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第二章:記憶の温室
しおりを挟む温室の扉は軋んだ音を立てて開いた。
ニエルはリピカとともに、薄暗い廃墟と化した温室の中へ足を踏み入れる。かつて植物が育まれていたはずのそこには、もはや生命の気配はなく、乾いた蔓が絡まる骨組みだけが空を塞いでいた。
「ここも、誰もいなくなって久しいんだろうな……」
ニエルがぽつりと呟く。リピカは無言で頷き、温室の中央へと進んだ。そこには割れた鉢植えと、ひとつの机が残されていた。机には古びたノートが一冊、埃をかぶったまま置かれている。
「これは?」
「記録よ。ここにいた人々の、小さな記憶の断片。感情、日常、願い。世界が消える前に、それらを封じ込めておく
のが、私たち記録者の役目」
リピカがそっとノートを開く。中には、鉛筆の淡い線で描かれた絵と、たどたどしい文字が綴られていた。
「“今日は初めて花が咲いた。名前はよくわからないけど、きれいな青紫色だった”」
彼女が読み上げる声は優しく、だがその響きには悲哀が混じっていた。
「僕……こんな場所があること、全然知らなかったな」
「当たり前だよ。君は“生きていた”から」
「え?」
「記録とは、失われたものを拾い上げる行為。生きている者は、今を生きている。未来を見ている。これは過去の記憶、拾い上げられた……、終わりを迎える世界の記憶」
ニエルはしばらく黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「それでも、僕は知りたい。知って、残したい。こんなにも綺麗だったものを、僕は見逃していた。終わりだなんて、悔しいんだ」
リピカは穏やかに微笑んだ。
「君は優しいね。過ぎ去る世界のかけらを、大切に思える気持ちがある」
その瞬間、空気の温度が少し変わった。温室の割れた天窓から一筋の光が差し込む。その光は机の奥に隠れていた、もう一冊の小さな本に当たった。
「これは……?」
ニエルが手に取ると、その表紙には震えるような文字で、こう書かれていた。
《リリィの日記》
「リリィ……?」
リエルが隣から表紙に触れると、本がふんわりと光を放った。
「この場所にいた少女の名前。世界が崩れ始める前に、ここを去った子よ。君と同じくらいの年だった」
ニエルはその名を口の中で何度も繰り返した。
リリィ――かつて、この場所に確かに“誰か”がいた証。
崩れていく世界の中で、失われるはずだった声が、静かに彼の中に芽吹いていく。
そしてその時、どこからか優しい風が吹いた。
かすかに、ニゲラの香りが混じっていた。
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