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第5章 宇都宮の陰謀 編
第49話 与五郎との接触
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日中、宇都宮城内に小気味のよい、金槌で釘を叩く音が響く。
鉋で削った際の木材の新鮮な香りに与五郎は、当初、仕事の充実感を感じたものだ。
とはいえ、工期は一カ月となかなか厳しい日程であり、朝早くから晩遅くまで働きづめが続く。
連日、時間いっぱいまで働いて、やっと仕事から解放されると、後はご飯を食べて眠るだけという日々。
これならば、あれだけ多くの報酬をいただいても、ばちは当たらないのではないかと思い始めるのだった。
しかし、人間は慣れる生き物。
働き始めの当初は、仕事が終わるとくたくたで、休むことしか頭になかったのだが、一週間も過ぎると、仕事終わりに多少は、自分の時間を楽しむ余裕ができた。
但し、城外に出ることは勿論できず、城内での行動範囲も限られてはいたが・・・
それでも、外の景色が見られる場所を見つけると、そこが与五郎のお気に入りの休息場所となった。
本日は、上弦の月。与五郎は、ジッと月を眺めていたが、思い浮かぶのはお稲の顔である。
やはり、一カ月は長かった。お稲には自ら、我慢してくれとは言いはしたものの、そう話した張本人が我慢できそうもないのだ。
思わず、溜息が出でしまう。
ただぼんやりとしてた与五郎だったが、ふと人の話し声が聞こえるのに反射的に息を潜めた。
この場所は、与五郎が見つけた穴場だったのだが、他の人にも知れたとなると、これからは、ゆっくり一人の時間を楽しめなくなる。
そんなことを考えながら隠れていると、その会話が自然と耳の中に入って来た。
どうやら、話しているのはこの工事のまとめ役を任されていると棟梁の留吉と、次に年配の大工職人のようである。
「あの寝所の設計だが、俺はどうも腑に落ちねぇ」
「確かに柱はあるが、あんなもんないのと一緒だ。釣り天井にするったって、あの鎖じゃあ、強度が足りなぇんじゃないか?」
その言葉に棟梁も頷いた。まったく同じことを考えていたようだ。
「それで俺は、本多正勝さまに言ったんだよ。せめて、この柱の土台をしっかりと固定した方がいいってな」
「で、何て返事があったんですかい?」
「いや、土台は左官工事の方で固めるって言うから、びっくりだ」
棟梁の言葉に相手は訝しんだ。壁の仕上げなどでは、左官の腕を振るえると思うが、建物の基礎に関わるところで、そんな技術があるとは聞いたことがない。
棟梁もそう正勝に言ったそうだが、南蛮渡来の技法だと言われて、退き下がったとのこと。
相手が城主の息子ということもあり、それ以上は強く言えなかったようだった。
「報酬がいいから飛びついた仕事だが、何だが妙な気がするぜ」
「ああ、とっとと仕事を終わらせて、自由の身になりやしょうや」
「違いない」
その会話が終わると、留吉ともう一人の大工職人は、この場から去って行った。
与五郎は、全然、気づきもしなかったが、今回の工事にそのような不審な点があると、初めて知るのである。
『・・・いや、まさか・・・』
一瞬、与五郎の中に引っ掛かりが生じるが、すぐに頭を振った。
場所は将軍家が宿泊する寝所である。
手抜き工事で終わらすことなど、普通に考えて、あるわけがないのだ。将軍の目を引くため、その新技術とやらを採用したのだろうと与五郎は考える。
そろそろ、寝て、明日に備えようとした時、与五郎は、ふと立ち止まった。
『もし、その手抜き工事のまま終了して、将軍さまが泊まったら、どうなるのだろうか?』
そんな疑問が湧き上がったのである。
そこで、万が一にも事故が起きたら、この工事に関わった大工は、全員、罪に問われるのではないか?
