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美扇国――鵜丸 1――
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しおりを挟む数々の悲鳴が大音声となり、耳を破壊してしまうのではないかと思われる程だった。
上空ばかりではなく広場の周囲も蜘蛛の糸によって阻まれ、逃げ道を失った衆人たちは、今こそ神子の力を示せと舞台へ詰め寄り、助けを求めながらも判断を鈍らせている学長をはじめとした養成学校教員たちに罵声を浴びせる。
その矛先は警備の名目として参加していた治安隊にも向けられていた。
突然現れた魔物の群れ。恐怖と混乱に支配された衆人は、ある意味魔物よりも厄介だった。
「うわっ、クソっ!」
蜘蛛の糸を絶ち切ろうとしていた治安隊の兵士が、次々に垂れ下がって来た糸に絡め取られ、蜘蛛の元へと手繰り寄せられて行く。
糸に巻き付かれ足場のない不安定な中で果敢にも剣を蜘蛛へと向けた兵士だったが、攻撃もまた糸に封じられ、ガツンと頭を脚で打たれる。
「いやぁぁぁぁっ!」
その一撃で、兵士の首が落とされた。
足元に転がってきたものを、兜だけだと信じて疑わなかった女性だったが、こちらを向いたそれと目が合い、絶叫する。
今や、広場にいる者たちは蜘蛛の獲物に他ならなかった。糸を巻いて手繰り寄せるだけでなく、蜘蛛は地上に降りて人々に襲いかかっていく。
「贄だ。贄を用意する! だからどうか、他の者に手を出さないでくれ!」
学長の声がしたかと思うと、ギーゼラが肩を掴まれて舞台中央へ引き倒される。
「あうっ!」
ギーゼラと手を握り合わせたままのアメリアもまた、同様にして倒れることとなった。
「彼女は……彼女たちはまだ見習いの段階だが神子であることに変わりない。足りなければここにいる神子全員を捧げる。どうかそれで許して欲しい!」
ギーゼラの顔面が蒼白になる。他の新人神子たちも愕然とした様子で学長を見つめた。
いずれはそういった役目を与えられることを認識していたが、まだその覚悟までは出来ていない。
天遣族の元で能力を高めるまでは、彼らは庇護される側である筈だった。差し出されるならば子供たちではなく、役目を免れていた大人たちが優先されるべきであったというのに、教員たちも他の新人神子たちを舞台中央へと乱暴に引き摺り、急いで舞台の柱の裏などに身を隠すのだった。
蜘蛛たちは学長の言葉を聞き入れたのか、人を襲うのをやめてジッと神子たちに八つの目を向ける。
やがてモゾリモゾリと迫って来る蜘蛛の群れに、神子の中には失神して倒れた者もいた。
「どうして……こんな……」
ギーゼラが掠れた声をあげる。頬に涙が伝っていた。アメリアの手を握る力は強く、最期まで共に在ることだけを救いとしているようだった。
学長の姿もいつの間にか消えていた。逃げることは叶わない故に、やはり何処かに身を潜めたのだろう。
もう正面にまで蜘蛛は迫っていた。
誰も精霊の力を借りて魔物を滅しようと奮起する者はいなかった。皆、二十程いる蜘蛛の餌食となるその時を待つしかないのだと絶望していた。
「――――」
アメリアは蜘蛛に背を向ける形でギーゼラの前に移動する。
手を離さぬままであったから、立ち上がることもなく膝でぎこちなく動き始めたアメリアの意図を知り、ギーゼラは瞳を揺らしてアメリアを見た。
「異変を知って、外から助けが来るかもしれない。私が時間稼ぎになるから」
残酷とも思える希望の言葉。だが、アメリアはどうしても彼女を助けたかった。自分が年上であるから下の子を守るのは当然だと思っていたし、鈍臭いところのある自分と仲良くしてくれた初めての友人だからだ。
「っっ」
そんなアメリアの腰の辺りに、コツリと当たるものがあった。
途端にザワリと背筋が総毛立つ。
一匹の蜘蛛がアメリアの背中に登ろうとしているのだ。
ワサリ、と重さを加えながら背中、そして肩へと移動する気配。アメリアは怖気を堪えて動かない。握り合う指を離そうとするのだが、固く握られている為にかなわない。
ギーゼラが両目を溢れんばかりに見開く。彼女の瞳は覚悟を決めた友人ではなく。ギチギチと牙を鳴らして友人の背中を這い上がったものに定められていた。
赤子程の大きさのものである為、その重さもまたそれなりになる。故にアメリアはフードを被った頭上にまで届いた負荷に、俯くしかない。
