黒白の護り手~黒に染まりし運命の娘~

織月せつな

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香琴国――祢々切 1――

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 月が冷たくその光景を照らしていた。
 雲に半ば身を隠していた青白い光は、アメリアたちの眼前にその残酷さを強調させるように、全てをあらわにさせたのだ。
 銀に輝く糸は確かに雫の形を模した巨大な繭を中央に据え、そこから糸に巻かれた人の形をしたものが、大小無数に吊り下げられている。
 その一つ一つに、これから誕生する赤子らの餌となる人が捕らえられているのだと思うと、恐ろしさを通り越して吐き気を覚えた。
 カタカタと震えていた双子を置いてきたのは正解だったろう。「蜘蛛嫌い、蜘蛛怖い」と幼子のように泣くムスタファに、フィリーネは傷付いた表情をしたが、これを見てしまえば仕方なくも思える。

「ウルリーケ……」

 微かな声がフィリーネの唇から漏れた。哀切の籠められた儚げなその声を受けてか、クスクスと笑う気配があった。

「!」
「お待ちしておりましたわ。お姉様」

 蜂蜜色の髪と翠玉の瞳を持つ美しい少女――の半身を宿した黒い蜘蛛の姿が、繭の上に現れた。

「天遣族に籠絡されてしまうなんて、やはりお姉様のお考えにはついてゆけませぬわ」

 カパリと顎が外れたのではないかと思われた程に、大きく口を開いた「八脚の女王」は、ペッとフィリーネの足元目掛けて何かを吐き飛ばす。

「うっ……!」

 それは、人の骨のようだった。腕と思われるが、全体的に小さく細い。子供のものであると推測される。

「子供を食べましたの?」
「ええ。勿論女の子ですわ。まだ月に穢されていない女の子の身体はとても美味しいですもの」

 コロコロと笑う女王に、フィリーネは明らかに嫌悪感を示す表情をした。

「あら、何がいけませんの? お姉様だってお好きでしたでしょう? 愛らしい男の子と女の子の生き血が」
「っ」

 フィリーネが咄嗟にアメリアを振り返ったのは、自分を拒絶して欲しくないという気持ちからだろう。
 アメリアは真っ直ぐにその視線を受け止め、小さく頷く。少なくとも自分と出会ってから彼女が人の血を啜る様など目にしていなかったし、こちらの目を盗んでそういったことをするのは不可能だっただろう。それくらい彼女はアメリアにべったりであった。
 急激に食事の傾向が変わるものではないだろうから、アメリアと出会うより遥かに前からであったのかもしれない。あの日鵜丸を襲撃したのは、連れていた雄たちの為の行動だったのだろう。

「そちらの方は、一体……?」

 フィリーネの視線から、ようやくアメリアを認識したらしい女王は、不可思議なものを見るように、僅かに繭の上から身を乗り出したが、すぐに両側に裂けそうな程に口を広げて笑い出す。

「アハ、アハハハハッ、アハハッ……! 素晴らしいですわお姉様。わたくし、天遣族の女の子にも興味がありましたの。けれど守りは厳しく、その上数も少ないものですから、なかなか良い食材に巡り会えませんでしたのよ。半分魔族堕ちしているようですが、まだ十分食欲をそそられますわ。うふふ。あなた、まだ月に穢されておりませんのね」
「――!」

 そこでアメリアの顔が羞恥に赤く染まる。
 もう子を孕んでもおかしくはない年齢に近付いているというのに、アメリアはまだ初潮すら迎えていなかった。
 人として何か欠陥があるのだ。そう恥じていたことを口にされ、また聞かれたくなかったことを知られてしまい、この時ばかりは天遣族でも神子でもない、年頃の娘として琥珀色の瞳に涙が浮かぶ。
 すると、それまでずっと黙っていたクラウスが、女王に向けて何かを弾いた。

「アウッ……!」

 途端、胸をおさえて繭の上から落下する。
 途中、糸で自身を支えようとしたが、それは刃のついた車輪によって切断されていく。

「訂正を命じます。アメリア様は魔族堕ちなどしておりません。それから、アメリア様はまだ生まれたばかりと変わりませんので、その順調になられるご成長を前に辱しめたことを後悔なさい」

