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28.羽虫
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「あのときかっ!」
ハイネスの脳裏に、
今夜アンソニーと訪れた店で、
トイレに立った時の様子が過った。
酔いが回って、足がふらついた自分を、
ウエイターが支えた。
恐らくはあの一瞬に、
抜き取られたのではあるまいか。
ハイネスが唇を噛み締めた。
刹那、複数の足音が部屋の前で止まり、
荒々しく戸を叩く。
何事かと、ハイネスが部屋の鍵を開けると、
「我々はアーザス国、秘密警察である。
アーザス国、事務次官アンソーニー・カーマイケルの殺害容疑で、
君に令状が出ている。
同行願おうか。ハイネス・エーデン」
カーキ色の軍服を着た男が、
軍のシリアルナンバーと令状を提示した。
「アンソニー・カーマイケルの殺害容疑って……」
言葉を紡ぐ、ハイネスの唇が震えた。
「アンソニーは殺されたのか!」
ハイネスが目を見開いた。
◇◇◇
軍の取り調べ室に現れたのは一人の若い女だった。
国の要人なのであろう、多くのSPが彼女の周りを守っている。
明るい金髪をきつくカールさせ、
肩を露出し胸を強調する挑発的なファッションに身を包む。
肉厚な唇が印象的な、派手な美人だ。
「ごきげんよう。
レッドロライン国事務次官、ハイネス・エーデン。
わたくしは、この国、アーザス国第一皇女、フレイア・アーザスよ。
お初にお目にかかるわ」
女は少し何かが崩れているような、
妖艶な笑みを浮かべる。
「このグロック19はあなたのものでしょう?」
フレイアは、
9ミリピストルをハーネスの前に差し出した。
「それはっ!」
ハーネスが目を見開いた。
確かにそれは出国の前に恋人が、
自身の護身のためにと、持たせたものだ。
「今夜、アーザス国の事務次官が殺害されました。
その事件現場に、この銃が落ちていたのよ?
そしてその持ち主は、国民が最も敵視する
憎きレッドロライン国の事務次官。
その意味が理解できて?」
フレイアは、わざとらしく肩をすくめて見せる。
「ちょっと待て、私ではないっ!
確かにその銃は私のものだ。入国の前に登録もしている。
だがどうして犯人がわざわざその所持品を殺人現場に置いておくんだ?
どう考えてもおかしいだろ!」
激したハイネスが立ち上がり、目の前の机を叩いた。
「さあ? でもそんなことは、
どうでもいいんじゃない?」
興味がありませんというばかりに、
フレイアがはぐらかす。
「どうでもいいって……」
そんなフレイアの言葉に、
ハイネスは顔色を変える。
「貴国も法治国家であるなら、きちんと国際法に則って
真実の追求をっ!」
真摯に訴えるハイネスを横目に、
フレイアは欠伸を噛殺す。
「まだお分かりにならない?
天下のレッドロライン国の事務次官は、
随分と頭がお悪いのね」
フレイアの言葉にうすら寒いものを感じて、
ハイネスは口を閉じた。
「つまりあなたは、
これで立派なA級戦犯ってこと。
二国間の開戦の原因となった人物として、
後の世に語り継がれる戦争犯罪人ね」
ハイネスはその言葉に、
頭を何かで殴られたかのようなショックを受けた。
「何を考えている?
国家元首が二国間の戦争を煽ってどうする」
ぎりぎりの瀬戸際で、なんとか和平への道を探っていた、
緊張の日々を思う。
(そのことの為に、私やアンソニーが
どれほどの労苦を強いられたと思っているんだ)
ハイネスの心に沸々と怒りが湧いてくる。
国を思う心は、確かに真実であったと。
「ではあなたに、ひとつ聞くわ。
欲しいものがあるとき、あなたならどうする?」
フレイアは挑発的に笑って見せる。
ハイネスの脳裏に、恋人の面影が過った。
「わたくしは、それを下さいと、
誰かに頭を下げるのはまっぴらごめんだわ」
フレイアが甲高い笑い声を上げた。
「だったらどうする?
盗むの? それは卑怯ね。
だからわたくしは力尽くでそれを奪うの。
とても公正な方法だと思うわ」
フレイアの言葉に、ハイネスがきつく口を引き結んだ。
「だからって……貴殿には理性というものがないのか?
そのことによって、
引き起こされる様々なことを考えないと?」
フレイアが不思議そうな顔をする。
「考えてどうなるというの?
あなたは随分と甘ちゃんでいらっしゃるのね。
きっと戦争に、正義や愛、平和をもたらすのだという、
耳障りのいい大義名分を求める人種なのね」
フレイアの憐れむような眼差しが、
ハイネスに突き刺さる。
「でもね、教えてあげる。
戦争はあなたが思い描いているような、
そんな美しいものではない。
ただの殺し合いよ?
