2 / 4
2
しおりを挟む
翌日の午後、といってもそろそろ仕事を片付けようかという時間になってから、安藤祐司は現れた。仕立ての良い紫のスーツに袖を通し、サングラスを掛け、秘書と思しき女性を連れ立ってやってきたのだが、
「彼女だよ。イブ、挨拶」
その女性こそが彼が「夏を教えてもらいたい」と言っていたアンドロイドだった。
「はじめまして、夏川様。イブです。安藤の恋人をしております」
六十度以上腰を曲げて丁寧にお辞儀をすると、彼女は安藤の三歩後ろに下がり、その位置をキープした。見た目は完全に人間の女性のそれだ。ただ表情がぴくりとも変化しない。人間の目というのは不思議なもので、動きのないものに対しては逆に違和感を覚えてしまう。
――汎用タイプか。
そう思った刹那、彼女が微妙に口角を上げた。微笑したのだ。そういった仕草は彼女が最新型の第七世代のAI搭載していることを示唆していた。
「プロジェクトのチーフをしている夏川です。宜しくお願いします。ところで安藤様。夏、と言うのはあまりに漠然としていて、もう少しこうはっきりとした学習目標があるとこちらも助かるのですが」
データにできない、実に抽象的な内容ほど、AI学習には向かない。表面上、人間がするように振る舞っていると見えることが多いけれど中身はどこまでいってもコンピュータでしかない。プログラムにより制御され、言葉や行動が出力されているだけだ。
AI学習の権威であるロジャー・カーネル博士はコンピュータによる意思の出力がAIの究極目標だと述べているが、そもそも意思とは何なのか、思考とはどんな仕組みで起こっているのか、まだまだ解明まで時間がかかるというのが凡その研究者たちの考えだった。
「先生さんよ。あんた、夏を知らないのか?」
「いえ、そういうことではなくて」
「夏ったら夏だよ。二人で夏を楽しみたいと思ってVRパークで遊んでいたら、夏が分からないと言い出したんだ。まさかそんな基本的なことも分からないとは思わなかったが、ロボットってのはそういうもんなのかね、先生」
ロボットとアンドロイドの違いについて主張するつもりはなかった。
「アンドロイド、その知能部分ですが、特に彼女に搭載されているAIはメティスの最新モデルだと聞いています。だからといって、彼女が人間の女性そのもののように振る舞えるかといえば、答えはノーです。あくまでコンピュータなので、計算や結果がはっきりしている工程については人間よりも優れているでしょうが、漠然とした抽象的な物事に対しては、まだまだ人間に遠く及びません」
「細けえことは分からないが、俺たちのように夏が来た、やれ冬が来たと、それに一喜一憂するような、そういうことはロボット様には無駄だってことかい?」
「無駄という訳ではなく、理解するのが困難だと言っているのです」
「じゃあ、夏は教えられないんだな? 不可能なんだな? 優秀な先生様をもってしても」
夏川の白衣の裾が柊有希によって強く握られた。いつの間にか拳を握りしめ、一歩、前進してしまっていたらしい。
「不可能ではなく、難しいと言っているだけです。いいでしょう。彼女に夏を教えます」
「そうだよ。最初からそう言ってくれればいいんだ。分かってるねえ、先生様よ」
サングラスを持ち上げ、安藤は笑みを見せつけた。
「彼女だよ。イブ、挨拶」
その女性こそが彼が「夏を教えてもらいたい」と言っていたアンドロイドだった。
「はじめまして、夏川様。イブです。安藤の恋人をしております」
六十度以上腰を曲げて丁寧にお辞儀をすると、彼女は安藤の三歩後ろに下がり、その位置をキープした。見た目は完全に人間の女性のそれだ。ただ表情がぴくりとも変化しない。人間の目というのは不思議なもので、動きのないものに対しては逆に違和感を覚えてしまう。
――汎用タイプか。
そう思った刹那、彼女が微妙に口角を上げた。微笑したのだ。そういった仕草は彼女が最新型の第七世代のAI搭載していることを示唆していた。
「プロジェクトのチーフをしている夏川です。宜しくお願いします。ところで安藤様。夏、と言うのはあまりに漠然としていて、もう少しこうはっきりとした学習目標があるとこちらも助かるのですが」
データにできない、実に抽象的な内容ほど、AI学習には向かない。表面上、人間がするように振る舞っていると見えることが多いけれど中身はどこまでいってもコンピュータでしかない。プログラムにより制御され、言葉や行動が出力されているだけだ。
AI学習の権威であるロジャー・カーネル博士はコンピュータによる意思の出力がAIの究極目標だと述べているが、そもそも意思とは何なのか、思考とはどんな仕組みで起こっているのか、まだまだ解明まで時間がかかるというのが凡その研究者たちの考えだった。
「先生さんよ。あんた、夏を知らないのか?」
「いえ、そういうことではなくて」
「夏ったら夏だよ。二人で夏を楽しみたいと思ってVRパークで遊んでいたら、夏が分からないと言い出したんだ。まさかそんな基本的なことも分からないとは思わなかったが、ロボットってのはそういうもんなのかね、先生」
ロボットとアンドロイドの違いについて主張するつもりはなかった。
「アンドロイド、その知能部分ですが、特に彼女に搭載されているAIはメティスの最新モデルだと聞いています。だからといって、彼女が人間の女性そのもののように振る舞えるかといえば、答えはノーです。あくまでコンピュータなので、計算や結果がはっきりしている工程については人間よりも優れているでしょうが、漠然とした抽象的な物事に対しては、まだまだ人間に遠く及びません」
「細けえことは分からないが、俺たちのように夏が来た、やれ冬が来たと、それに一喜一憂するような、そういうことはロボット様には無駄だってことかい?」
「無駄という訳ではなく、理解するのが困難だと言っているのです」
「じゃあ、夏は教えられないんだな? 不可能なんだな? 優秀な先生様をもってしても」
夏川の白衣の裾が柊有希によって強く握られた。いつの間にか拳を握りしめ、一歩、前進してしまっていたらしい。
「不可能ではなく、難しいと言っているだけです。いいでしょう。彼女に夏を教えます」
「そうだよ。最初からそう言ってくれればいいんだ。分かってるねえ、先生様よ」
サングラスを持ち上げ、安藤は笑みを見せつけた。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
あなたへの愛を捨てた日
柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。
しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。
レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。
「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」
エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。
『お前を愛する事はない』なんて言ってないでしょうね?
あんど もあ
ファンタジー
政略結婚で妻を娶った息子に、母親は穏やかに、だが厳しく訊ねる。
「『お前を愛する事は無い』なんて言ってないでしょうね?」
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる