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第6話『幸せ写真の裏側(前編) -“いいね”が祓えない祈りもある-』
しおりを挟む朝の桝川には、いつもの湯気と、出汁の香りが立ちこめていた。
カウンターでは、モモカが朝からタバコ片手に新聞を広げている。
紫煙がゆらゆらと天井に向かって立ち上る中、彼女の目は活字を追いながらも、どこか上の空だった。
隣には鷹津麗。すっぴんに近い顔でスマホをいじっていたが、その指先は妙にせわしなく画面を滑っている。
「……見てこれ。なんや最近、"結婚しました報告"の投稿ばっかりやで」
モモカが鼻で笑う。その声には、朝の静寂を破るような乾いた響きがあった。
「朝っぱらから"幸せアピール"かいな。だる。」
鷹津がスマホの画面を傾けてくる。
青白い光に照らされた画面には、どれも式場や指輪のアップ写真が並んでいる。
背景には、同じような白いチャペル、同じようなブーケ。
まるで型にはめたように均一な"幸せ"の形が、無機質に羅列されていた。
「なぁ麗。結婚って、ええもんなん?」
モモカの問いに、鷹津は少しだけ目を泳がせた。
スマホを握る指先が、わずかに強張る。
すぐに笑って肩をすくめるが、その笑顔の端に一瞬だけ、言い知れない陰が差した。
「さぁなぁ。でも、悪くないとは思うで。"ちゃんと選んでくれる人"がおれば、の話やけどな」
その言葉を聞いたモモカは、手に持ったタバコを見つめた。
先端の火が小さく揺れている。
彼女は黙って、灰皿にタバコを押しつけた。
ジュッと小さな音が響き、最後の煙が細く立ち上った。
「うちはもう、ええわ。結婚ってのはな、"しあわせ写真"の裏に地獄抱えてんのが普通や」
少しだけ寂しそうに呟いたその横顔を、鷹津はちらりと見た。
モモカの表情には、過去の記憶が薄く影を落としている。
鷹津はそれを察したが、あえて何も言わなかった。代わりに、自分のスマホ画面に視線を戻す。
その時だった。
「ちょ、ちょっと! これヤバいっすよ!」
カウンターの端にいたツバサがスマホを振り上げ、画面を指さして叫んだ。
その声は店内の静寂を一気に破り、モモカと鷹津の視線が一斉にツバサに向いた。
空気が変わる。重く、不穏な気配が漂い始めた。
「#結婚祈願」「#いいね祟り」「#入籍まで秒読み」
SNSのトレンドに並んでいたのは、奇妙な"幸せ"の連投だった——
「これ、見てくださいって! #幸せになれる婚活セミナー ってタグで、今バズりまくってるんすよ!」
ツバサの興奮した声が店内に響く。
彼女のスマホ画面には、いかにもキラキラした婚活セミナーの様子が映し出されている。
参加者たちは皆、満面の笑みで、理想の相手と出会えたかのように、幸せそうに写真に収まっていた。
しかし、動画が進むにつれて、ツバサの顔から興奮が消えていく。
眉間に皺が寄り、表情が困惑に変わった。
画面を見つめる彼女の瞳に、次第に不安の色が浮かんでくる。
「……なんか、この動画、おかしいっす」
その言葉に、静流がスマホを覗き込む。
彼女の冷静な目が画面を捉えると、すぐに異常を察知した。
動画を一時停止し、静流の指が画面をなぞる。
その指先は、まるで見えない境界線を辿るように慎重に動いた。
「……この背景、歪んでますね。よく見ると、現実空間に"別構造"が被さってるように見えます」
静流の声は、いつもの淡々としたトーンだが、その奥にかすかな戸惑いが滲んでいる。
たかしも鍋をかき混ぜる手を止め、振り返った。
彼の顔には、長年の経験から来る直感的な警戒感が浮かんでいる。
「ほう。ズレとる、っちゅうことか」
鷹津が画面に食いついた。
記者としての嗅覚が、違和感の正体を探ろうとする。
彼女の目が細められ、集中して画面を見つめる様子は、獲物を狙う猛禽類のようだった。
「しかもこの"幸せ写真"の投稿者、みんな違う人なのに、全員同じチャペルで撮ってない? 新郎も新婦も微妙に顔違うのに、構図だけが完璧に同じなんだけど。見て、このブーケの花の色。動画ごとに微妙に違うのよ。これ、色補正とかじゃない、なんか根本的なズレを感じる」
鷹津の指が画面上を素早く動く。彼女の分析は的確で、違和感の核心に迫っていく。
ツバサが焦ったように身を乗り出した。
「そうなんすよ! しかもこれ、数日前まで『恋人できた!』って喜んでたアカウントが、急に『既婚者になりました!』って報告してるっすけど、たぶんこれ、『既婚になった記憶』が後付けされてるっす!」
