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第捌話

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「丹思様がわたくしたちを集めてお話になられることがあります。時刻は様々でありますが日に一度。決まってわたくしたちの働きを労って下さいます。大切なお話をなさるのも、個別に呼び出すのではなく全員が揃った時です」

 栞梠さんが立ち上がり、私の傍らに来ると、自分の二の腕を掴んでいた手に触れる。
 必要以上に力を入れていたことに気付き、肩の力を抜いて手をテーブルの上において頭を下げた。心配させてしまったことを、ありがたくも申し訳なく思って。

「はじめはいつもと変わらないのですが、瞳の色が変わってしまうと、丹思様らしくないことを仰有られるようになったのです」
「それはいつ頃からですか?」
「朱皇様がいらっしゃらなくなってしまった頃からだったと、記憶しております。それより以前にも瞳の色が変わることはありましたが、少しぼんやりとなさっているだけで、わたくしはそれを、黒狼族の血に対する抗体反応だと考えておりました」
「こうたい?」

 言葉が分からなくて「交代」だろうかと手振りで訊ねると、栞梠さんは頭を振って「免疫に関する方です」と教えてくれた。

「普段の丹思様の瞳の色は朱皇様と同じ黒いものです。朱皇様の場合は母君からそのお顔立ちと共に継がれたものでしょう。千茜様もお顔立ちは母君に似られましたが、瞳の色はこれまでになく艶やかな紅となりましたね。紅世様は潭赫たんかくに似てしまいましたから、随分と雄々しくおなりでした」

 そう言われても、皇帝の姿を目にしたことがないし、お城では何処かに飾られているだろう写真の代わりとなる絵も見たことがないものだから、紅世様のお顔というものも、想像すら出来ない。

「そのような訳ですから、紅い目をされた丹思様が、朱皇様は異世界にいらっしゃると仰有られた時も、大切に思われている方が行方不明となられて、精神が不安定になられているものと思っていたのです」
「でも、丹思様は神殿の前に倒れている皇子を見付けて、あの真実を知ることが出来る能力を使ったことで、異世界に――ああ、そっか。皇子に標を付与したのは丹思様だから、知っていたんでしたね」

 もう頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていて、整理するのが大変だった。

「えーっと、確か、丹思様が知った時には、もう止めることが出来ない状態だったって……」

 と、ここで何かが引っ掛かる。

「紅世様は、お一人で皇子を異世界への扉から放り出したのでしょうか」
「どのような機会に、丹思様が朱皇様に標を付与されたのか。また、朱皇様に異世界への扉の話をしたのはいつだったのか。こちらはどうも、お二人とも曖昧なようです。少し辻褄が合わないところがありますが、偽りを口にされているとも思えません。朱皇様につきましては、異世界に投棄されたことが考えられます。そして丹思様は、一部、ご自分の意思で動いている訳ではないことから、記憶を喪失されていたり、記憶自体が別のものにされている可能性があります」
「――」

 それでは、確定ではないけれど、もしかしたら紅世様が朱皇皇子を異世界への扉から出してしまった時、丹思様もそこにいたかもしれないんだ。でなければ、間に合わなかったから標を付与した、といったことにならなかったのじゃないかと思う。

「丹思様は、紅い目をされている時、わたくしたちにおかしなことを命じます。青子様を神殿の方へお連れになったのも、後付けの理由が述べられておりましたが、元より何者かに引き渡す予定のようでした」

 ――え?

