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第10章 次代の幕あけ 編
第121話 第二十世住持
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西国では島原の乱が激しさを増した頃、柳生宗矩の強い勧めによって、家光は沢庵宗彭を江戸に招くことにした。
二人の間には紫衣事件にまつわる暗い歴史がある。
しかし、あれから十年の歳月が流れ、家光は将軍として成長していた。
また、沢庵も生来の性格から、過去に拘りを持っていない。
対面し話し込むうちに、まるで何事もなかったかのように二人は、信頼関係を築いていくのだった。
家光は沢庵の説法を聞く度に、その教えに傾倒していき、沢庵もこの将軍を支えようという気持ちへとなる。
おのずと沢庵が江戸城へ召し出される機会は、増えていった。
江戸に居がない沢庵は、その都度、友人である宗矩の下屋敷に逗留する。
そんな沢庵のために、家光は江戸城より、ほど近い品川に邸宅を創建した。これが後の東海寺となる。
当初、沢庵は、この家光の計らいを強く拒否するも、宗矩らからもほだされた結果、最終的には受け入れることにした。
翌年、出来上がった四万坪とも言われる広い寺域を前に、沢庵は一人立ち、物思いにふける。
そんな出来上がったばかりの沢庵邸に招かれた尼僧がいた。それは天秀尼である。
「立派な庭園でございますね」
「立派過ぎるよなぁ・・・おいらもこれで、野僧は廃業。権力に媚びるつなぎ猿よ」
「そのような事・・・西国で大きな乱がありました。沢庵禅師の教えが、治世に必要と公方さまが判断されたのでしょう」
天秀尼の言葉に沢庵は、遠くを見た。
わざわざ天秀尼を招いたのは、自分の愚痴を聞かせるためではない。
「それより、最近、ふさぎ込む日が続いてるって、甲斐ちゃんが心配していたぜ」
「私の不徳のせいでございます」
島原の乱の発端となる松倉勝家の領民への扱い。
考え方を変える機会があったにも関わらず、自身の力が及ばなかったことへの後悔は、まだ続いていたのだ。
だが、そんな天秀尼を沢庵は一笑に付す。
「お前さん、神さまにでもなろうってのかい?」
「いえ、そのようなことはございません」
「なら、人には出来ること出来ないことを理解しなよ」
沢庵の話すことは十分、分かっていた。だが、天秀尼は、どうしても納得ができない。
「ふーっ」
大きな溜息をつくと、沢庵は天秀尼の心情に迫る確信めいた言葉を放った。
「ひょっとしたら、自分は世の中に生かされていると思っちゃいないかい?」
「・・・それは・・・」
豊臣家が滅亡し、ただ一人、生き残った天秀尼。家康から助命された日を境に、確かにそういう気持ちを持っていた。
だからこそ、世に奉仕することに一切、妥協がない。
それがまさしく天秀尼の原動力なのだ。
「秀頼公は、立派な人だったかもしれねぇが、人には立場がある」
「・・・立場・・ですか?」
「そう、かの御仁は、『天下人』として語ったんだろ?でも、お前さんは違う」
沢庵の言葉に、ハッとした天秀尼は熱いものが込み上げてきた。不意に涙が天秀尼の頬を伝うのである。
自分では、そんなつもりはなかったが、いつの間にか『天下万民を慈しむ』という父親の言葉が、重圧として、天秀尼の小さな体にのしかかっていたのかもしれない。
「全ての人の不幸を背負う必要なんてない。手の届く範囲でいいのさ」
「手の届く範囲・・・」
「そう。その代わり、胸中に飛び込んで来た相手は、全力で守りなよ」
沢庵の言葉が、スーッと天秀尼の中に入って来た。
自分が父のようになれる訳がない。東慶寺の尼僧として、出来ることを全力で取り組めばいいのだ。
天秀尼は、肩の力が抜け、何か身軽になった気持ちとなる。
「禅師のお言葉、身に染み入りました」
「なぁに、猿の戯言さ」
吹っ切れた天秀尼は、沢庵に深々と礼をとった。
大きな収穫を得て、江戸を立ち鎌倉へと戻るのだった。
東慶寺に戻った天秀尼は、すぐに瓊山尼に呼ばれる。
部屋に入ると、威儀を正した彼女がおり、天秀尼は緊張感を持ちながら、師匠の前に座った。
「江戸は、どうでしたか?」
「自分の中で、吹っ切れたと言いますか・・・何か新たに思うところを得ました」
瓊山尼は、天秀尼に対して目を細める。また、一つ、成長したのを感じ取ったのだ。
この報せが届いた日に、なんという僥倖だろうか。
「以前より、幕府にお伺いを立てていた事案、ついに許可がおりました」
「それは、何でございましょうか?」
「あなたは、これより東慶寺の住持となるのです」
突然の宣告に天秀尼は驚いた。いずれとは思っていたが、そんな日が、こんな前触れもなくやって来るとは・・・
「運命とは、いつも突然にやってきます」
「・・・その通りですが・・・事が事だけに」
「あなたなら大丈夫。どんな運命も受け止めて、立っていられることでしょう」
それは天秀尼を一人前と認めた瓊山尼の言葉だった。
今までの努力と善行が、実を結んだ結果でもある。
引き続き、師匠の期待に応えようとするのであれば、天秀尼がとるべき行動は一つだ。
天秀尼は、身を整えると畳に指をつき、深々とお辞儀をする。
