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第7章 寛永御前試合 編

第87話 柳生新陰流対決

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家光の前に平伏する三人。
木村文吾郎、謙佑の親子と小栗右衛門である。

「ようは身内の中の紛擾ふんじょうであるな。・・・まったく、そのようなことで、余は命まで取ろうとは思わん。後は、宗矩からの沙汰を待て」

木村一門の処分を当主である柳生宗矩に家光は任せた。
但し、命を取らないという言質は、姉である天樹院に対する配慮からである。

いずれにせよ切腹は免れたことにより、三人は深々と頭を下げた。
とはいえ、文吾郎の印可取り上げは免れないだろう。
だが、その件はすでに覚悟の上だった。

「ときに右衛門。そなたは、これから試合をする気はあるか?」
「公方さまのお許しと、荒木殿の了解があれば、お願いしたいと存じ上げます」
「余は、ここまで待った以上、やはり、そなたと又右衛門の対決を見てみたい」

家光は、そう言うと控える荒木又右衛門に問いかける。
又右衛門の返事は、快い了承だった。

これで天秀尼が粘った甲斐があったというもの。
多少、痛い思いをしたが、それも報われた気がした。

宗矩の心証はかなり悪くなったため、破門に解除については微妙だが、聞けば木村親子とは和解したとのこと。
静子との離縁話は、すでになくなっていると考えて間違いなかった。

一番の問題が解決したのであれば、後は結果など気にせず、右衛門の剣士としての才が、どこまで世の強者に通用するのか?

右衛門の友人として、最後まで見届けたい気持ちが膨らむ。
天秀尼も楽しみにするのだった。

早速、試合の準備が始まる。

「右衛門さん、頑張ってくださいね」
「思えば天秀殿が、この寛永御前試合を紹介していただき、また、最後にこの機会のため、尽力してくれた。・・・あなたのためにも頑張りますよ」

天秀尼の額の傷の理由を知った右衛門は、驚くと同時に、言葉では言い尽くせぬほどの、感謝を示した。
思えば、甲斐姫も静子の救出に駆け付けてくれている。

自分は、何と周囲の人に恵まれているのかと、右衛門は改めて思うのだった。
今回、関わった全ての人たちのためにも、全てをぶつける。
右衛門は、そんな境地に至った。

準備が整った会場で、又右衛門と右衛門が対峙する。
柳生新陰流の使い手同士の対決。年齢は右衛門の方が上だが、分は又右衛門の方にあった。

「胸を借りつもりで、挑ませていただく」
「こちらこそ、勉強させていただきます」

お互い、敬意を払い合った激突。一瞬たりとも見逃すことはできない。
会場は、審判の開始の声を待った。

「はじめっ」

開始の合図がかかるも、両者は、動かない。
右衛門が動けないのは、左足を痛めているため、素早い動きができないことによる。
あくまでも又右衛門の攻撃をかわしてからの、反撃に賭けるのだった。

一方、又右衛門の方は、初戦で見せた右衛門の明鏡止水めいきょうしすいの神髄を警戒し、その姿を視界から外さないように慎重になったのである。

どれほど、動かず対峙したままであっただろうか?
見ている観客までもが息が詰まった。

喉が渇き、瞬きも許されないような状況が続く。
まるで我慢比べのようであったが、ついにしびれを切らす者が現れた。
それは審判である。

「両者、はじまっておるぞ」

その言葉と同時に又右衛門が動く。審判の言葉に一瞬、右衛門が気を取られたのを感じ取ったのである。
しかし、これは右衛門の誘いだった。
このままでは、埒が明かないと考えた右衛門の咄嗟の機転である。

常人であれば、斬られたことすら気づかないであろう、又右衛門の鋭い斬撃も待ち構えていた分だけ、右衛門には躱す余裕ができた。
剣圧、凄まじく木刀をかすめた頬が切れるが、勿論、有効打ではない。

右衛門の体を捉えることが出来ずに又右衛門の得物は、大地を強打した。
体が流れたところ、すかさず、右衛門の木刀が、空いた又右衛門の左肩を襲う。
右衛門は勝利を確信するのだった。

「ここは?」

右衛門が目を覚ますと、まず、見知らぬ天井が目に移る。
続いて、飛び込んできたのは、涙を浮かべる静子の顔だった。

「右衛門さま、私がお分かりですか?」

何を当たり前のことをと思い、身を起こそうとすると脇腹に激痛が走る。
この痛みで、全てを悟った。

『そうか、私は敗れたのだな』

寝台に身を預けると、ゆっくりと記憶が蘇ってくる。
右衛門の木刀は確かに又右衛門の左肩を捉えたが、踏み込みが甘く、打撃としては浅かった。

そこを又右衛門の返す刀で脇腹を打ち抜かれたのである。
それからの記憶がないため、おそらく、そこで気を失ったのだろう。

やはり、荒木又右衛門は強かった。
実際に闘った者として、その実感は鮮明に残る。

ここで、負けたことを自覚したことにより、言い表せぬ悔しさが右衛門を襲った。
胸を借りるつもりで挑んだ大一番だったが、やはり剣士としての矜持が敗北を許さない。
頬に一筋の涙が、流れ落ちた。

「まだ、痛みますか?」
「いや、・・・大丈夫だよ。情けない姿を見せてしまったね」

その言葉に静子は頭を振る。荒木又右衛門との試合は、敗れたとはいえ、人に自慢できる内容に違いないのだ。

「悲観するでない。勝負に勝って、試合に負けた。そういう一番じゃった」

右衛門の意識が戻ったことを聞き、甲斐姫や天秀尼が部屋の中に入って来る。
皆、安堵した表情をしているのが、右衛門には印象的だった。
そして、そんなに心配をかけるほどの倒れ方だったのかと、反省もする。

意識を取り戻した右衛門の顔を一目見ようと、人の流れは続く。
狭い、医務室は、人で一杯となり、たちまち、賑やかになるのだった。
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