて後、何者とも知れぬ者からの悪意が恐ろしくて、震えておいでではございませんでしたかな?」
「貴様が誰か知らんが、戯れも度を過ぎれば罰を受けねばならんことを、きっちり教えてやる」
グルルッと朱皇が唸り声を上げた。
外套姿の者たちが手にしていた武器を構え始める。
一団の数は八。それほど広い廊下ではない為、通常であれば一斉攻撃は難しい。
だが、懐に入れられてしまえば、袋叩きに遭うのは目に見えていた。
「では、お手並み拝見!」
ガキンッ、と一団を率いていると思しき者が先陣を切り、朱皇が素早く抜き放った剣の鍔近くでその刃を受け止め、腰を入れて押し退ける。
しかし離れたのは一瞬のこと。再び幅広い刃で殴り掛かるような攻撃をかわし、朱皇は壁を利用して三角跳びの要領で相手のやや後ろの上方から首の辺りに踵落としを食らわせた。
「ガハッ……!」
前のめりによろけたその者に対し、妖狐族の青年たちも見物を決め込むことはなく、その者の武器を奪ってから腹部へと突き立てる。
そして直ぐ様、朱皇を幻術にかけようとする気配を察し、術者へと幻術を放った。
「ウギャアッ、何だこれはっ。何でこんなところに蜘蛛がっ……うわぁぁぁっ!!」
大量の蜘蛛が襲い掛かっている幻に、術者が暴れ回り、仲間の動きを鈍くさせていく。
一方、闇の中に放り込まれたような術中にはまりかけた朱皇だったが、相手が動く際にどうしても隠せない大気の揺らぎによって攻撃の手を読み取ることが可能であった。故に、視界がすぐに良好になったことの方に僅かに気を取られたようだったが、外套姿の者たちが一人の取り乱し様に混乱した隙を突いて、青年らと共に全ての者に致命傷を与えた。
「態度だけは一人前だったが、やはりこんなものか。拍子抜けにも程がある」
ただ一人、幻術で蜘蛛を相手にしていた者だけがなかなかに厄介であったが、怯えて武器を振り回す動きに慣れれば一撃で終えられた。
外套を剥げば全員が妖狐族だった。しかし、見知った顔はいない。朱皇を知っているようであった者の顔も、黒く塗られているとはいえ全く覚えのないものだった。
「朱皇様、無理はなさらないで下さい」
「今までろくに動かずにいたからな。感覚を取り戻すのにちょうどいいと思っただけだ。無理をしたつもりはない」
青年たちが死体を脇に退けて行くのを眺めながら、軽く諌めるように口を開いた丹思に、朱皇は拗ねたように答える。
戦闘には向かない丹思の傍から、青年たちを離したくなかったこともあるが、それは口にしないでおく。
「あちらの抜け道を使います。まだ奴らの仲間が他にいるかもしれません。どうか慎重にお進み下さい」
「抜け道ならば、この手前にもあるだろ」
「そちらは青子様にご利用頂きます」
「……そうか。ならいい」
頷き、青年が開けた隠し通路へと入り込む。
丹思の母親の元へ訪れる為に、城からの脱出経路である洞窟とこの屋敷を繋げる通路を最初に作ったのは、潭赫だった。作ったといっても職人に命じただけであるが。そしてそれを朱皇が面白がってあちこちに洞窟への通路を作らせたのだ。かくれんぼをしてもすぐに見つかってしまうつまらなさから、その遊び場を屋敷から洞窟内に変更させる為に。或いは悪戯をして怒られることから逃れる為に。また或いは、いつか必要となることを予見したように。
「青子を逃がすのはいいとして。何故俺まで逃げねばならんのだ。あの者は、大袈裟な芝居染みた言い方をしていたが、俺がここにいることなど、とうに知っていたようだったぞ」
「ええ。どうやらそのようですね」
「お前、まだ何か隠しているだろう?」
「――申し訳ありません。青子様を神殿へお連れした件ですが……」
躊躇うように言葉を止めたのは、青年たちの耳を気にしてか。
「実は、確認の為でもあったのです」
「確認?」
「はい。僕の身内に、情報を漏らしている者がいないかどうか、と。残念ながら疑いが確信となっただけで、それが誰であるのか分かっておりませんが」
「屋敷の中にあいつらの仲間がいると?」
「僕が至らないばかりに」
「そんなことは決して!」
苦し気に目を伏せた丹思の言葉を切り、青年が声を上げてハッと口を押さえる。
「丹思様は何も悪くありません。我らの心は一つであらねばならないのに、二心を持つ者がいるとは……」
口を押さえた方にやや厳しい眼差しを送ったもう一人が、声を抑えながら言葉を引き継ぐ。
「青子の元に誰がいる?」
「章杏です。あの子は大丈夫ですよ。それに万が一のことが生じても、玖涅殿もおられます。将軍殿が無能な者を傍に置いておくとお思いですか?」
自分のことを噂されているなど露知らず、玖涅がぱかりと目を開けた。
洞窟内にある「黄龍の逆鱗」で青子と二人で残され、空腹を満たしてごろごろしていた彼であったが、跳ね起きてからの様子はそれまでの彼と些か違うようである。