 クラウスの笑みはくらく、全ての終焉を告げる滅亡ほろびの化身のようであった。

「ロミー、きらい。アメリアなかせるやつ、ころす」

 糸を切断した車輪はロミーだった。自身が素早く前に回転することで、切りつける尻尾の威力を増したのだ。これは、普通には切れないフィリーネの糸を知っていたからこそ、はじめから全力でぶつかっていったロミーの判断だった。
 胸をおさえた女王が、苦し気に繭に縋りながら立ち上がる。八本の脚のうち、四本が繭に突き刺さり、ギギギギギと引っ掻くような音を立てながら裂いていく。

「わたくしは『八脚の女王』ウルリーケ。相手が天遣族であろうとお姉様であろうと、倒されは致しませんわ」

 そこで短くアメリアの口から悲鳴が漏れた。
 クラウスは怯えるアメリアを抱き上げると上空へ飛び、建物の屋根の上に避難させる。
 フィリーネは「遅かったようですわね」と失望した色を瞳に宿らせ、ロミーは気持ち悪いとばかりに頭を何度も振った。
 繭の中にはみっちりと蜘蛛の子供たちが詰まっており、それを裂いたところにいた数十匹は「死にかけ」となったが、まだ何百という数の子供がわらわらと辺りに溢れ出していく。
 そうした中で「死にかけ」までも餌と認識した子供たちは共食いを始め、それを口に出来ないものたちが糸を伝って吊るされた人々の元へ向かい出す。

「アメリア様、暫くこちらでお待ちいただけますか? すぐに終わらせますので」
「でも、クラウスさん……。あの魔族はフィリーネの――」
「勿論承知しております。忘れてはおりませんよ。ですが、フィリーネはわたしが何をするかを理解した上で同行したのです。アメリア様は彼女を慰めることにご尽力下さい。それと、ロミーにも労いの言葉をお願いしても宜しいですか? わたしの従魔ではありますが、あなたのお言葉の方が喜ぶと思いますから」

 クラウスの言葉に、それはどうだろうかとアメリアは思う。
 視界から無数の蜘蛛の子供を遠避けて貰えたお陰で、アメリアは落着きを取り戻していた。それよりもウルリーケの発言を記憶から抹消してしまいたいところだが、仮にそれが可能だったとしても、クラウスたちが覚えているならば意味がない。

「……あの」

 クラウスが飛び立とうとするのを止めたのは、一人にしないで欲しかったからではない。

「私にも、何か出来ることはありますか?」
「……」

 隠れているだけではなく、生き残っている可能性のある者を探しに行けといったものでも何でも良かった。事がフィリーネの一族に関わることであるのだから、自分も何かするべきだと考えて。
 しかしクラウスは頭を振ると「きらい」を繰り返しながらウルリーケに攻撃を繰り出すロミーと、糸で吊るされた人々に群がる子供たちを払うフィリーネを一瞥した後に、アメリアの頬を包み込むように両手を添えて、顔を近付けた。

「あなたの能力は、命を奪うことには向きません」
「……でも……」

 自分は大神族たちの命を奪ったではないかと訴えかける眼差しに、クラウスは同意しない。

「それは違います。わたしは残念ながら見ることが出来ませんでしたが、アメリア様がなされたことは、個人の尊厳を冒涜された者たちへの救済です。ラザファムやムスタファの家族であったかもしれない者たちの苦しみを、取り除いて差し上げたのです」
「それを言うならば、クラウスさんの浄化だって――」
「いいえ」

 アメリアの声をクラウスがやんわりと遮る。

「同じ浄化の力を扱うにしても、これからわたしが行うのは、ただの虐殺に過ぎません。人々を巻き込んでしまうのは、大変心苦しいのですが、どうも気が短くなってしまったようで、衝動が抑えきれないのです」

 それでもアメリアには常と変わらない柔らかな微笑みを向け、そっと額を合わせると、アメリアが驚いて目を閉じたことに気付いてか、クラウスの気配が遠退いていく。

「あ……」

 慌てて屋根から下を覗き見れば、クラウスは六翼全てに糸を絡められて引摺り落とされようとしていた。
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