動画の司会者が映し出された瞬間、静流の指が再び一時停止ボタンを押した。
画面が止まると、司会者の目が一瞬だけズレて、黒く光るカットが確認された。
その刹那、動画から不気味な"チリン"という鈴の音が聞こえた気がした。
店内の全員が、同時に身を竦めた。
その音は、現実のものとは思えないほど冷たく、どこか別の世界から響いてくるようだった。
よく見ると、司会者の拍手と参加者の動きに、ごくわずかなタイムラグがある。
まるで、別々のレイヤーが重なっているかのように。時間の流れそのものが、微妙にずれている。
「これは……記憶じゃない。匂わせですね。幻視に近い」
静流が、まるで自分に言い聞かせるかのように小さく呟いた。
その声には、冷徹な分析の中に、わずかな困惑が滲んでいる。
彼女の手が、無意識のうちに自分の胸元を押さえた。
「……そして、どうやら参加者全員が、共通の記憶を共有しているようですね。この異常な一致は、現実ではあり得ません」
静流はスマホを操作し、さらに情報を引き出す。
画面に映る情報を整理しながら、彼女の表情はますます険しくなっていく。
「この式場、言埜市郊外の**『ローズチャペル』**ですね。すでに数年前に廃業しているはずですが、映像の中では現役で運営されているように見えます」
ツバサがスマホの検索履歴を見せる。
その画面には、無数の検索結果が表示されているが、どれも決定的な情報には辿り着けていない。
「現場に行った人のレポ、ゼロっす。でも『参加者募集中』のURLだけが、Xやインスタで拡散され続けてるっす。なんか不気味っすよね」
「なるほどねぇ……」
鷹津がニヤリと笑った。
その顔には、いつもの俗っぽい好奇心が浮かんでいるが、同時に何か危険な輝きも宿っている。
彼女の瞳が、獲物を前にした狩人のように鋭く光った。
「こういう胡散臭い場にこそ、"麗式祓術"が映えるんやで? SNS映えもバッチリやし、これは特ダネ確定よ。それに、ズレてるのは婚活じゃない、愛そのものやろ?」
モモカが眉をひそめて、鷹津を睨む。
その目には、友人への心配と、鷹津の軽率さへの苛立ちが混じっていた。
「おい、それが本音か、このクソ女。また面倒なズレに首突っ込む気か?」
鷹津はひらひらと手を振った。
しかし、その動作の中に、わずかに緊張が混じっているのをモモカは見逃さなかった。
「いやいや、ほんまのとこ、最近リアルで結婚とか見てないからさ……人間がどうやって結婚するのか、ちょっと観察しとかな、祓い損ねる気がしてな。……前に似た式場で、祓えなかったことがあるんよ」
鷹津の表情から一瞬、いつもの軽さが消えた。
遠い目をして、どこか苦々しげに呟く。その一言が、場の空気をわずかに凍らせた。
店内に重い静寂が落ちる。
「それに、この手の『幸せ詐欺』は、ある意味で現代社会の最大のズレでしょ? 祓い屋としては見過ごせないわけよ」
たかしがモモカと鷹津のやりとりを横目に、深いため息をつく。
その息には、長年この業界にいる者だけが知る、深い諦めと心配が込められていた。
「……お前、それズレの香りするぞ? ネタに飢えすぎや、鷹津」
鷹津は涼しい顔で、スマホを操作しながら答えた。
しかし、彼女の指先が微かに震えているのを、静流は見逃さなかった。
「大丈夫だって。ほら、見て。私にも『ローズチャペル』の参加者募集の広告、今来たばっか。向こうから誘ってくれてるんだから、これ、運命ってやつでしょ?」
その時、静流が持っていたノートパソコンの画面が、一瞬だけチカッと光った。
その光は異様で、まるで別次元からの信号のようだった。
画面には、静流自身がウェディングドレスを着て、見知らぬ男と幸せそうに微笑む写真が映し出され、すぐに消えた。
写真の静流の目だけが、不自然なほど黒く、焦点が合っていなかった。
まるで、魂が抜け落ちたような虚無の表情。静流の顔色が青ざめ、血の気が失せていく。
「今……私のPCに……」
彼女は言葉を失った。
手が小刻みに震え、息が浅くなる。
モモカが静流のPC画面を覗き込む。
その瞬間、モモカの表情も強張った。
「……お前、なんか写ってるぞ? それ」
モモカの言葉に、静流の表情はさらに強張った。
彼女の理性的な思考が、現実を受け入れることを拒んでいる。
数時間後、鷹津が桝川で定食を平らげていると、彼女のスマホに通知が届いた。
その音は、いつものメール音とは微妙に違う、どこか不協和音めいた響きだった。
