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第玖話

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 この日は千茜様の皇帝継承式が執り行われた。
 午前中に神殿内で行われたその様子を、私は見に行くことは出来なかったけれど、その後で会った朱皇くんの紅潮した頬と、キラキラした目を見れば、どれだけ素晴らしいものだったかが窺い知れる。
 朱皇くんのことだから、式そのものではなく、千茜様のことにだけ傾いていそうだけれど。
 そして予想を裏切らず、どれだけ王冠やマントを装着した姿や、継承の時にだけ目にすることが出来るという玉璽を掲げた姿が美しかったか。そういった「兄上自慢」を、丹思様に止められるまで続けられた。
 話している間、ずっとぶんぶん振られていた尻尾の毛並みが良いのは、これまでに私が一生懸命ブラッシングした成果である。可愛らしい寝癖はすぐに直ってしまうのに、尻尾の寝癖(?)が兎に角酷い。
 ブラッシング中の朱皇くんはご機嫌な様子で、時折それが尻尾にも表れて、動いてしまうこともあって大変だった。
 この後はパレードが行われる為、一緒にフロート(馬車を改造したタイプ)に乗る朱皇くんと丹思様とは、またお別れになってしまう。
 パレードの見物に行くには、お城の敷地から出た街に出なければならないのだけど、出るのは、私がこの世界に来て以来のことで、少し怖い気がした。

「青子様、こちらにおりましたか」

 黒狼族の侍従さんが、街に行くか行かないかで悩んでいた私を見付けて、素早く近寄って来た。
 今の私は特に軟禁状態にはないから、勝手にお屋敷のあちこちに行かせて貰っているので、街の様子が少しだけ見えるところに来てしまっていたのだ。

「パレードをご覧になられるのであれば、こちらをご利用下さいとのことです」
「これは……」

 渡されたものにお礼を言いながら受け取ってみたのだけど、まさかこの世界で「けもみみカチューシャ」を目にするとは思わなかった。

「それと、折角ですので着替えをお部屋の方にご用意致しましたので、そちらに着替えられてからお出掛け下さい」
「は、はい。有難うございます」

 きっと、私が人族であることがバレないようにという気遣いだろう。カチューシャには私自身の耳に被せる部分もあった。
 お借りしている部屋に入ると、ベッドの上にドレスが置かれている。ベッドの下にはそれに合わせたハイヒールも。
 ドレスには、尻尾用の穴の代わりに不自然な膨らみがあった。身につけて、鏡を見て分かったことは、その膨らみに尻尾があるように見えることだった。
 そしてカチューシャを装着すれば、黒狼族になった私がいた。
 獣耳と尻尾のある人たちばかり見ているから、見慣れはしたものの、自分にそれがあるのを見ると、コスプレしているようで恥ずかしい。
 けれど、この姿ならば街で浮くことはないだろう。街どころか国全体がお祭りモードであるらしいから、女性たちはこぞって着飾っているようだし。
 後は、一緒に行ってくれそうな人を探すだけなのだけど。

「やっぱり朱皇くんと丹思様の護衛で出払っちゃってるよねぇ……」

 パレードの距離が長いようだから、ポイントポイントに人を配する為、お屋敷に残っている人の方が少なかった。
 栞梠さんはいたけれど、やはり丹思様(ついで扱いで朱皇くんと千茜様)をお守りする為に、一緒に出掛けることは出来ないのだと、断られてしまった。
 しかし、私だけが見物に行けるというお気楽で申し訳ない立場なので、無理は言えない。
 かといって、私も護衛に回るというのも、きっと迷惑でしかないだろう。
 寂しいような気持ちでいると、案内を呼びましょう、と妖狐族の人に誰かを呼びに行って貰ったようだった。
 ドレスとカチューシャについて、どなたが用意してくれたのかと訊ねると、栞梠さんであった。お礼を言って暫くした頃、案内係りの人が到着したと聞いて、その早さに驚きながら玄関に向かう。

「青子?」
「玖涅くん……。こんにちは。縛罪府のお仕事はいいの?」

 こちらを指差して、目を真ん丸にさせている玖涅くんに近付くと、玖涅くんは私の周りを回って一頻り眺める。

「狼族の姿もいいなぁ。黒いのが不満だけど」
「有難う……?」

 誉められたって受け取っていいんだよね?

「よし、じゃあ行くか。ああ、狐に頼まれた時、蒼慈さんも近くにいたし、ちゃんと許可は取ってあるから大丈夫」
「なんかごめんね。宜しくお願いします」

 こうして街に降りることが出来たのだけど、来た時も玖涅くんと一緒だったから、見覚えのある通りに出た辺りまで、少し妙な心地がしていた。

「結局、青子ってさ、誰のものになるんだ?」
「えっ?」

 みんなパレードを見る為の位置取りに向かっているからか、誰の姿も見掛けない通りを歩きながら、不思議そうでいて、言い難そうに訊ねられた。

「朱皇殿下とは運命的に結ばれてる感じだし、千茜殿下……否、陛下の側室になる予定だったし、蒼慈さんも青子のこと気に入ってるみたいだし……」
「誰の、とか、そういうのはないよ。朱皇くんは……(特別だけど)」
「俺は!」

 と、後半をもごもごと誤魔化すように言ったのと、玖涅くんの大声が重なって、肩がビクリと反応する。

「俺だったら、相手が誰でも本人から断られるまで、絶対に譲ったりしねぇ」
「!」

 グイッと肩に腕を回された。

「前は白い方がいいって思ってた。同族でくっつくのが一番だって。だけど今は、黒でもいいし、種族が全然違くても構わないって思う」

 鼻先が触れそうなまでに寄せられる、顔。
 いつになく真剣な表情に、ドキリとさせられてしまう。

「俺は、青子なら何でもいい。青子だからいい。青子がいい。だから、俺のものになってよ」
「そ……んなこと、言われても……」
「俺のこと嫌いじゃないだろ? だったらいいよな?」
「良くはないよ。私は……玖涅くんのこと、嫌いじゃないけど、そういう風には、その……」
「大丈夫。一緒にいれば俺のこと好きになるから」