もし、そうならば・・・
「多分、あんたの心配は、当たっているぜ」
不意に声をかけられたので、与五郎は左右を見回すが人の姿はなかった。
まさか、こんなにはっきりと聞こえた幻聴かと思っていると、「ここだよ」と、改めて声がする。
「うあぁ」
声がした方向を見ると、外の景色が映るはずの窓に逆さ顔の少年がいたのだ。
これは、宇都宮城に忍びこんだ瓢太なのだが、あまりにも予想外だったため、与五郎は、思わず尻餅をつく。
「驚かせて申し訳ない。あんた与五郎さんだろ?」
「どうして、俺の名前を知っているんだ?」
瓢太は明るいうちから、宇都宮城に忍びこんでいた。その中で大工仕事の風景も見ていたため、そこで働く与五郎を見つけることができたのである。
ただ、詳しい話をしても信用してもらうのに時間がかかるため、ある人物の名前を使わせてもらうことにした。
「お稲さんから、事情を聞いて来ている。今は俺を信用してほしい」
「お稲さんが、また、どうして?」
「この工事を不審に思っていたのさ。そして、俺の仲間も正純を訝しんでいる」
利害が一致しているので、今、協力し合っていると瓢太は説明する。
なかなか突飛な話かもしれないが、与五郎にも実は思うところがあった。
「お稲さんの名前を出されたら信じるしかない」
「ありがとう。それで、先ほど、話題にあった寝所の図面は手に入れることができるかい?」
瓢太は、態勢を入れ替え、逆さの状態をやめると、用件を切り出す。
与五郎は、考えた後、険しい顔をした。
「それは棟梁しか持っていない図面だ。なかなか難しいな」
「やはり、そうか・・・」
「だが、俺が記憶して、写し書きをしたのなら、渡せるぜ」
できれば、本物が良かったが、今は、それで十分と判断した瓢太は、了解する。
また、来るということを伝え、お稲さんに伝言がないかを確認した。
「体は大丈夫だから、心配しなくていいと伝えてくれ」
「分かったよ。お稲さんも寂しそうだったが、病気とかそういうのはなさそうだったぜ」
少しでもお稲の近況を知れて、与五郎の心が僅かに和む。気づいた時には、謎の少年の姿は、そこにはなかった。
改めて寝所に戻ろうとする与五郎だったが、宇都宮城にいることに対して、急に落ち着かいない気分となる。
まるで、一年前、この町に留まることを決めた日に戻ったようだった。
鉋で削った際の木材の新鮮な香りに与五郎は、当初、仕事の充実感を感じたものだ。
とはいえ、工期は一カ月となかなか厳しい日程であり、朝早くから晩遅くまで働きづめが続く。
連日、時間いっぱいまで働いて、やっと仕事から解放されると、後はご飯を食べて眠るだけという日々。
これならば、あれだけ多くの報酬をいただいても、ばちは当たらないのではないかと思い始めるのだった。
しかし、人間は慣れる生き物。
働き始めの当初は、仕事が終わるとくたくたで、休むことしか頭になかったのだが、一週間も過ぎると、仕事終わりに多少は、自分の時間を楽しむ余裕ができた。
但し、城外に出ることは勿論できず、城内での行動範囲も限られてはいたが・・・
それでも、外の景色が見られる場所を見つけると、そこが与五郎のお気に入りの休息場所となった。
本日は、上弦の月。与五郎は、ジッと月を眺めていたが、思い浮かぶのはお稲の顔である。
やはり、一カ月は長かった。お稲には自ら、我慢してくれとは言いはしたものの、そう話した張本人が我慢できそうもないのだ。
思わず、溜息が出でしまう。
ただぼんやりとしてた与五郎だったが、ふと人の話し声が聞こえるのに反射的に息を潜めた。
この場所は、与五郎が見つけた穴場だったのだが、他の人にも知れたとなると、これからは、ゆっくり一人の時間を楽しめなくなる。
そんなことを考えながら隠れていると、その会話が自然と耳の中に入って来た。
どうやら、話しているのはこの工事のまとめ役を任されていると棟梁の留吉と、次に年配の大工職人のようである。
「あの寝所の設計だが、俺はどうも腑に落ちねぇ」
「確かに柱はあるが、あんなもんないのと一緒だ。釣り天井にするったって、あの鎖じゃあ、強度が足りなぇんじゃないか?」