画面を見ると、**『ローズチャペル婚活セミナー:特別招待』**の文字が金色に輝いている。
だが、その内容は奇妙だった。
日時不明、場所不定——「開催の24時間前に詳細を通知します」とだけ記されている。
変則時空型イベントの招待状だ。文字が画面上で微かに揺らめいているように見える。
「これって……」
鷹津の顔から、いつもの飄々とした笑顔が消えた。
スマホの画面は、確かに彼女を"招待"している。
その文字は、まるで生きているかのように脈打っているように見えた。
それは、もはや逃れられない、確かなズレの気配だった。
「やっぱ、ズレてるわ……」
彼女の呟きが、静かに桝川の店内に響いた。
その声には、諦めと、わずかな恐怖が混じっていた。
---
その日の夕暮れ。桝川の店の外。
たかしが暖簾を仕舞おうとした時、店の前に一人の老婆が立っているのが見えた。
彼女は、どこから持ってきたのか、古びた紙の招待状をぎゅっと握りしめている。
その紙は黄ばんで、まるで何十年も前のもののようだった。
老婆の顔は無表情で、虚ろな目。
瞳孔が異常に開いて、まるで何かに操られているかのように、桝川の店をじっと見つめている。
その視線は、生きている人間のものではなかった。
カラクサが、たかしの足元で、小さく唸った。
普段は人懐っこい彼の毛が逆立ち、警戒のポーズを取っている。
「ズレの臭いが……紙くせぇ……」
老婆は、ゆっくりと口を開いた。
その動作は機械的で、人形のようだった。
声は、ひどく掠れていて、まるで遠い過去から響くよう。
風もないのに、老婆の髪が微かに揺れている。
「……お返しにきました」
その言葉と共に、老婆のシルエットが、招待状を握りしめたまま、夕闇の中に溶けていく。
まるで最初からそこにいなかったかのように、静かに消失した。
たかしは立ち尽くし、カラクサは鼻を鳴らして不安を表す。
SNSの拡散だけではなかった。
ズレは、すでに現実世界にも、その冷たい手を伸ばし始めていたのだ。
---
「なぁ麗。結婚って、ええもんなん?」
不意にこぼれたモモカの問いに、桝川の空気がふっと止まった。
ツバサがスマホ越しに動画を眺めたまま固まり、静流が食器を拭く手を止めた。
時間が一瞬、静止したような静寂が訪れる。
「え? 急にどしたんモモカ姉」
モモカは背をもたれたまま、天井を見つめていた。
その目には、遠い記憶の影がゆらめいている。
「この頃、結婚のCMとかよぉ目に入ってくるんよ。
みんな笑ってるやろ? けど、あんなん嘘やで。あんなもん、続くわけない」
ふっと、苦い笑みを浮かべた。
けどその笑みに、どこか遠い過去を思わせる影があった。
彼女の指が、無意識のうちに薬指を撫でる。
「アンタ、それ言いながら一回指輪外すの忘れて揉めてたやんけ」
鷹津がぼそっと呟くと、モモカは舌打ちして睨んだ。
その睨みには、触れてほしくない過去への警告が込められている。
「それはええやろ、忘れてたんやから」
「……ま、あたしは興味あるけどな、"結婚"てやつに」
鷹津がスマホを閉じながら、ぽつりと呟く。
その声は、いつもの軽さとは違う、どこか真剣な響きを帯びていた。
「麗?」モモカが眉をひそめた。
「だってさ。人間の形の完成形って、やっぱ"誰かと生きる"ってやつなんちゃうん? その幻想を、ちょっと見たいやん」
言い終えた鷹津は立ち上がり、ニヤッと笑った。
しかし、その笑顔の奥に、複雑な感情が渦巻いているのをモモカは感じ取った。
「ま、そんなズレた幻想が詰まった場に行くのは、うちの"麗式祓術"の見せ場やろ。潜入、うちがやるわ」
「また勝手に……」モモカが呆れたようにため息をつく。
だがその目の奥に、ほんの少しだけ揺れる心配の色が見えた。
長年の付き合いから来る、深い友情と不安が混じった複雑な感情。
「映像なんかじゃ空気のズレまでは伝わらん。"現場"に行かなわからんこと、あるからな」
鷹津がそう言い残して店を出ようとしたとき、モモカがぽつりと背中に投げかけた。
その声は、いつもの強がりとは違う、素直な心配の表れだった。
「……気ぃつけや。そこ、"戻れんズレ"あるで」
鷹津の足が一瞬止まった。
振り返らずに、小さく手を振って店を後にする。
夕暮れの街に、彼女の姿が消えていく。
残された桝川の店内に、重い沈黙が流れた。
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