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第一章 吊るされた少女
第5話 小野瀬家
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夕方になり、辺りは徐々に暗くなってきた。警察と取材陣以外は、ほとんど車や人の通りがない。暗く冷たい森に、カラスの鳴き声が木霊したような気がした。
聞き込みは翌日にして、今日は早めに宿に向かうことにした。町に戻るため、小野瀬が車を発進させる。この季節であれば、まだそこまで暗くならないはずなのに、この町では平地よりも早く夜がやってくるようだ。
小野瀬は実家に帰るとのことで、楓だけ町に唯一ある民宿に泊まることになった。
「民宿といっても、こんな感じのものしかないですけど……連絡はこちらで入れてあります」
三十分ほどして到着した《民宿 あいはら》は、申し訳なさそうにいう小野瀬の言葉のとおり、ほとんど一軒家のような見た目だった。車の音に気付いたのか、玄関から六十代くらいの老夫婦が出てきた。
丸っこい見た目の二人が並んでいて、暗闇に突然ダルマが二体並んで現れたように見える。
「崇彦くん久しぶりだね」
右の白髪頭のダルマ──宿の主人である相原忠──は言った。隣にいる妻の相原由梨絵も小野瀬を懐かしそうに眺めている。
「ご無沙汰してます。今日はよろしくお願いします。こちらが月島さんです」
「お世話になります」
楓は頭を下げた。
「あら、可愛い子ねえ」
由里絵がしげしげと楓を見つめてきた。可愛いと言われて悪い気はしないが、言われ慣れていないと、その可愛いは女としての自分にではなく、動物園で小動物に向けられる類の可愛いではないかと疑心暗鬼になってくる。
いや、自信を持とう。
二階の部屋に通される、畳が敷かれた八畳ほどの部屋だった。相原夫妻も小野瀬も口々に「狭くて悪いね」と申し訳なさそうに言っていた。
オペランド時代に心霊スポットで野宿をさせられた楓にとって、屋根がある場所で布団を敷いて寝られるだけでも天国だったが、口にはしなかった。
「それとなんですが」
小野瀬を見送るために玄関までいくと、小野瀬が気まずそうに言った。
「なんですか?」
「ここは夕飯が付かないんです。朝食は付くんですけど」
「そうなんですね。この辺でどこか食べられるところありますか?」
「それが」
小野瀬のトーンがまた一段落ちた。
「両親が『それならうちに連れてきなよ』と……」
「すごくおいひいです」
エビフライを口に入れながら楓は言った。まだ口にはご飯が残っている。
「そう、よかった! たくさん食べて」
と小野瀬の母、孝子は愛嬌のある笑顔を浮かべた。
「お客さんを連れてくるなんていうから『じゃあうちで夕飯を食べていったら』って言ったけど、まさか女の子だったなんてね。ビックリしちゃった」
小野瀬の父、幹生が情報をちゃんと伝えておかなかったせいで、小野瀬家は大事件に発展するところだった。孝子は同僚の男でも連れてくるのかと思っていたが、玄関を開けたら息子の横に知らない女がいたのだから、驚くのも無理はない。
誤解はすぐに解け、楓は小野瀬家に招かれた。元凶である幹生は、工務店の仕事からまだ帰ってきていない。
「でも、こんな可愛い子と仕事なんて、あんたも満更でもないじゃない。このまま家に入りなよ」
町の人間全員が楓と小野瀬をくっつけようとしてくる。楓と小野瀬は気まずそうに顔を合わせ「いえ……」と否定した。
そこに仕事の終わった幹生が帰ってきた。小野瀬の長身のイメージとは違い、小柄で作業服を着ていた。幹生は言葉よりも酒で会話をするタイプだった。勧められるがまま、楓はグラスを傾けた。
「楓ちゃん、呑むねえ。崇彦には勿体ない」
「いやねえ、お父さん。楓ちゃんは違うわよ」
ビールに始まり、芋焼酎のボトルが空くかというところだった。楓は酒が強く、酒好きの坪川ですら引くほど、呑むときはとことん呑んだ。
それは主に招かれた席などのタダ飯、タダ酒の時だったため、単に貧乏性なだけなのかもしれない。小野瀬はあまり強くないようで、隣でうつらうつらとしていた。
「まさか、あんな事件がこの町で起こるなんてね」
「あの宗教団体の仕業だろうな」
