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第7話『幸せ写真の裏側(後編)-偽りの祝福、地獄に還す』
しおりを挟む純白のチャペルに、柔らかい陽光がステンドグラスを通して降り注ぐ。
"ローズチャペル"婚活セミナー会場は、参加者たちの朗らかな笑い声に満ちていた。
全員が笑っている。
しかし誰の目も笑ってはいなかった。
鷹津は、この日のために用意した派手めなワンピース姿で、その場に溶け込んでいる。
周りの参加者と同じように、にこやかに微笑んではいるが、胸の奥にはどこか居心地の悪さがつきまとっていた。
「さあ皆様! 理想の未来へ導く婚活診断の始まりです!」
司会者の甘く響く声が、会場にこだまする。
スクリーンには「あなたの理想の相手は?」と題された質問が次々と映し出されていく。
「お相手の性格は?」「共通の趣味は?」「初めてのデートはどこでしたか?」
質問は、まるで参加者一人ひとりの記憶や嗜好をなぞるかのように、細かく、そして個人的な内容に踏み込んでくる。
鷹津も、促されるままに質問に答えていった。
心の中で、かつて自分が思い描いた「理想」を、何の気なしに語っていく。
その答えに応じて、"理想の相手"がマッチングされるという。
会場の照明がゆっくりと落ち、スポットライトが一人ずつを照らし出す。
そして、鷹津の前に現れたのは——
すらりとした長身、少し癖のある髪、柔らかな眼差し。
それは、鷹津が過去に思い描いた"理想"を、まるで加工・再生したかのような男だった。
その男は、鷹津の目を見つめ、優しく微笑む。
「……あの時、こうやって言われたら、私も変われてたんかな」
鷹津の表情が、少しずつ緩む。
男の言葉、仕草、そして会場に満ちる柔らかく甘い空気。
それは、彼女の心の奥底に眠っていた、叶わなかったはずの「理想」を寸分違わず再現しているかのようだった。
その甘さに、知らず知らずのうちに心が傾いていく。
ふと、会場の隅にある大きな鏡に目が留まった。
そこに映る自分を見て、鷹津はハッとした。
自分が着ている派手めなワンピースが、いつの間にか、純白のウェディングドレスへと"変化"していることに気づいたのだ。
それは、鷹津が心の奥底で、密かに憧れ続けていた**「彼女の理想像に最適化された」完璧なドレス**だった。
会場の空気は、甘く、柔らかく、そしてどこまでも心地よい。
だが、その完璧な空間の中で、時間の流れが妙に遅く感じられ、司会者の声や参加者の笑い声の音の位相が、わずかにズレていることに鷹津は気づいた。
まるで、現実から切り離された別世界にいるかのようだ。
その瞬間、彼女の脳裏に、あの忌まわしい記憶がフラッシュバックした。
——数年前の、似たような式場。祓いきれなかった"ズレ"。幸せの渦中で、突如として人々が狂い、崩壊していった白い花弁に散った紅い色の惨状。
「……ここはズレてる」
その一瞬だけ、鷹津の記者の目が、空間の異様さを正確に捉えた。
だが、すぐに場の"祝福ムード"が、彼女の意識を甘く包み込み、再びその歪んだ幸福感へと引きずり込もうとする。
「さあ、理想の未来へ!」司会者の声が、祝福の鐘のように響いた。
式場の壁が、まるで熱で歪むかのように一瞬ブレた。
次の瞬間、チャペルの大きなガラスが震え、ヒビが入る。
それまでの甘く柔らかな空気が一転、ひんやりとした不穏な冷気が場を満たした。
その隙間を縫うように、一陣の黒煙がチャペルに突入してきた。
煙が晴れると、そこには使い魔のカラクサが、漆黒の毛を逆立て、獣のような唸り声をあげて立っている。
「オイ、ズレ臭がひでぇぞここ! 麗(れい)、目ぇ覚ませや!」
カラクサの低い声が、チャペル全体に響き渡った。
参加者たちは突然の乱入者に困惑し、ざわめき始める。
だが、誰も事態を正確に理解できない。
司会者は、相変わらず完璧な笑顔を張り付けたまま、冷静に対応しようとマイクを握りしめている。
その直後、チャペルの入口の扉が、ドォン! と轟音を立てて内側から蹴破られた。
扉の破片が飛び散る中、煙を上げるような勢いで、葛城モモカが堂々と姿を現した。
ジャージ姿の彼女の顔には、不機嫌そうな苛立ちが浮かんでいる。
「待たせたな、クソ野郎ども。こっちは祓い屋、参上つかまつり、やで」
モモカが懐から取り出した何枚もの符札を、宙に放り投げる。
札は光の粒子となって空間に散らばり、チャペル全体を覆い尽くした。