「承知いたしました。この天秀尼、謹んで、住持の大役、お引き受けいたします」
この了承により、東慶寺第二十世・天秀尼法泰が、ここに誕生するのだった。
二人の間には紫衣事件にまつわる暗い歴史がある。
しかし、あれから十年の歳月が流れ、家光は将軍として成長していた。
また、沢庵も生来の性格から、過去に拘りを持っていない。
対面し話し込むうちに、まるで何事もなかったかのように二人は、信頼関係を築いていくのだった。
家光は沢庵の説法を聞く度に、その教えに傾倒していき、沢庵もこの将軍を支えようという気持ちへとなる。
おのずと沢庵が江戸城へ召し出される機会は、増えていった。
江戸に居がない沢庵は、その都度、友人である宗矩の下屋敷に逗留する。
そんな沢庵のために、家光は江戸城より、ほど近い品川に邸宅を創建した。これが後の東海寺となる。
当初、沢庵は、この家光の計らいを強く拒否するも、宗矩らからもほだされた結果、最終的には受け入れることにした。
翌年、出来上がった四万坪とも言われる広い寺域を前に、沢庵は一人立ち、物思いにふける。
そんな出来上がったばかりの沢庵邸に招かれた尼僧がいた。それは天秀尼である。
「立派な庭園でございますね」
「立派過ぎるよなぁ・・・おいらもこれで、野僧は廃業。権力に媚びるつなぎ猿よ」
「そのような事・・・西国で大きな乱がありました。沢庵禅師の教えが、治世に必要と公方さまが判断されたのでしょう」
天秀尼の言葉に沢庵は、遠くを見た。
わざわざ天秀尼を招いたのは、自分の愚痴を聞かせるためではない。
「それより、最近、ふさぎ込む日が続いてるって、甲斐ちゃんが心配していたぜ」
「私の不徳のせいでございます」
島原の乱の発端となる松倉勝家の領民への扱い。
考え方を変える機会があったにも関わらず、自身の力が及ばなかったことへの後悔は、まだ続いていたのだ。
だが、そんな天秀尼を沢庵は一笑に付す。
「お前さん、神さまにでもなろうってのかい?」
「いえ、そのようなことはございません」
「なら、人には出来ること出来ないことを理解しなよ」
沢庵の話すことは十分、分かっていた。だが、天秀尼は、どうしても納得ができない。
「ふーっ」
大きな溜息をつくと、沢庵は天秀尼の心情に迫る確信めいた言葉を放った。
「ひょっとしたら、自分は世の中に生かされていると思っちゃいないかい?」
「・・・それは・・・」
豊臣家が滅亡し、ただ一人、生き残った天秀尼。家康から助命された日を境に、確かにそういう気持ちを持っていた。
だからこそ、世に奉仕することに一切、妥協がない。
それがまさしく天秀尼の原動力なのだ。
「秀頼公は、立派な人だったかもしれねぇが、人には立場がある」
「・・・立場・・ですか?」
「そう、かの御仁は、『天下人』として語ったんだろ?でも、お前さんは違う」
沢庵の言葉に、ハッとした天秀尼は熱いものが込み上げてきた。不意に涙が天秀尼の頬を伝うのである。
自分では、そんなつもりはなかったが、いつの間にか『天下万民を慈しむ』という父親の言葉が、重圧として、天秀尼の小さな体にのしかかっていたのかもしれない。
「全ての人の不幸を背負う必要なんてない。手の届く範囲でいいのさ」
「手の届く範囲・・・」
「そう。その代わり、胸中に飛び込んで来た相手は、全力で守りなよ」
沢庵の言葉が、スーッと天秀尼の中に入って来た。
自分が父のようになれる訳がない。東慶寺の尼僧として、出来ることを全力で取り組めばいいのだ。
天秀尼は、肩の力が抜け、何か身軽になった気持ちとなる。
「禅師のお言葉、身に染み入りました」
「なぁに、猿の戯言さ」
吹っ切れた天秀尼は、沢庵に深々と礼をとった。
大きな収穫を得て、江戸を立ち鎌倉へと戻るのだった。
東慶寺に戻った天秀尼は、すぐに瓊山尼に呼ばれる。
部屋に入ると、威儀を正した彼女がおり、天秀尼は緊張感を持ちながら、師匠の前に座った。
「江戸は、どうでしたか?」
「自分の中で、吹っ切れたと言いますか・・・何か新たに思うところを得ました」
瓊山尼は、天秀尼に対して目を細める。また、一つ、成長したのを感じ取ったのだ。
この報せが届いた日に、なんという僥倖だろうか。
「以前より、幕府にお伺いを立てていた事案、ついに許可がおりました」
「それは、何でございましょうか?」
「あなたは、これより東慶寺の住持となるのです」
突然の宣告に天秀尼は驚いた。いずれとは思っていたが、そんな日が、こんな前触れもなくやって来るとは・・・
「運命とは、いつも突然にやってきます」
「・・・その通りですが・・・事が事だけに」
「あなたなら大丈夫。どんな運命も受け止めて、立っていられることでしょう」
それは天秀尼を一人前と認めた瓊山尼の言葉だった。
今までの努力と善行が、実を結んだ結果でもある。
引き続き、師匠の期待に応えようとするのであれば、天秀尼がとるべき行動は一つだ。
天秀尼は、身を整えると畳に指をつき、深々とお辞儀をする。
「承知いたしました。この天秀尼、謹んで、住持の大役、お引き受けいたします」
この了承により、東慶寺第二十世・天秀尼法泰が、ここに誕生するのだった。
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