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第捌話
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しおりを挟む「僕に何かご用ですか?」
理杜くんが尻尾を振りながら私に訊ねる。
「あ、千茜様が紅茶の用意を、と。応接室にいるから、お願い出来ますか? えっと、四人分です」
「かしこまりました」
ちょっとだけがっかりしたような様子を見せた理杜くんだったけれど、すぐに可愛らしい笑顔でお辞儀をして、栞梠さんと目を合わせてから書庫を出て行った。
千茜様が仰有った「四人分」というのは、やっぱり私が含まれていた訳ではなかったのだと思う。
きっと途中で蒼慈さんに会うことも、栞梠さんがここにいることも知っていらしたのだろう。
なら、栞梠さんは……? 栞梠さんは知っているのだろうか。ここに丹思様がいて、朱皇皇子を――ううん、千茜様を襲ったということを。
「青子様には、本当に申し訳ないことを致しました。色々なことに巻き込んでしまったことを、僭越ながら関係者全員に代わってお詫び申し上げます」
「そ、そんな! 頭を上げて下さい。……もし、お詫びして下さるなら、栞梠さんが知っていることを教えて貰えませんか? 千茜様は何もかも承知で動いている気がします。それは栞梠さんが教えているからではありませんか?」
深々と頭を下げる栞梠さんの肩を掴み、そっと上体を起こさせながら訊ねる。
それは下手をすると栞梠さんが事件に関わっているからだと、疑ってかかっているようなものだったけれど、言葉を選んではいられなかった。
「あちらへ。座ってお話しましょう」
栞梠さんに促され、先程まで二人がそこにいたのだろう、テーブルに書物が重ねてある席に着いた。
「青子様はわたくしを疑っておられるかもしれません」
「っ」
「ですが、それは誤解であり、正しいことだとも言えます」
「……?」
意図が分からない。私を混乱させたい訳ではないと思うのだけれど、自信はなかった。
「先ず、わたくしが千茜様と繋がりを持ちましたのは、我らが主、丹思様に異変があったからなのです」
「……」
異変。そう聞いて、紅玉のように見えた瞳を思い出す。そのことを伝えると、栞梠さんはコクリと頷いた。
「潭赫様を含め、歴代の黒狼族の皇帝の瞳は皆、紅いものであったとされております。皇族の、より次代の皇帝となる可能性の高いお子には、必ず『赤』を取り入れた名の付け方をされるのも、黒狼族にとってその色が大切なものだからです。ですから、いかに黒狼族といえど、その他の者の名に『赤』を取り入れたものは許されません」
「あ……」
私は自分の名を名乗った際の、その字を知られた時のみんなの様子を思い出した。
「青子様にとっては、ご迷惑なことでしょう。偶然とはいえ白狼族の色とされる『青』を冠される名をお持ちなのですから」
生真面目そうな表情のまま、けれど声音には少し揶揄うような色が含まれていて、私は曖昧に笑った。
「勿論、丹思様も例外ではありません。妖狐族の血を継ぎながらも、このお名前にはきちんと『赤』が含まれております」
丹赤の「あか」だ。丹の字一つで「赤」を指している。私はコクンと頷いた。
「それでも皇帝は朱皇様をお望みになられました。ここから全てが始まったのです。――表向きには」
「表向き?」
「はい。先ず、この表向きに始まったことをお話しましょう」
きっとその方が私にも理解しやすいと判断されたのだろう。
確かにその通りだった。皇帝が退位を皇子たちに表明し、各皇子に従い、また擁立しようとする者たちも知ることとなり、後継者争いが勃発する流れになっていた。
皇帝自身が指名しても、九大老が否定寄りとなり、他の皇子たちの支援者も黙っていなかったからだ。
その皇帝の言葉の為に、朱皇皇子は私がいた異世界へ投じられてしまう。
この件では、丹思様が事前に知り得たことで、こちらへ還って来れる「標」を付与することが出来、無事に――とも言い切れないものの――戻って来ることが出来たのだ。
「この間に、第二皇子である紅世様が、何者かによって暗殺されるという事件が起こりました」
淡々と栞梠さんは語る。
しかし、次の言葉は私の頭の中を真っ白にさせた程に、衝撃的だった。
「犯人は、千茜様です」
「――」
「皇族殺しは極刑を免れません。ですが、千茜様もまた皇族。朱皇様を推す声がなければ、継承者に最も近いとされていたお方です。悪くとも幽閉くらいでありましょう。ですが……」
私の反応を待つかのように、言葉を切った栞梠さんは、私が軽く首を傾げると再び口を開く。
こちらが混乱していたことを察して、落ち着くまでの時間をくれたのだろう。
「千茜様が紅世様をお斬りになったのは、朱皇様を異世界へ追放したのが、紅世様だとお知りになったからです」
「……っ……」
それを聞いて、胸を抉られるような痛みが広がり、涙がこぼれ落ちる。
異界への扉を出現させるのに必要なのは、相手を憎み恨むこと。この世界には必要がないのだと、殺めるよりも残酷な方法として用いる呪い――それを、兄皇子にされるなんて。
でも、どうして? どうしてその方法が選ばれたのだろう。そんなにまで憎めるものだろうか。
「後悔をされていたようですよ」
私の思いを汲んでくれてか、栞梠さんが声音を柔らかくさせて言う。
それは、誰から聞いたことなのだろうか。
「本当に扉が現れるとは思わなかったのだと。自分がそこまで朱皇様を憎んでいたとは思えなかったのだと。千茜様にそう懺悔されたそうです」
「――じゃあ、その時に……?」
「これは、真実であるか否かは丹思様のお力をお借りしなければ明らかにはなりませんが、紅世様がお望みになられたそうなのです。ご自分の命を絶って欲しいと」
栞梠さんが前置きをしたのは、或いはその懺悔を聞いて、千茜様が怒りのままに斬り捨てた可能性もあると見ているからだろう。
そうして、真相を知って葬った上で、何も知らない振りをしていたのは何故?
「……あれ?」
なんだかますますおかしい。
「本当に扉が現れるとは思わなかったのだと言うなら、試してみようとした切っ掛けは何だったんでしょうか」
どうしてだろう。例えば「あんな奴、死んじゃえばいいんだ」って思ったら本当に死んでしまった。といったものではなく、誰かに言われたから「死ねばいい」と呪いをかけた。といったように感じられる。
「それこそが、表向きではない始まりなのです」
「本当の始まり、ですか?」
「はい。そして、丹思様の異変に関わることでもあります」
「丹思様の?」
「皇帝の……いえ、潭赫の本当の狙いは丹思様を皇帝の座に据えることだったのです。それも、自分の思いのままに操る傀儡として」
「――そんな!」
本格的に訳が分からなくなってきた。
だったらどうして朱皇皇子を皇帝に推すような発言をしたの?
どうして退位を表明なんかしたの?
――表に出て来ない者こそ、お疑い下さい。
章杏さんが遺してくれた言葉。
全てが皇帝の仕組んだことならば、丹思様を傀儡として、一体何をしようとしているのだろう。
考えれば考える程、まだ会ったこともない皇帝のことが、恐ろしく思えて。
私は自分を抱き締めるように両の二の腕を掴んだ。
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