蜘蛛は、ギーゼラの眼前にその姿を晒した。
「――――っ!!」
固く握られていた手が離され、勢いよく突き飛ばされる。
アメリアの視界にギーゼラの恐怖に歪んだ顔が見えた。
あっ、と声をあげる間に、アメリアの身体は舞台から落ちていく。
しかし、彼女自身がそうなることを認識するより先に、アメリアの頭を台としてギーゼラへ飛び掛かろうとしていた蜘蛛の体が二つに割れ、地面に叩き付けられる筈だったアメリアの身体は、何者かによって抱き止められた後、蜘蛛の群がる舞台から距離を置いたところで立たされた。
「――?」
それらは一瞬と言える程の時間に起きたことであった為、事態を整理する間もなく続く衝撃的な光景に頭の中を真っ白にさせる。
アメリアを助けたと思われる少女らしき姿が、彼女を庇うようにこちらに背を向けている。その薄汚れた黒く質素なワンピースの裾から、鋼で出来たような長い鎖状の尾が伸び、ゆらゆらと揺れる先には三日月型の鎌のようなものがあった。
――そして。
「あらあら、困りましたわね。折角の饗宴に邪魔が入ってしまうだなんて」
妙におっとりとした、艶めいた声が降りてくる。
民衆の悲鳴も啜り泣きさえも途切れ、また蜘蛛たちも動きを止めたようで息をひそめた静寂が辺りを支配する。
陽光の反射でのみ目視が可能な糸を使ってか、天空から舞い降りた翼のない神の御遣い。そう錯覚してしまいそうになる程に美しい女性――成人したかしていないかといったあどけなさを残している――の降臨に、恐怖すら忘れて目を奪われてしまう。
「人族を庇うだなんて、おかしな方がいらしたものですわね。随分と荒んだ生活をなされておいでのようですから、人族に恩を売って糊口を凌ぐおつもりなのかしら? でしたら人族よりもわたくしたちについた方が利口でしてよ? 同じ魔族として歓迎致しますわ」
!!
魔族。その言葉を聞いて衆人が声にならない絶望の色を示した。
或者は気を失って倒れ、或者はその場に座り込んで失禁し、また或者は全身を痙攣させて倒れる。
気が触れたのか、顔を引きつらせながら笑い出す者もあった。蜘蛛が現れた時と同様に泣き出す者はいたが、自身が助かる為に誰かをけしかけようとしたり罵声を浴びせたりする者はいない。
蜘蛛だけであれば魔物として討伐されるだろう可能性があり、彼らは「外」からその討伐隊が来るのを待てば良かった。だが魔族となると話が違う。天遣族でなければ退けることすら不可能だろう。
「このこは、だめ」
見た目はアメリアと変わらない年齢に思えるワンピース姿の少女が、舌ったらずで幼い子供のような声を出して頭を振った。
「ロミー、このこまもるいわれた。だからたべない」
「…………あなた、従魔ですの? 魔族であることを捨てて人族についた、と……? いいえ、そんなことは有り得ませんわ。まさか――」
たどたどしい言葉であった為、耳にした多くの者はそれを理解出来なかった。否、それよりも魔族を――魔族堕ちした神子ではなく真性の魔族だ――目にしているという衝撃が思考能力を麻痺させ、仮に少女が明確に話していたとしても反応は変わらなかったかもしれない。
一方で、少女の言葉の意味を理解した彼女は、信じられないといった様子で少女を見つめる。
そんな中、数十匹といる蜘蛛たちは、獲物を狩ることをやめて女性の後方に集まっていた。
貴族が夜会にでも出るような姿――ペチコートを何枚も重ねることで膨らみを持たせた紫色のドレスだ――をしている所為か、蜘蛛を従えた女王のようである。
しかし、その印象は決して間違ったものではなかった。
蜂蜜色の髪は左右の耳元の部分だけでくるんと弧を描いており、あとは真っ直ぐで腰の近くまで伸びている。翠玉の瞳は何処か好戦的で挑発的。薄めの赤い唇に高い鼻梁と完璧なまでに整ったその貌は、崇めたくなるような高貴さを漂わせている。自ら魔族であることを明かした彼女が蜘蛛を従えさせられる理由はただ一つ。
「たとえ、あなたが従魔で、その主がどのような方であっても、わたくしには問題ありません。この『八脚』の女王……代理に敵はおりませんもの」
嫣然と微笑みながら言い放つ女性に対し、ロミーと名乗った少女は緊張したようにワンピースの裾を握りしめた。
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