「普段の丹思様に戻られると、命じたことを忘れます。そして何故か、命じられた方も忘れたように誰もそのことについて話しません。忘れたような状態の中で、無意識のうちに命じられたことを実行するのです。それは丹思様自身にも掛けられた術のようでした」
「それも、皇帝が……?」
「はい」
「その、何かを命じられたという時、栞梠さんはいなかったんですか?」

 じゃないと、客観的に見えていた風に話すことは出来ない気がするけれど、そこにいなかったとしたら、どうしてそんなことを知り得ることが出来たのか、という謎が出てきてしまう。

「勿論、わたくしもお傍に控えさせていただきました。丹思様の後ろに」
「!」
「それだけでは紅い目の力からは逃れられません。丹思様は皆の様子に気を配る方でしたから、必ずわたくしの方も振り返られてお話をなさいますので」

 そう言うと、栞梠さんが席に戻るように私の前に回ったかと思うと。

 パサ、パサリ。

 栞梠さんの尻尾が動いたようだった。
 左右に振っているのかと思ったのだけれど、そのうち、あれ? と思う。何か、おかしい。

「丹思様の母君は、八本の尻尾をお持ちでした。つまりは八尾」

 言いながら、くるりとこちらに背を向けた栞梠さんの、小麦色した尻尾の数は。

「……七、尾……?」

 指差し確認しながら数えたそれは、確かに七本。数え直しても、やはり七本だった。

「丹思様が八尾の血を継いでいても、黒狼族との混じりものである以上、七尾のわたくしを凌ぐ力はありません。たとえ紅い目の力でも、わたくしの力には及ばないのです」

 まさか、大妖怪として漫画とかで聞いたり見たりしたことのある、九尾に近い存在を見てしまうことになるとは。
 一本だけでも誘惑されてしまう尻尾が七本も。
 こんな時にもふもふしたいなんて考えを抱いてしまうなんて、人として駄目な気がする。

「わたくしは」

 栞梠さんがこちらに向き直ってしまったことを、残念に思っている場合ではない。

「日頃からわたくしたち妖狐族を『狐』と呼んで蔑んでいらっしゃるような方に、相談を持ち掛けるしかありませんでした。屋敷にいる同族は全て術中にはまっておりましたし、ああ見えて千茜様は丹思様よりも朱皇様を大事に思われておりますから、状況によってはご助力願えるかと思ったのです」
「丹思様よりも、ですか?」
「はい。大層な溺愛振りです」
「意地悪してますよね?」
「愛情表現かと。幼い頃より丹思様とご一緒されていることが多かったので、面白くなかったのでしょう」
「……」
「千茜様の元へ通うのは――簡単なことでした」
「?」

 急に声が変わった。
 朱皇皇子を溺愛する千茜様の図を思い浮かべていた私が、逸らしていた視線を戻すと。

「えっ? あの、栞梠さんは……?」

 その姿を目にして、思わず立ち上がってしまう。
 栞梠さんがいた場所に、白狼族の美しい女性――朋澪ほうれいさんが立っていたからだ。

「わたくしですよ、青子様」

 姿も声も朋澪さんに違いないのに、話し方は栞梠さんで。
 私がぼうっと見たままでいたからか、朋澪さんの尻尾が七本に増えた。色も形も妖狐族のものだ。

「どうして? 栞梠さんは朋澪さん? 朋澪さんが栞梠さん?」
「わたくしはわたくし、彼女は彼女ですよ。ただ、姿を借りていただけです。この姿をしていれば、千茜様の傍に行くのに楽でしたので」
「朋澪さんの血を飲んだりしたんですか?」
「まさか。尻尾の数の多さが高い能力の証。一目見れば姿を真似ることは造作もなく、姿を真似れば声もそのものとなり、行動も理解出来るという訳です」
「……はあ……」

 よく理解は出来ないけれど、取敢えず納得して、脱力しながら椅子に腰を下ろす。
 多分、私の脳内は情報処理が追い付かなくて、半分仕事を放棄しているところだろう。

「ですから、わたくしは知ってしまったのです。彼女たちの裏に、あの潭赫がいることを」

 それからは大変だったようだ。何しろ、頼りにしたい丹思様は皇帝の力で操られてしまっているし、朱皇皇子は無事に戻って来ても無理をさせられない身体になっている。縛罪府将軍という立場の蒼慈さんのことを考えなかった訳ではないそうだけど、白狼族だからという点で却下したらしい。
 表立って動けば丹思様の身が危ういかもしれないと、秘密裏に動くのはとても辛かったそうだ。
 丹思様を裏切っているようで。
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