すると、それまで陽光のように降り注いでいた光の粒子が、その正体を暴かれたかのように歪み、空中を漂うブーケや、天井から降り注ぐ無数の光の筋が、一瞬で歪んだ幻影として"視える化"された。
それは、現実には存在しない、精巧な幻影の結界だった。
「ひっ……!」
鷹津麗は、目の前で起こった光景に、思わず息を呑んだ。
それまで夢のように完璧だった空間が、まるで薄い膜が剥がれ落ちたかのように、醜く、不気味に歪んで見えた。
自分の隣にいたはずの「理想の男」も、煙のようにかき消えていく。
自分が、甘い誘惑にまんまと乗せられていたことを悟り、鷹津は呻いた。
「ウチ、まさか……こんな現実に、誘導されてたんか……」
モモカは、愕然とする鷹津に、冷めた視線を向けた。
「見せられてたんは、お前の"なりたかった理想"や。それがズレや。現実逃避しとった脳ミソ、はよ叩き起こせ」
モモカの言葉は容赦なかった。
だが、その言葉こそが、鷹津を"夢のような空間"から引き戻す、唯一の現実だった。
「あとは祓うだけや」
モモカは符札棍棒を構え、チャペルの中央へと足を踏み入れた。
カラクサが、彼女の足元を警戒するように巡回している。
この歪んだ祝祭の空間を、今から彼女がぶち壊すのだ。
カラクサは、モモカが放った符札によってその正体を暴かれた空間の歪みを、鋭い眼光で分析していた。
黒煙を纏った体は、微かに震えている。
「おい、モモカ。これ、結界ちゃうぞ。もっとタチが悪ぃ」
カラクサが低い声で唸る。その声には、明らかな嫌悪感が滲んでいた。
「これはな、記憶浸蝕型の現実改ざんループや。時間も空間も、ぐちゃぐちゃにされた偽物だ」
カラクサの言葉が響く中、チャペルの参加者たちの顔が、少しずつ、まるで粘土のように歪み始めた。
一人ひとりの表情が、見る見るうちに**"同じ顔"になり、口元から"同じセリフ"が、そして"同じ笑顔"**が貼り付いたように現れる。
彼らは皆、操り人形のように無言でスマホを操作し、幸せそうな自撮りを繰り返している。
「嘘……」
鷹津麗は、その光景に目を見開いた。
彼女の記者の目が、ようやくその異様さの核心を捉える。
「全部……写しや……誰も本物やない……!」
誰もが同じ顔、同じセリフ、同じ笑顔。
そこに、個としての人間は存在しない。
ただ、「幸せな結婚」という記憶だけが、無限にループする、悍ましい幻像だった。
「こんなもんに騙されてたんか、ウチが! この鷹津麗が! 許せへん、マジで!」
鷹津の顔に、怒りが湧き上がる。
自らの知性を侮辱されたかのような、純粋な反撃の炎だった。
その時、司会者が、不気味なほど完璧な笑顔を張り付けたまま、鷹津とモモカにゆっくりと近づいてきた。
その顔は、鷹津の目の前で、ぬるりとズレて、黒い目が現れる。
まるで、人の皮を被った別の何かが、内側から覗いているかのようだ。
「……これは、門主のご意思ですので」
司会者は、感情のない、静かな声で告げた。
その言葉が、チャペル全体に響き渡る。
その言葉を境に、空間が黒く染まり始めた。
純白の壁は剥がれ落ち、豪華なシャンデリアは朽ちた鉄骨へと変貌する。
光り輝いていたステンドグラスは、ひび割れた窓枠となり、チャペル全体が、見る見るうちに廃墟の姿へと戻っていく。
夢のように完璧だった幸せの空間は、一瞬にして、現実に存在する荒れ果てた廃墟と化した。
「門主、やと……? どこの門が開いとんねん、アホか」
モモカが符札棍棒を構え、警戒するように周囲を見回した。
その顔には、苛立ちと、かすかな怒りが浮かんでいる。
鷹津は、その「門主」という言葉に、何か引っかかるものを感じていた。
頭の奥で、微かに何かが警鐘を鳴らす。
「でもな……なんかその名前、どっかで……」
彼女は、はっきりと口にはしない。
だが、その瞳の奥には、新たな謎への好奇心と、得体のしれない不穏さが揺らめいていた。
このズレは、ただの怪異では終わらない。
背後に、より大きな存在が潜んでいることを、二人は確信し始めていた。
「門主のご意思……ふざけたこと言うとるな!」
モモカは、腐符(くされふ)を手に司会者へと向かっていく。
司会者の顔は、完全にズレた黒い目のままだ。
その体からは、粘り気のある瘴気がどろりと漏れ出している。
モモカは迷わず、その中心に狙いを定めた。
「浮かれた幻想、全部この札で蒸発させたるわ!」
モモカが叫ぶと同時に、腐符が、司会者の体を青白い光と炎で包み込む。
司会者は悲鳴をあげることもなく、まるで霧散するようにその場から消え去った。
