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第三章:鍵の眠る噴水
しおりを挟む日が傾きかけたころ、リピカはニエルを導いて、温室の裏手にある古い噴水へと向かった。苔むした石垣に囲まれたその噴水は、かつて生活を支えていた名残をとどめていたが、今では誰にも顧みられぬ静寂のなかにあった。
「ここも記録の場所なの?」
ニエルが問うと、リピカはゆっくり頷いた。
「ええ。でもここにあるのは“記録”というより、“封印”に近いわ」
彼女は噴水の縁に腰掛け、小さな砂時計のような装置を取り出した。光を受けて微かに輝くそれは、見慣れない形をしている。
「これは記憶の鍵。この噴水にもね、ある鍵の役目が与えられているの」
「……前に言ってた“記録する役目”?」
「それとは別。これは“選択”のための鍵。この世界を観測するために、過去の分岐点を読み解き選択する手がかり」
リピカは砂時計を噴水の縁に置き、指先でそっと触れると、砂は重力が反転したかのようにひとりでに上へと落ち始めた。
噴水にまだ残る水底から、小さな光が浮かび上がる。水ではなく、記憶の粒が揺らめくように、空間がかすかに歪んでいた。
ニエルは思わず息をのんだ。
「……なんだ、これ……」
「これは、この世界の“記憶の水面”。今の君になら、見えるはず」
覗き込む噴水の奥に浮かんでいたのは、かつてこの場所にあった日常の断片。笑い声、誰かの名前、手を振る仕草、風に揺れる草花の影。それらはすべて、過ぎ去った記憶の光景だった。
だが、その中心に、ひとつだけ異質な“影”があった。
濁った黒のような何かが、光の粒に混じってゆっくりと揺れていた。
「これ……なに?」
リピカの表情が、ほんの少し曇る。
「この世界の“裂け目”よ。記憶に残せなかった、記録から漏れた感情や出来事。そこには“真実”も“虚構”もない。ただ、残り香のように滞留するだけ」
「じゃあ、どうすれば……」
「触れてはだめ。でも、覚えておいて。記憶は綺麗な場所にあるとは限らない。むしろ、汚れて、隠されて、忘れられたところにも落ちてるものよ」
ニエルは黙って噴水を見つめた。
その奥底に揺れる光の粒が、まるで彼自身の記憶のように思えた。
「リピカ……この世界は、どうしてこんなふうに壊れたの?」
問いかけに、リピカはしばらく沈黙していた。
そして、ぽつりと答えた。
「それは、この世界が“誰かに望まれなくなった”から……かな?」
「え……?」
「忘れ去られること。それが、この世界にとっての“終末”」
ニエルの胸の奥が、ずしりと重くなった。
忘れられた世界。
忘れられた人々。
その残響の中に、彼は自分自身の声を探そうとしていた。
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