「サバト、ですか」
「そうそう。詳しくは知らないけど、魔女だかなんだかを信仰してるとか。魔女なんて悪魔みたいなもんじゃないか」
楓もそれを考えていた。宗教が信仰するのは主に神や仏だ。しかしながら、下調べした中で「ウイッカ」と呼ばれるものがあると知った。時間がなかったため、詳しくはまだ追えていないが、魔女の宗教の呼称のようだ。
サバトはその宗派なのかもしれない。サバトという言葉自体も、魔女の集会を意味するという。
儀式的な手口ということもあり、サバトが関与している可能性は十分に高い。だが、その活動は非公開で、情報はほとんど出てこなかった。
宴も終わり、楓は宿に戻ることにした。テーブルの上に広がった惨状を見て我に返り、思う存分飲み食いしてしまったことを小野瀬の両親へ詫びたが、むしろその遠慮のなさを気に入ったと大笑いしていた。
片付けを手伝った後、小野瀬に宿まで送ってもらった。少し肌寒いくらいだったが、火照った体で歩くには心地いい。
「すみません、ありがとうございました。ご馳走様でした」
「いえ、こちらこそ。すみません騒がしい家で」
「全然そんなことないですよ。楽しかったです」
宿に戻ると相原由梨絵が「おかえり」と出迎えてくれた。
「では、明日の朝十時に迎えに来ます」
「わかりました。色々とありがとうございます。ご両親にも宜しくお伝えください」
おやすみなさい、と言葉を交わし小野瀬は帰っていった。その背中はどこか疲れているように見えた。
お風呂をいただき、部屋に戻る。畳に横になって天井を見つめた。収穫はまだないので、明日から頑張らねばならない。
手を伸ばしてカバンからカメラを取り出し、現場付近で撮影した写真を見返す。ここで、一人の少女が殺された。現場となった山道は写真にしても暗い空気が伝わってきて、実際に見たときと同じように、心が塞がっていくような気持ちになる。
今日一日、華月町でたくさんの笑顔に触れた。
殺された女の子にも日常が、未来があったのだ。こんな事件に巻き込まなければ、今日も当たり前のように、いつも通りの日常を過ごしていただろう。
きっと彼女にも家族が待つ、温かい場所があった。そんな子が暗く冷たい森の中で、孤独に死んでいいわけがない。
写真の中に少女の哀しい顔が浮かんだ気がした。
聞き込みは翌日にして、今日は早めに宿に向かうことにした。町に戻るため、小野瀬が車を発進させる。この季節であれば、まだそこまで暗くならないはずなのに、この町では平地よりも早く夜がやってくるようだ。
小野瀬は実家に帰るとのことで、楓だけ町に唯一ある民宿に泊まることになった。
「民宿といっても、こんな感じのものしかないですけど……連絡はこちらで入れてあります」
三十分ほどして到着した《民宿 あいはら》は、申し訳なさそうにいう小野瀬の言葉のとおり、ほとんど一軒家のような見た目だった。車の音に気付いたのか、玄関から六十代くらいの老夫婦が出てきた。
丸っこい見た目の二人が並んでいて、暗闇に突然ダルマが二体並んで現れたように見える。
「崇彦くん久しぶりだね」
右の白髪頭のダルマ──宿の主人である相原忠──は言った。隣にいる妻の相原由梨絵も小野瀬を懐かしそうに眺めている。
「ご無沙汰してます。今日はよろしくお願いします。こちらが月島さんです」
「お世話になります」
楓は頭を下げた。
「あら、可愛い子ねえ」
由里絵がしげしげと楓を見つめてきた。可愛いと言われて悪い気はしないが、言われ慣れていないと、その可愛いは女としての自分にではなく、動物園で小動物に向けられる類の可愛いではないかと疑心暗鬼になってくる。
いや、自信を持とう。
二階の部屋に通される、畳が敷かれた八畳ほどの部屋だった。相原夫妻も小野瀬も口々に「狭くて悪いね」と申し訳なさそうに言っていた。
オペランド時代に心霊スポットで野宿をさせられた楓にとって、屋根がある場所で布団を敷いて寝られるだけでも天国だったが、口にはしなかった。
「それとなんですが」
小野瀬を見送るために玄関までいくと、小野瀬が気まずそうに言った。
「なんですか?」
「ここは夕飯が付かないんです。朝食は付くんですけど」
「そうなんですね。この辺でどこか食べられるところありますか?」
「それが」
