幸薄女神は狙われる

古亜

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翌日の仕事も、そんなことがあっては手に付くはずもなく。
けどそういう日に限って、余計な電話が鳴ったり急な来客があったりする。
終わらせようと思っていた入力作業が終わった時に時計を見ると20時を回っていた。
残りは明日の朝早くきてやろうかな。凝り固まった肩をほぐすように伸びをすると、一緒に残っていた山下さんも少し送れて肩を動かす。

「私そろそろ帰るけど……」
「私もこれ打ち込んだら帰ります」
「藤倉さんも電車で帰るよね。こんな時間だし一緒に帰る?」

思わずはいと言いかけたけど、昨晩帰り際に三島さんに言われたことを思い出した。

『帰るときは送ってやるから連絡しろ』

……とはいえこんな時間だし、昨日の今日でそれ頼んじゃったら承諾したみたいになっちゃうんじゃ?
駅までは比較的人通りもあるし、自宅の最寄駅までは今帰れば山下さんと同じだ。
確か山下さんは私が降りる駅の3つ先くらいに住んでるはず。

「はい。あと10分くらいかかりますけど……」
「いいよ。私も作業あるし。キリがいいところで帰ろ?もう疲れた」

その言葉通り、私が入力を終わらせた頃に山下さんは帰る準備を終えていた。
手帳や筆記用具を鞄にしまいつつ、三島さんへの連絡をどうしようか考える。とりあえず、終わったので途中まで同僚と帰ります、でいいかな。
いや、そもそも必要なのか。
悩んでいるうちに、私は山下さんに促されるまま一緒に退社して、そのまま電車に乗っていた。
最寄駅で別れた時にはもう何かをする気力もなかった。
連絡のことを思い出したのは、駅前のコンビニですぐ食べられそうなサラダだけ買って、それをぶらぶらさせながら歩いているときだった。
もう今更だしな、と思いながらアパートまでの道をとぼとぼ歩く。それが失敗だった。
途中で誰かに会うこともなく、油断してた。
アパートに着いて階段を上がったら、誰かが私の部屋の前に立っていた。
隣近所の人の顔だったらなんとなく覚えてる。けど、この人は全く見覚えがない。
一旦引き返そうとした足音に、その人物は反応した。

「ああ、戻ってきた。君が例の」
「……どなたですか」

男は20代後半くらい。高級そうなスーツを身に纏った、一見すると高級車の営業とかが似合いそうな人。
とはいえこんな時間に人の部屋の前にいる時点で怪しい人だ。

「めちゃくちゃ警戒されてるな。三島の知り合いだよ」
「どなたでしょうか。知らないです」

やっぱり三島さんの関係者かと思ったけど、知らないふりをして踵を返す。
どうしよう。とりあえず警察?でも三島さんの知り合いなら三島さんに連絡した方がいいの?
アパートの階段を駆け降りて、とりあえず近所のコンビニとか人目のあるところに出ようと走る。
バタバタと足音がするから、さっきの男が追いかけてきているんだろう。

「うわっ!」

物陰から突然黒い影が飛び出してきた。たぶん猫か何かだろう。
とにかく、思わず足を止めた私はバランスを崩して尻もちをついた。
コンビニの袋が街灯の光の届かない暗がりに転がっていく。

「待ってよ。俺は君に忠告しに来ただけだ」
「知りません!」

怪しくないと両手を上げて近付いてくる男を睨みながら私は立ち上がる。
その時、男の背後に2つの灯りが見えた。車のヘッドライトだ。
車は私と男の真横に止まり、中からまた知らない男が降りてきた。

「抜け駆けはないだろう」

そちらは、大柄な男性だった。闇に溶け込むような黒いスーツは、その布の下の筋肉を強調するように張りつめている。

「ここに来たって事は叔父貴こそ、人のこと言えないと思いますよ」

2人は知り合いらしい。しかし仲は良くなさそう、むしろ悪そう。
けれど2人とも、ヤクザ。
スマホを出そうとポケットに指先を入れたけれど、震えてそれ以上動かない。

「わ、私はただの平凡な会社員です」

声まで震えて、裏返った。なんかこれもう自白してるだけな気がする。
それを肯定するように、車の営業風の男が口を開いた。

「いやいや、ただの平凡なカタギの会社員の女の子を取り込めなんて命令、会長がわざわざ幹部集めてするわけないでしょ。というか、三島から聞いてないの?」

男は私が経緯を知っていること前提で話をしている。
三島さんの言っていたことは、本当だった。

「ウチの連中、荒っぽいやつも多いから、こんなとこにいたらすぐ攫われちゃうよ……ってか叔父貴、いくら焦ってるからって歳の差少しは考えました?20以上って、さすがに橙子ちゃんが可哀想ですよ」
「お前こそ、嫁をもらうとか言ってただろ」
「事情を話したらわかってもらえたよ。俺の将来のためなら……って。俺には勿体ない子だったんだ。ってわけで、今は独り身」

何やら2人は言い争っている。
会話の内容から、なんか単に仲が悪いだけじゃない因縁を感じる。
というか、どうして争うの?取り込め、までは理解したくないけど理解した。手に入れるという目的を達成するだけなら、今ここで私を攫えばいい。
誘拐はさすがに未経験の不幸だから、数千円くらいの宝くじが当たるかもしれない。
というか、幸運が欲しいならたぶん、私を不幸にすればいいんですよ。私は嫌だけど。

「俺は会長のところに送り届けに来たんだ。引っ込んでろ若造」
「俺もそうですよ。先に来たのは俺です」

睨み合う2人、この間に逃げ出せるかとじりっと距離を取ろうとしたけど、当然向こうも気づいているので膠着状態になった。

「迎えに来ましたよ。藤倉橙子さん」

沈黙に割って入ったのは、3人目のヤクザ。少し離れたところに車を停めているその男は、私の腕を掴んだ。

「三島さんがお待ちです」
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