こっそりと、しかし素早く青子の隣に移動すると、すっかり眠ってしまっている青子に顔を近付ける。匂いを嗅ぎ、頬をつつき、胸の上に手を置いて鼓動を確認。
「いっけね。これじゃ痴漢じゃん。でも青子は寝てるしー、誰もいないから大丈夫」
わざとらしいまでに慌てて離れる玖涅。独り言も、まるで誰かに聞こえるように言っているものと思われた。
ぐりん、と先に顔だけ振り向き、後でゆっくりと身体を正面へ向ける。そうしながらニヤニヤと笑った玖涅は、再び聞こえるように独り言を始める。
「睡眠薬、よく効いてるっすよー。臭いでバレないように腐ったモンわざといれたっしょー? 乾燥黄果(ドライフルーツのマンゴーのようなもの)の甘ったるい匂いと一緒でもバレバレだったからねー」
ふふん、と腰に手をあてて胸を張るが、近くには誰の姿もない。
「まあお陰で、青子は見なくていいものを見ずに済む訳だから、一応感謝しておくっすよ。……んで、さ」
玖涅の笑みが凶悪なまでに歪められる。それは、普段の退屈そうで気の抜けた、人懐っこそうでいて臆病な印象を与えていた少年のものとは思えないもので。
だから、気配を消して潜んでいた者が息を呑み、動揺したことを気取らせたのは仕方ないことと言えよう。
時間をかけて行った調査の何処にも、彼の今の姿を報告するものはなかったのだから。
「機嫌のいいうちに出て来て下さいよ。そうじゃなきゃ、ここ、血の臭いで充満させちまうことになる。そしたら、おとなしく寝てる子が怖い夢見ちゃうでしょ」
玖涅の尻尾が揺れる。
痺れを切らせて顔から笑みが消えかけた頃、自分の周囲を幾つもの狐火が浮かんでいることに気づく。
「ざーんねん。俺、狐の幻術、効かないんすよね」
今頃は狐火の中に、玖涅が苦手とする回収の仕事で目にするものが映り、本来ならば怯えて腰を抜かしていたであろう。
「本当、嫌なんすよね。――だって、自分が確実に殺った手応えを感じたモノじゃなきゃ、本当に死んでるかどうか分からないじゃないっすか。俺、お化けとゾンビは怖いんだよねー……ってことで、殺りますか」
タンッと軽く地を蹴った玖涅。相手からすれば一瞬で目の前に移動されたと感じただろう。がしかし、そんな思いを抱くより先に意識が奪われ。
「なんてね。殺さないっすよ。だって怖いし」
無邪気そうな声がその者の耳に届いたかどうかは、分からない。
0
あなたにおすすめの小説
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハーレム異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーレムです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
甘い匂いの人間は、極上獰猛な獣たちに奪われる 〜居場所を求めた少女の転移譚〜
具なっしー
恋愛
「誰かを、全力で愛してみたい」
居場所のない、17歳の少女・鳴宮 桃(なるみや もも)。
幼い頃に両親を亡くし、叔父の家で家政婦のような日々を送る彼女は、誰にも言えない孤独を抱えていた。そんな桃が、願いをかけた神社の光に包まれ目覚めたのは、獣人たちが支配する異世界。
そこは、男女比50:1という極端な世界。女性は複数の夫に囲われて贅沢を享受するのが常識だった。
しかし、桃は異世界の女性が持つ傲慢さとは無縁で、控えめなまま。
そして彼女の身体から放たれる**"甘いフェロモン"は、野生の獣人たちにとって極上の獲物**でしかない。
盗賊に囚われかけたところを、美形で無口なホワイトタイガー獣人・ベンに救われた桃。孤独だった少女は、その純粋さゆえに、強く、一途で、そして獰猛な獣人たちに囲われていく――。
※表紙はAIです
男女比バグった世界で美女チート無双〜それでも私は冒険がしたい!〜
具なっしー
恋愛
日本で暮らしていた23歳喪女だった女の子が交通事故で死んで、神様にチートを貰い、獣人の世界に転生させられた!!気づいたらそこは森の中で体は15歳くらいの女の子だった!ステータスを開いてみるとなんと白鳥兎獣人という幻の種族で、白いふわふわのウサ耳と、神秘的な白鳥の羽が生えていた。そしてなんとなんと、そこは男女比が10:1の偏った世界で、一妻多夫が普通の世界!そんな世界で、せっかく転生したんだし、旅をする!と決意した主人公は絶世の美女で…だんだん彼女を囲う男達が増えていく話。
主人公は見た目に反してめちゃくちゃ強いand地球の知識があるのでチートしまくります。
みたいなはなし
※表紙はAIです
大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います
町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる