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第3章 家光の元服 編

第22話 竹千代の迷い

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天秀が柏屋に間もなく到着するという手前で、三人の侍に道を塞がれた。
怪訝に思うが、悪意のようなものは、一切、感じられない。
一体、何事だろうかと、戸惑っているところ、若い侍が声をかけてきた。

「驚かせて、済まない。そなたが天秀であろうか?」
「はい。そうですけど・・・どちらさまでしょうか?」
「うむ。一言で申せば、・・・そなたの叔父じゃ」

自分とさして年齢が変わらない、この侍に突然、『叔父』と言われても、腹落ちする訳がない。
天秀は、ますます、理解に苦しむのだった。
首を傾げる天秀に、もう一人の侍が助け舟を出す。

「若さま、一言過ぎて、わかりづらいですよ」と、軽く窘めた後、天秀に向き直った。
「この方は、千姫さまの弟君で、竹千代さまです」
「えーっ」

柏屋の前の往来に天秀の声が響く。
本日、二度目の柏屋からの叫び声に、付近の者は何事かと思ったことだろう。

しかし、天秀が驚くのも無理もなかった。
竹千代といえば、征夷大将軍・秀忠の息子にして、次の世継ぎと家康から指名された人物である。

そんな人物が、目の前にいることを簡単に受け入れろという方が、無茶なのだ。
また、自分に会いに来たという理由も、さっぱり、見当がつかない。

「おい、こんなところで若さまと、立ち話をするつもりか?」
三人の内、今まで黙っていた侍が、天秀を咎めた。

確かに、白昼、次代の征夷大将軍と道端で話を続けるというわけにはいかない。
状況の整理は、まだ追いつかないが、とりあえず天秀は柏屋へと、案内するのだった。

柏屋の暖簾をくぐる前、他の二人の紹介も簡単に受ける。
最初に竹千代を紹介してくれた侍が松平信綱。多少、言い方がきつい方が稲葉正勝だった。

天秀が、頭の中で名前を反芻はんすうしながら、柏屋の中に入ると、お多江の姿に唖然とする。
何といつもの着物ではなく、白装束を身に纏っているのだ。その横で、甲斐姫がゲラゲラと笑っている。

「ど、どうしたんですか、その格好?」
お多江には天秀の姿は目に入らず、竹千代を見つけると、即座に土間に降りて、その場で土下座をした。

「先ほどのご無礼、申し訳ございません。どうか、私の命一つで、東慶寺には、責が及ばぬようお願いいたします」
この盛大な謝罪に、お多江は、何をしたのだろうと天秀は、却って興味が湧く。

竹千代の方は、狼狽して対処に困惑しているようだ。
すると、信綱がお多江に声をかける。

「女将、竹千代さまは、本日、お忍びで参っております。多少のことは、無礼講。お気に召さるな」
その言葉を聞いて、安心したのかへなへなと力が抜けた様子。
天秀は、佐与にお多江のために、お水を用意するよう指示した。

そして、奥の座敷に三人を案内する。
「妾もついて行くぞえ」
こうして、甲斐姫を入れて、五人で面談することになった。

当然、上座に竹千代を座らせると、天秀は用意したお茶を台の上に置く。
こういった場合、毒見が必要なのかと、一瞬、天秀は躊躇った。ところが、よほど喉が渇いていたのか、竹千代は気にせず、すぐに手をつける。
正勝も信綱も、思わず苦笑いを浮かべた。

「お代わりをお持ちしましょうか?」
「いや、構わぬ。不調法を許せ」

竹千代が、そう言うので、天秀は対面の畳の上に正座し、指をつく。

「本日、どのような事で、私をお訪ねでしょうか?」
「うむ。実は、この度、私は元服することになった」

天秀と何の関係があるのか分からないが、竹千代は、そう切り出した。
竹千代は、今年で十七歳となる。本来は、もっと前に元服すべきだったのだが、家康が亡くなったことにより、元服の儀式が延期されていたのだった。

「それは、おめでとうございます」

天秀としては、それ以外に言いようがない。竹千代も天秀の当惑は、理解できるが、なかなか言い出せないのだ。
本音や相談、自分の心に近い部分を話す時、内向的な性格が邪魔をして、上手く切り出せないのである。

そこで、代わって、信綱が来訪目的を告げた。
「天秀殿は、あの大権現さまに対して、堂々と自分の意見を申されたと聞いております。若いながら、どのようにすれば、そのような立派な態度を取れるのか、竹千代さまはお知りになりたいのです」

どうやら、信綱は、天秀が以前、東慶寺の寺法を断絶せぬよう家康にお願いした時のことを言っているようである。
随分と大昔の話だが、何故、そのような事を竹千代が知りたがるのか、不思議でならなかった。

その時、天秀は千姫から、彼女の家族の話を聞いたことがあることを思い出す。
確か、血を分けた弟が二人。どちらも可愛いのだが、一人は内気でやや病弱。もう一人は活発な子だと聞いていた。

もしや、その内気な弟というのが、竹千代のことではあるまいか。
目の前の若き徳川の正嫡を見て、そう感じた。

「あの時は私が幼く無知だったこともありますが、東慶寺の寺法がなくなると困る人が大勢いるのではないか。その想い一つで、お話させていただいたと記憶しております」
「では、天秀の原動力は、自分のためではなく、人のためだと申すのか?」

竹千代が天秀の話に食いつく。これから、元服に当たり、彼の中で何か迷いのようなものがあるようだ。
天下を握る人間によって、世の中の人々の生活は左右される。
天秀は、父秀頼から教わった言葉を竹千代に伝えることにした。

「天下人とは、万民の上に立つだけではございません。万民を慈しまねばならぬと亡き父から教わりました」
「僭越であるぞ。お前も秀頼も天下人ではない」

黙って聞いていた正勝が怒鳴り声を上げる。立ち上がろうとしたのを寸前で、信綱が止めた。竹千代も、「落ち着け」と、乳兄弟をなだめる。

「太閤秀吉公は、間違いなく天下人であった。その血が言わせるのであれば、金言である」
竹千代の中に、『万民のため』という言葉が、入り込んだ。

幼い頃より、何かと弟の国千代くにちよと比較され続けてきたため、自然と竹千代の視線は弟に向けられてきたのである。
だが、自分が向くべき相手は違うのではないか。

天秀の言葉に、そう気づかされたのである。
竹千代の中で、何かが変わろうとしているのだった。
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