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第九章:忘却の図書館と終わる言葉
しおりを挟む扉の先にあったのは、限りなく広がる空間だった。
壁も天井もなく、まるで無重力のような浮遊感だけが全身を包み込む。
そこには、無数の本が漂っていた。
浮かび、回転し、すれ違い、またゆっくりと元の場所に戻る。文字の海。記憶の渦。
それは、かつて存在したすべての「物語」が保管された“図書館”だった。
「ここが……?」
「“記録の間”。この世界の全記憶が封じられた場所よ。君が生きてきた意味も、出会いも、全部、ここにある」
リピカの言葉にニエルは息を呑む。
「温室にもあったよね?」
「――道には、必ずその軌跡が残るのよ」
その時、彼の足元にぽつりと一冊の本が降りてきた。
タイトルはない。ただ、見慣れた色の表紙。手に取ると、それは彼自身の人生を綴った「本」だった。
ページをめくるたび、懐かしい光景や言葉、声が甦る。
家族の笑顔。友との日々。リピカとの出会い――。
だが、最後のページには、何も書かれていなかった。
「この本は……」
「君が“まだ選んでいない”未来を綴る余白よ。世界が終わろうとしているのに、君の記憶はまだ生きている」
リピカがそう言う時、周囲の本の中から、彼女の名を呼ぶ声が微かに響いた。
《リピカ……》
ニエルには聞こえなかった。
彼は本をそっと閉じ、彼女に向き直る。
目が合うと彼女は何かを諦めたかのようにほほ笑んだ。
「もしかして、君の役目はこれで終わりなの?」
「……ええ。本来なら、この図書館に全てを納めて、”私”は“記録”として眠るはずだった」
「でも、君はまだ僕の目の前にいる」
「それはきっと……あなたが私の名前を、呼び続けてくれたから」
リピカは微笑む。けれど、その瞳は、わずかな涙が浮かべたように潤んでいた。
「私の役目も、終わらせなきゃいけない。でも、あなたの存在が、少しだけ私を“揺らがせて”しまった」
ニエルは立ち尽くしたまま、何も言えなかった。
図書館の空間が、少しずつ崩れ始めていた。
棚が消え、文字が空に還っていく。
「この世界は、もう閉じる。だけど、あなたの記憶はアーカイブとして残る。もし誰かが、未来でこの本を手に取ったら……あなたの世界はもう一度、誰かの中で芽吹くわ」
リピカの体が、ゆっくりと光に溶け始める。
「待って……リピカ、まだ――」
ニエルが手を伸ばす。
彼女はその手をそっと握り、最後に呟いた。
「ごめんね、君の名前……もう、思い出せない……」
そして、リピカは静かに消えた。
ニエルの手の中には、小さな銀の鍵が残され、扉が現れた。
世界が音もなく崩れゆく中、彼は最後の一歩を踏み出す。
鍵を手に、ニエルは“扉の向こう”へと歩き出す。
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