欲しいものを手に入れるために他者を殺す、
そんな原始的な人類の本能にすぎない」
閉め切った地下室に、どこから迷い込んだのか、
羽虫が一匹、机に置かれた年代物のスタンドライトの周りを、
耳障りな音を立てて羽ばたいている。
羽ばたいて、
羽ばたいて……、
しかしどこにも行けずに、
白熱灯の熱に焼かれては、身を傷つけていく。
そんな残酷な光景を、
ハイネスはただぼんやりと見つめている。
やがて羽虫の羽は捥げ、
ポタリと机の上に落ちた。
「だけどそこには、自分の命を懸けるのよ。
だから卑怯ではないわ。
勝てば官軍負ければ賊軍とはよく言ったものね。
だから真実なんていうものは、意味がない。
勝つことがすべてなの」
机に落ちた羽虫は、
起き上がることもできぬままに、
不器用に足を動かして、もがいている。
ハイネスの脳裏に、
今夜アンソニーと訪れた店で、
トイレに立った時の様子が過った。
酔いが回って、足がふらついた自分を、
ウエイターが支えた。
恐らくはあの一瞬に、
抜き取られたのではあるまいか。
ハイネスが唇を噛み締めた。
刹那、複数の足音が部屋の前で止まり、
荒々しく戸を叩く。
何事かと、ハイネスが部屋の鍵を開けると、
「我々はアーザス国、秘密警察である。
アーザス国、事務次官アンソーニー・カーマイケルの殺害容疑で、
君に令状が出ている。
同行願おうか。ハイネス・エーデン」
カーキ色の軍服を着た男が、
軍のシリアルナンバーと令状を提示した。
「アンソニー・カーマイケルの殺害容疑って……」
言葉を紡ぐ、ハイネスの唇が震えた。
「アンソニーは殺されたのか!」
ハイネスが目を見開いた。
◇◇◇
軍の取り調べ室に現れたのは一人の若い女だった。
国の要人なのであろう、多くのSPが彼女の周りを守っている。
明るい金髪をきつくカールさせ、
肩を露出し胸を強調する挑発的なファッションに身を包む。
肉厚な唇が印象的な、派手な美人だ。
「ごきげんよう。
レッドロライン国事務次官、ハイネス・エーデン。
わたくしは、この国、アーザス国第一皇女、フレイア・アーザスよ。
お初にお目にかかるわ」
女は少し何かが崩れているような、
妖艶な笑みを浮かべる。
「このグロック19はあなたのものでしょう?」
フレイアは、
9ミリピストルをハーネスの前に差し出した。
「それはっ!」
ハーネスが目を見開いた。
確かにそれは出国の前に恋人が、
自身の護身のためにと、持たせたものだ。
「今夜、アーザス国の事務次官が殺害されました。
その事件現場に、この銃が落ちていたのよ?
そしてその持ち主は、国民が最も敵視する
憎きレッドロライン国の事務次官。
その意味が理解できて?」
フレイアは、わざとらしく肩をすくめて見せる。
「ちょっと待て、私ではないっ!
確かにその銃は私のものだ。入国の前に登録もしている。
だがどうして犯人がわざわざその所持品を殺人現場に置いておくんだ?
どう考えてもおかしいだろ!」
激したハイネスが立ち上がり、目の前の机を叩いた。
「さあ? でもそんなことは、
どうでもいいんじゃない?」
興味がありませんというばかりに、
フレイアがはぐらかす。
「どうでもいいって……」
そんなフレイアの言葉に、
ハイネスは顔色を変える。
「貴国も法治国家であるなら、きちんと国際法に則って
真実の追求をっ!」
真摯に訴えるハイネスを横目に、
フレイアは欠伸を噛殺す。
「まだお分かりにならない?
天下のレッドロライン国の事務次官は、
随分と頭がお悪いのね」
フレイアの言葉にうすら寒いものを感じて、
ハイネスは口を閉じた。
「つまりあなたは、
これで立派なA級戦犯ってこと。
二国間の開戦の原因となった人物として、
後の世に語り継がれる戦争犯罪人ね」
ハイネスはその言葉に、
頭を何かで殴られたかのようなショックを受けた。
「何を考えている?
国家元首が二国間の戦争を煽ってどうする」
ぎりぎりの瀬戸際で、なんとか和平への道を探っていた、
緊張の日々を思う。
(そのことの為に、私やアンソニーが
どれほどの労苦を強いられたと思っているんだ)
ハイネスの心に沸々と怒りが湧いてくる。
国を思う心は、確かに真実であったと。
「ではあなたに、ひとつ聞くわ。
欲しいものがあるとき、あなたならどうする?」
フレイアは挑発的に笑って見せる。
ハイネスの脳裏に、恋人の面影が過った。
「わたくしは、それを下さいと、
誰かに頭を下げるのはまっぴらごめんだわ」
フレイアが甲高い笑い声を上げた。
「だったらどうする?
盗むの? それは卑怯ね。
だからわたくしは力尽くでそれを奪うの。
とても公正な方法だと思うわ」
フレイアの言葉に、ハイネスがきつく口を引き結んだ。
「だからって……貴殿には理性というものがないのか?
そのことによって、
引き起こされる様々なことを考えないと?」
フレイアが不思議そうな顔をする。
「考えてどうなるというの?
あなたは随分と甘ちゃんでいらっしゃるのね。
きっと戦争に、正義や愛、平和をもたらすのだという、
耳障りのいい大義名分を求める人種なのね」
フレイアの憐れむような眼差しが、
ハイネスに突き刺さる。
「でもね、教えてあげる。
戦争はあなたが思い描いているような、
そんな美しいものではない。
ただの殺し合いよ?
欲しいものを手に入れるために他者を殺す、
そんな原始的な人類の本能にすぎない」
閉め切った地下室に、どこから迷い込んだのか、
羽虫が一匹、机に置かれた年代物のスタンドライトの周りを、
耳障りな音を立てて羽ばたいている。
羽ばたいて、
羽ばたいて……、
しかしどこにも行けずに、
白熱灯の熱に焼かれては、身を傷つけていく。
そんな残酷な光景を、
ハイネスはただぼんやりと見つめている。
やがて羽虫の羽は捥げ、
ポタリと机の上に落ちた。
「だけどそこには、自分の命を懸けるのよ。
だから卑怯ではないわ。
勝てば官軍負ければ賊軍とはよく言ったものね。
だから真実なんていうものは、意味がない。
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