その言葉に棟梁も頷いた。まったく同じことを考えていたようだ。
「それで俺は、本多正勝さまに言ったんだよ。せめて、この柱の土台をしっかりと固定した方がいいってな」
「で、何て返事があったんですかい?」
「いや、土台は左官工事の方で固めるって言うから、びっくりだ」
棟梁の言葉に相手は訝しんだ。壁の仕上げなどでは、左官の腕を振るえると思うが、建物の基礎に関わるところで、そんな技術があるとは聞いたことがない。
棟梁もそう正勝に言ったそうだが、南蛮渡来の技法だと言われて、退き下がったとのこと。
相手が城主の息子ということもあり、それ以上は強く言えなかったようだった。
「報酬がいいから飛びついた仕事だが、何だが妙な気がするぜ」
「ああ、とっとと仕事を終わらせて、自由の身になりやしょうや」
「違いない」
その会話が終わると、留吉ともう一人の大工職人は、この場から去って行った。
与五郎は、全然、気づきもしなかったが、今回の工事にそのような不審な点があると、初めて知るのである。
『・・・いや、まさか・・・』
一瞬、与五郎の中に引っ掛かりが生じるが、すぐに頭を振った。
場所は将軍家が宿泊する寝所である。
手抜き工事で終わらすことなど、普通に考えて、あるわけがないのだ。将軍の目を引くため、その新技術とやらを採用したのだろうと与五郎は考える。
そろそろ、寝て、明日に備えようとした時、与五郎は、ふと立ち止まった。
『もし、その手抜き工事のまま終了して、将軍さまが泊まったら、どうなるのだろうか?』
そんな疑問が湧き上がったのである。
そこで、万が一にも事故が起きたら、この工事に関わった大工は、全員、罪に問われるのではないか?
もし、そうならば・・・
「多分、あんたの心配は、当たっているぜ」
不意に声をかけられたので、与五郎は左右を見回すが人の姿はなかった。
まさか、こんなにはっきりと聞こえた幻聴かと思っていると、「ここだよ」と、改めて声がする。
「うあぁ」
声がした方向を見ると、外の景色が映るはずの窓に逆さ顔の少年がいたのだ。
これは、宇都宮城に忍びこんだ瓢太なのだが、あまりにも予想外だったため、与五郎は、思わず尻餅をつく。
「驚かせて申し訳ない。あんた与五郎さんだろ?」
「どうして、俺の名前を知っているんだ?」
瓢太は明るいうちから、宇都宮城に忍びこんでいた。その中で大工仕事の風景も見ていたため、そこで働く与五郎を見つけることができたのである。
ただ、詳しい話をしても信用してもらうのに時間がかかるため、ある人物の名前を使わせてもらうことにした。
「お稲さんから、事情を聞いて来ている。今は俺を信用してほしい」
「お稲さんが、また、どうして?」
「この工事を不審に思っていたのさ。そして、俺の仲間も正純を訝しんでいる」
利害が一致しているので、今、協力し合っていると瓢太は説明する。
なかなか突飛な話かもしれないが、与五郎にも実は思うところがあった。
「お稲さんの名前を出されたら信じるしかない」
「ありがとう。それで、先ほど、話題にあった寝所の図面は手に入れることができるかい?」
瓢太は、態勢を入れ替え、逆さの状態をやめると、用件を切り出す。
与五郎は、考えた後、険しい顔をした。
「それは棟梁しか持っていない図面だ。なかなか難しいな」
「やはり、そうか・・・」
「だが、俺が記憶して、写し書きをしたのなら、渡せるぜ」
できれば、本物が良かったが、今は、それで十分と判断した瓢太は、了解する。
また、来るということを伝え、お稲さんに伝言がないかを確認した。
「体は大丈夫だから、心配しなくていいと伝えてくれ」
「分かったよ。お稲さんも寂しそうだったが、病気とかそういうのはなさそうだったぜ」
少しでもお稲の近況を知れて、与五郎の心が僅かに和む。気づいた時には、謎の少年の姿は、そこにはなかった。
改めて寝所に戻ろうとする与五郎だったが、宇都宮城にいることに対して、急に落ち着かいない気分となる。
まるで、一年前、この町に留まることを決めた日に戻ったようだった。
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