 さっき断られるまでとか言ってたけど、無邪気そうな「大丈夫」で押し通してしまいそうな雰囲気だ。

「でも、玖涅くんって皇族苦手だよね? もしもまた、皇族の誰かが私を側室にするって言ったら?」
「青子は側室でいいのか?」
「っ」
「いっぱい女侍らせてる中に青子がいるのは嫌だ。俺なら一人にする」

 それは、十分に嬉しい言葉だった。でも、そう言って欲しいのは残念ながら玖涅くんじゃない。

「私」

 ちゃんと断らないと。そう思って口を開きかけた時、空に花火が打ち上げられた。
 パレード開始の合図だ。

「やべ。もう始まった。急ぐぞ」

 手を引かれて、足をもつれさせながらついて行く。
 フロートの通り道を挟んで、人がみっしりと埋め尽くしており、確保出来る隙間もなく、あちこち移動してみたのだけれど、かなり遠くからチラリと見えただけだった。
 朱皇くんが言っていた通り、千茜様は若き皇帝として人々を魅了する程に美しく煌めいていた。
 両脇を固める朱皇くんと丹思様も、控えめながら凛々しい姿に目を奪われる。
 こうして見ると、やっぱり遠い存在であることを気付かされてしまうのだけど、同時に何故か、親戚のおばちゃんみたいな気分になって、立派になったなぁと感動している自分が謎だった。

 カチューシャのお陰で人族だとバレてしまうことはない筈なのだけど、何故か色々な人から声を掛けられてしまい、その度に玖涅くんが威嚇する。

「そんな可愛らしい姿をしているからですよ、青子さん」

 遠巻きに女性をうっとりとした表情にさせている蒼慈さんが、いつの間にかに近くに来ていて、ぐるるっと唸る玖涅くんの頭を押さえつけながら、私に言う。

「つい、拐ってしまいたくなりますね」
「蒼慈さんでも駄目っす! 青子は俺のものになるんすからっ」
「おや。青子さんから許可をいただいたのですか?」
「こういうのは返事を急いだら駄目なんすよ」
「ほほう?」
「いででででっ」

 蒼慈さんが目を細めて玖涅くんの耳を引っ張った。

「わたしは朱皇殿下以外は認めておりませんから、戯言なら夢の中だけにしておきなさい」
「酷っ!」
「あの、お疲れ様です。玖涅くんをお借りしてしまってすみません」
「いいえ。ご迷惑をお掛けしてしまったようで、申し訳ないくらいですよ。まあ、玖涅の気持ちも分からなくはありませんがね」
「そーじさん、口説くの禁止!」
「仕方がありませんから、拐わせていただきましょう」
「へっ?」

 途端に抱え上げられて驚いているうちに、蒼慈さんが身を翻して駆け出す。

「あっ、ちょっと、蒼慈さんっ」

 玖涅くんの声に応えることもなく、ごった返す人混みの中を走って進めるのは、皆が慌てて避けてくれているからだ。

「急いでおりますので、失礼。陛下が青子さんの格好がいつもと違うものだったから、ちゃんと見たいと仰有られまして。お連れに参ったのです」
「そ、そうですか……」

 あの距離で私を見つけるなんて、どれだけ目がいいのだろう。

「自分で、走れます」
「それよりもこのようにしておいた方が、怪我人か何かだと判断して道を譲っていただけるものなのですよ」
「……成程」
「この先、あなたにこうして触れられることはないでしょうから、今はわたしに身を委ねていて下さい。勿論、あなたが望んで下さるのであれば、機会は幾らでも作り上げてみせますが」
「それは――」

 言い淀む私に、蒼慈さんが笑う。

「冗談ですよ。そういうことにして差し上げます」

 そう言って、私を抱える腕に力を込めた。

 運ばれた先はお城の搬入口みたいなところで、フロートに乗った朱皇くんたちも、こちらから入ったらしい。
 そこまで辿り着いてから下ろして貰えた私が、蒼慈さんにお礼を言っていると、妖狐族の子が迎えに来てくれて、私はその子に従い、蒼慈さんは祭りが行われている街に戻って行った。

「ああ、やはり見事に黒狼族となっているね、青子」

 パレードを終えて、普段は兵士の方々の詰所となっているところで休憩をとられていたらしい。
 私が中に入ると、千茜様は飲んでいた紅茶のカップを置いて、私に近付く。

「とてもお似合いですよ」
「有難うございます」

 丹思様はそう誉めてくれたのだけど、朱皇くんには視線を逸らされてしまった。

「この姿ならば、わたしの正妻となっても問題はなさそうだがね。大老さえ騙せれば後はどうとでも……」
「兄上! いえ、陛下、そのような考えでは青子が辛い思いをすることになります」
「させぬさ」
「――なりません」

 千茜様には逆らわないようだった朱皇くんが、表情を険しくさせて言うのを、言われている方は楽しそうに見ている。

「それは、お前が青子と結ばれたいからかね?」
「なっ……!」
「ククッ、分かりやすいのだよ、お前は」

 揶揄されていると分かったのか、朱皇くんが顔を真っ赤にさせた。

「まあ良い。これからゆっくり青子に吟味させれば良いのだ。選択肢を朱皇以外に増やすように、ね」
「兄上!」

 千茜様が私の手を取って、甲に口づける。
 事件が終わって穏やかな日々になると思っていた私の考えは、どうやら甘かったらしい。

(終)
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