小野瀬のトーンがまた一段落ちた。
「両親が『それならうちに連れてきなよ』と……」
「すごくおいひいです」
エビフライを口に入れながら楓は言った。まだ口にはご飯が残っている。
「そう、よかった! たくさん食べて」
と小野瀬の母、孝子は愛嬌のある笑顔を浮かべた。
「お客さんを連れてくるなんていうから『じゃあうちで夕飯を食べていったら』って言ったけど、まさか女の子だったなんてね。ビックリしちゃった」
小野瀬の父、幹生が情報をちゃんと伝えておかなかったせいで、小野瀬家は大事件に発展するところだった。孝子は同僚の男でも連れてくるのかと思っていたが、玄関を開けたら息子の横に知らない女がいたのだから、驚くのも無理はない。
誤解はすぐに解け、楓は小野瀬家に招かれた。元凶である幹生は、工務店の仕事からまだ帰ってきていない。
「でも、こんな可愛い子と仕事なんて、あんたも満更でもないじゃない。このまま家に入りなよ」
町の人間全員が楓と小野瀬をくっつけようとしてくる。楓と小野瀬は気まずそうに顔を合わせ「いえ……」と否定した。
そこに仕事の終わった幹生が帰ってきた。小野瀬の長身のイメージとは違い、小柄で作業服を着ていた。幹生は言葉よりも酒で会話をするタイプだった。勧められるがまま、楓はグラスを傾けた。
「楓ちゃん、呑むねえ。崇彦には勿体ない」
「いやねえ、お父さん。楓ちゃんは違うわよ」
ビールに始まり、芋焼酎のボトルが空くかというところだった。楓は酒が強く、酒好きの坪川ですら引くほど、呑むときはとことん呑んだ。
それは主に招かれた席などのタダ飯、タダ酒の時だったため、単に貧乏性なだけなのかもしれない。小野瀬はあまり強くないようで、隣でうつらうつらとしていた。
「まさか、あんな事件がこの町で起こるなんてね」
「あの宗教団体の仕業だろうな」
「サバト、ですか」
「そうそう。詳しくは知らないけど、魔女だかなんだかを信仰してるとか。魔女なんて悪魔みたいなもんじゃないか」
楓もそれを考えていた。宗教が信仰するのは主に神や仏だ。しかしながら、下調べした中で「ウイッカ」と呼ばれるものがあると知った。時間がなかったため、詳しくはまだ追えていないが、魔女の宗教の呼称のようだ。
サバトはその宗派なのかもしれない。サバトという言葉自体も、魔女の集会を意味するという。
儀式的な手口ということもあり、サバトが関与している可能性は十分に高い。だが、その活動は非公開で、情報はほとんど出てこなかった。
宴も終わり、楓は宿に戻ることにした。テーブルの上に広がった惨状を見て我に返り、思う存分飲み食いしてしまったことを小野瀬の両親へ詫びたが、むしろその遠慮のなさを気に入ったと大笑いしていた。
片付けを手伝った後、小野瀬に宿まで送ってもらった。少し肌寒いくらいだったが、火照った体で歩くには心地いい。
「すみません、ありがとうございました。ご馳走様でした」
「いえ、こちらこそ。すみません騒がしい家で」
「全然そんなことないですよ。楽しかったです」
宿に戻ると相原由梨絵が「おかえり」と出迎えてくれた。
「では、明日の朝十時に迎えに来ます」
「わかりました。色々とありがとうございます。ご両親にも宜しくお伝えください」
おやすみなさい、と言葉を交わし小野瀬は帰っていった。その背中はどこか疲れているように見えた。
お風呂をいただき、部屋に戻る。畳に横になって天井を見つめた。収穫はまだないので、明日から頑張らねばならない。
手を伸ばしてカバンからカメラを取り出し、現場付近で撮影した写真を見返す。ここで、一人の少女が殺された。現場となった山道は写真にしても暗い空気が伝わってきて、実際に見たときと同じように、心が塞がっていくような気持ちになる。
今日一日、華月町でたくさんの笑顔に触れた。
殺された女の子にも日常が、未来があったのだ。こんな事件に巻き込まなければ、今日も当たり前のように、いつも通りの日常を過ごしていただろう。
きっと彼女にも家族が待つ、温かい場所があった。そんな子が暗く冷たい森の中で、孤独に死んでいいわけがない。
写真の中に少女の哀しい顔が浮かんだ気がした。
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