最後の頁で君を待つ

ArcaWorks

文字の大きさ
2 / 10

第二章:記憶の温室

しおりを挟む

 温室の扉は軋んだ音を立てて開いた。

 ニエルはリピカとともに、薄暗い廃墟と化した温室の中へ足を踏み入れる。かつて植物が育まれていたはずのそこには、もはや生命の気配はなく、乾いた蔓が絡まる骨組みだけが空を塞いでいた。

「ここも、誰もいなくなって久しいんだろうな……」

 ニエルがぽつりと呟く。リピカは無言で頷き、温室の中央へと進んだ。そこには割れた鉢植えと、ひとつの机が残されていた。机には古びたノートが一冊、埃をかぶったまま置かれている。

「これは?」

「記録よ。ここにいた人々の、小さな記憶の断片。感情、日常、願い。世界が消える前に、それらを封じ込めておく
のが、私たち記録者の役目」

 リピカがそっとノートを開く。中には、鉛筆の淡い線で描かれた絵と、たどたどしい文字が綴られていた。

「“今日は初めて花が咲いた。名前はよくわからないけど、きれいな青紫色だった”」

 彼女が読み上げる声は優しく、だがその響きには悲哀が混じっていた。

「僕……こんな場所があること、全然知らなかったな」

「当たり前だよ。君は“生きていた”から」

「え?」

「記録とは、失われたものを拾い上げる行為。生きている者は、今を生きている。未来を見ている。これは過去の記憶、拾い上げられた……、終わりを迎える世界の記憶」

 ニエルはしばらく黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。

「それでも、僕は知りたい。知って、残したい。こんなにも綺麗だったものを、僕は見逃していた。終わりだなんて、悔しいんだ」

 リピカは穏やかに微笑んだ。

「君は優しいね。過ぎ去る世界のかけらを、大切に思える気持ちがある」

 その瞬間、空気の温度が少し変わった。温室の割れた天窓から一筋の光が差し込む。その光は机の奥に隠れていた、もう一冊の小さな本に当たった。

「これは……?」

 ニエルが手に取ると、その表紙には震えるような文字で、こう書かれていた。

《リリィの日記》
「リリィ……?」

 リエルが隣から表紙に触れると、本がふんわりと光を放った。

「この場所にいた少女の名前。世界が崩れ始める前に、ここを去った子よ。君と同じくらいの年だった」

 ニエルはその名を口の中で何度も繰り返した。

 リリィ――かつて、この場所に確かに“誰か”がいた証。

 崩れていく世界の中で、失われるはずだった声が、静かに彼の中に芽吹いていく。
そしてその時、どこからか優しい風が吹いた。

 かすかに、ニゲラの香りが混じっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰の街の灯火と、名もなき英雄

にゃ-さん
ファンタジー
「英雄なんて、もういらない」 滅びかけた異世界〈グレンヘイム〉に転生した青年リオは、過去の記憶と引き換えに“世界の欠片”を託された。荒廃した街、心を失った住人たち、光を信じなくなった国。だが、灰の中でも灯は消えていなかった。 リオは仲間とともに、滅びの真実を探す旅へ出る。 守るためではなく――“誰かをもう一度信じるため”に。 運命に抗う者たちが紡ぐ、再生と希望のファンタジー。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

令嬢失格な私なので

あんど もあ
ファンタジー
貴族の令息令嬢が学ぶ王都学園。 そこのカースト最下位と思われている寮生の中でも、最も令嬢らしからぬディアナ。 しかしその正体は……。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

魔力値1の私が大賢者(仮)を目指すまで

ひーにゃん
ファンタジー
 誰もが魔力をもち魔法が使える世界で、アンナリーナはその力を持たず皆に厭われていた。  運命の【ギフト授与式】がやってきて、これでまともな暮らしが出来るかと思ったのだが……  与えられたギフトは【ギフト】というよくわからないもの。  だが、そのとき思い出した前世の記憶で【ギフト】の使い方を閃いて。  これは少し歪んだ考え方の持ち主、アンナリーナの一風変わった仲間たちとの日常のお話。  冒険を始めるに至って、第1章はアンナリーナのこれからを書くのに外せません。  よろしくお願いします。  この作品は小説家になろう様にも掲載しています。

処理中です...