しかし、司会者が立っていた床には、焼けたような**"黒い目の印"**だけが、焦げ跡のように残されていた。
その瞬間、モモカは素早くチャペルの結界の根本、祭壇の裏手に隠されていた呪符を符札棍棒で叩き込んだ。
ドォン!と重い音を立てて、空間全体が激しく揺れ始める。
それまで会場に満ちていた柔らかい光も、甘い空気も、全てが歪み、**"祝福の嘘"**が崩壊していく。
天井のシャンデリアが音を立てて崩れ落ち、壁はひび割れ、虚ろな隙間から灰色の空が覗いた。
その頃、チャペルの外では、カラクサが素早く周囲のネット空間へと干渉していた。
その黒い影が、チャペル全体を覆うように広がる。
「ネット干渉遮断! 承認欲求地獄、もう終わりだぜ!」
カラクサの低い唸り声と共に、SNS上の"幸せ投稿"連鎖がプツリと停止された。
参加者たちのスマホ画面から、呪符アプリのアイコンが消え、彼らの表情から虚ろな笑顔が消え去る。
影響が解除されたのだ。
「う、嘘……?」
完全に朽ち果てたチャペルの中で、鷹津麗が呆然と立ち尽くしていた。
天井からは埃が降り注ぎ、壁には醜いヒビが走っている。
あれほど完璧で、夢のようだった空間は、今やただの荒れ果てた廃墟と化している。
彼女のドレスも、いつの間にか元の派手なワンピースに戻っていた。
「ウチ、ほんまは……ちょっとだけ、信じとったんかもな。幸せって、誰かに決めてもらえるもんなんちゃうかって」
鷹津の口から、ぽろっと本音がこぼれ落ちた。
その声は、いつもの軽やかさを失い、どこか乾いていた。
モモカが、懐から煙草を取り出して火をつける。
紫煙が、崩壊したチャペルの空間にゆっくりと舞い上がっていく。
「そやけど、"地獄"は、笑って寄ってくるんやで?」
モモカの言葉は、冷たく、そしてどこまでも現実を突きつけてくる。
空がにわかに曇り、冷たい風が廃墟の中を吹き抜ける。
それは、まるで、祓いきれない"呪い"の影が、まだこの世界に残っていることを告げているかのようだった。
二人は、朽ちたチャペルの外へと足を踏み出す。
背後には、かつての祝福の場が、いまや見る影もない廃墟と化して残されていた。
「結婚」という甘い呪いが、この街に何を置いていったのか。
その問いは、まだ二人の中に、重くのしかかっていた。
桝川の暖簾が降りた夜更け。
看板の灯りだけがぼんやり残るなか、店内にはまだ片付けきれない食器と、空いた酒瓶が転がっていた。
「で? 結局あれ、なんやったん?“しあわせ婚活成就セミナー(仮)”ってヤツ」
鷹津麗が、缶チューハイ片手にカウンターに突っ伏していた。
ワンピースのまま、片足だけ脱げかけた靴をブラブラと揺らしている。
「どっちかいうたら、成仏未遂セミナーやろな」
モモカは片手で柿の種をばら撒きながら、気怠げに応えた。
「いやいや、祓ってくれたのは感謝してんのよ? でもなぁ、ウチちょっとだけ夢見たで?」
「それがズレや言うとるやろ。甘うなったアタマ、いっぺん湯せんしてこい」
「湯せん言うな!」
ツッコむ鷹津の背中を、背後からカラクサがトントンと前足でつついた。
「お前、あの時ドレスで回れ右しとったの、結構シュールやったぜ」
「言うな、思い出すやんけ……っ」
たかしが奥の台所からひょっこり顔を出す。
「はい、地獄祓い御一行様、冷奴と塩昆布でーす」
「つまみ渋っ!」
鷹津とモモカが同時に叫んだ。
「なに言うてんの、塩昆布は舌を現実に戻すアイテムやで」
「現実、しょっぺぇなぁ……」
鷹津がふぅと深く吐き出すと、酒の匂いがちょっとだけ涙の匂いに変わった。
「……でもな、マジでちょっと、あの空間に“選ばれたかった”んかもしれん、ウチ」
「選ばれへん方がええってこともあるで」
モモカの声は、珍しく柔らかかった。
一拍置いて、カラクサがぽつり。
「なぁ、“門主”って結局なんなんや?」
鷹津が缶をテーブルに置く。
カチンという音が、妙に静かな夜の中に響いた。
「さぁな……けど、きっと“ズレの親玉”やろな。幸せの顔した呪いや」
たかしが半笑いで、冷奴の豆腐をすくいながらボソリと。
「そのうち、そいつも桝川に食いに来るで」
「その時は――」
モモカが柿の種の袋をビリッと破る。
「一番しょっぱいヤツを、食わせたるわ」
全員、声を出さずに笑った。
扉の外では、夏の夜風が静かに鳴っていた。
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