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 ここはシライアという国だ。窓からの光が眩しい皇居のどこかの廊下。そこは通り過ぎる人がいた。彼女は。アデリーナ・ハートフィールド。彼女は聖女“だった”。つまるところ、今はもう聖女ではないということだ。

 彼女が聖女を辞めることになったきっかけはつい先日のことだった。

「よく来てくれた。アデリーナ・ハートフィールド」
「急にどうされたんですか?」

 急用がある、と言われて彼女がやってきたのは婚約者であるローラン・ベイヤー公爵の部屋であった。彼といえば、冷酷という言葉に尽きる。一度ミスした従事者を処刑したという噂が出るほどである。しかし、その実、彼は疑い深い性格ゆえに側に置く従者をそんな簡単には変えたりしない。確かに冷酷ではあるが、国民が恐るほど悪魔ではない。

 アデリーナは公爵の部屋に入るや否や、すぐに疑問を浮かべた。なぜなら、そこには妹がいたからだ。彼女は公爵の傍にいて妙に馴れ馴れしいように感じた。しかし、それを表には出さずに端的に用件を聞く。

「お前を聖女として迎え入れてから長い月日が経った。しかし、国は発展しているわけではない。その聖女の力、本物なのか?」
「証明するのは難しいですが、私の力は本物ですよ。現に発展もしていませんが、衰退もしていないでしょう?」

 アデリーナの言うことはごもっともであった。彼女のしていることと言えば先代の聖女がやっていたことの継承である。この国の安寧を守るためにあらゆるものから国を守る。それが聖女の役割であり、国が発展することとは無関係である。確かに先代の時にこの国は著しく成長した。しかし、それは元よりこの国が土地は荒れ、水も確保できなければ、食糧もないといった極地状態であったからであり、貧困国から普通の国になっただけだ。

 しかし、ローランはアデリーナの反論には耳を傾けなかった。

「お前に代わってグロウィンがこの国の聖女となることになった」
「はい?」

 アデリーナは耳を疑った。妹が聖女になる?

「妹は確か聖女の力を持っていないはずですが」
「随分前に聖女の力に目覚めたんだ」
「そんなはずは……」
「自分の目で確かめたのだ。私を疑うというのか?」
「いえ、そんなことは」

 そう言われたものの彼女はまだ疑問が残っていた。そもそも、聖女というのは後天性のものではなく、先天性のものである。だから、その言葉を聞いてますます疑問が湧いてくるが絶対的な自信を持つ公爵に言い返すことはできなかった。

「だから、お前はもう用済みだ。別の国に行ってもらう」
「……それはどこですか?」

 もうどうしようもないことを悟った彼女はただ受け入れることにした。

「遥か遠くにある荒廃した国デラートだ」
「デラート……」

 アデリーナは頭の片隅にある記憶を頼りにその国を思い出した。ここから馬車で三日ほどかかる場所にある国で、確か随分と衰退していたような気がする。その国にも公爵はいるが、最近ではその地位ですら、国民に落とされようとしている限界の国である。

「分かりました。それを受け入れます」

 彼女はすんなりと受け入れた。それは、ここにいてもどうしようもないということを知っていたからだ。今思えば、ここ一ヶ月の従者たちの様子はおかしかった。聖女の立場であるアデリーナに対してやけに高圧的でしまいには反抗さえして怪我を負わせた。そして、今まで日の目を見ることがなかった妹に対して優しく接しているように感じた。これはずっと前からこのことを決めて居場所をなくしていたかのように見える。アデリーナから見ればこれは本望ではない。妹が聖女ではないことは分かりきっているし、自分がここから離れれば国がどうなるか知っているからだ。ただ、今まで影でやっていたことが公爵の言葉によって無意味になってしまった今、ここに残るという選択肢を彼女は持てなかった。

「では、失礼します。公爵様」

 彼と二度と会うことはない。そんな意味を込めながら、アデリーナは公爵に背中を見せた。
 それからは早かった。用意されていたかのような迅速な対応で最低限の身支度を済まされ、国から出ることを命じられてから五時間もしないうちに出発する準備が整ってしまった。公爵が用意した馬車があったが、彼女はそれを使わずに何も知らない民間の馬車を使うことにした。国から追い出そうとする人を彼女はもう信用していないのだ。馬車を操縦する人が途中で止めて下すかもしれない。だったら、何の事情も知らない民間に頼った方がまだマシだ。

「はい、デラートまでですね。はい」

 ここにいた受付の人はさぞ驚いたことだろう。一日の大半を自室で過ごす聖女が一人でここにやってきたのだ。受付人は手や口が震え、想像できないほど緊張しているのが伝わった。デラートで何をするのかを伝えず、ただその国に行きたいと伝えるとすぐに馬車が用意された。公爵が用意したものとは違うところどころに使用感のある、それでいて安心する馬車に乗り込んだ。

 いざ、出発しようとした時、騒がしい足音が聞こえた。馬車の中から覗くと、そこには上品なドレスで身を包んだグロウィンの姿があった。

「どうしたんですか?」

 アデリーナは仕方がないと言った感じに我が妹に馬車の中から話しかける。グロウィンはにこやかな笑顔を浮かべながら、こう語った。

「聖女の仕事って簡単そうじゃない?それにあなたが公爵に愛されていないように感じたから奪っちゃった。新天地でもせいぜい長生き出来るように頑張ってね」

 最後まで妹の性格は悪だと姉ながらに思う。これが物語の中であるのなら、彼女はきっと悪役令嬢だ。しかし、悪役令嬢というのは物語の途中で深い後悔に襲われる。例に漏れず、彼女もまたアデリーナを国から追い出したことを後悔することだろう。別れの挨拶ともいえない妹との別れを経て、彼女はようやく荒廃した国デラートへと向かうことになった。
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