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99.カルシアの追憶
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カルシアは幽閉先の荒城から、親衛隊の手によって
一艘の小舟に乗せられた。
湖水を舟が走る。
走った分だけ波紋を広げて。
水面に月が映り、ゆらりと揺れている。
カルシアは何気なく空を見上げた。
雲間から月が見える。
本来はそこにあるはずのない、映像だ。
カルシアはふと、自嘲を浮かべた。
そこにないものを、
あたかもそこにあるかのように扱う人の滑稽さに思いを馳せる。
そしてそこに自身の人生を重ねる。
カルシア・ハイデンバーグ第二王妃、
それが彼女の正式称号だ。
(そもそもそれこそが虚飾なのだ)
カルシアは寂しい笑みを浮かべた。
ハイデンバーグの性は、レッドロライン王の叔父にあたる
前国王の弟、ハイデンバーグ大公のものである。
当時王都の劇場で人気を博した一人の踊り子がいた。
その踊り子を見初めたハイデンバーグは、
金にものをいわせて、彼女を自身の愛人とした。
しかし勝気で自由奔放なカルシアの母親は、
「あの男に自由まで売ったつもりはないわ」
そう言い放ち、ハイデンバーグの他にも不特定多数の男性と関係を持っていたので、
結局カルシアの父が誰なのかはわからなかった。
カルシアの母はハイデンバーグの愛人として、莫大な援助を受けてはいたが、
カルシア自身は認知もされず、父親としてハイデンバーグに情を交わしたこともない。
しかしカルシアの母譲りの美貌に目をつけたハイデンバーグは、
カルシアが14歳になると、彼女を認知し、自身の屋敷に迎え入れた。
贅をつくした豪奢な屋敷ではあったが、ここよりも冷たい場所はないと、
カルシアはよく涙で枕を濡らしたものだ。
ハイデンバーグ大公家の娘として、みっちりとお妃教育を施され、
ドレスや宝石でこの身をいくら飾ろうとも、
その心が満たされることはなかった。
人々は口々にカルシアの容姿を褒め、
多くの青年貴族たちがこぞって求愛した。
しかしそれはカルシアの心を求めているのではなく、
美女を伴うという自身のステータスを彩る飾りにすぎなかった。
それはカルシアをまるでゲームの景品や、
トロフィーにでもなったかのようなむなしい気持ちにさせる。
カルシアは鏡に自身の姿を映してみる。
(まるでお飾りの人形のよう)
鏡に映る自身の姿は、確かに美しいのかもしれない。
しかし、そこに心はない。
(凍えた本当のこの心を知るものはいない)
鏡を見つめるカルシアの頬に涙が伝った。
◇◇◇
そんな日々を送っていた時、
カルシアはある夜会で、ひとりの青年と出会った。
硬質な金色の髪に、すっと通った鼻筋、薄い唇。
少し気は弱そうだが、とても美しい青年だった。
カルシアは最初、この純真な青年をからかってやろうと思った。
「あなた、わたくしとワルツを踊っていただける?」
カルシアは片手を腰に当て、ツンと上を向いて高飛車に青年に手を差し出すと、
青年は震える手でそれを取った。
青年はこれ以上にないくらいに、不器用なステップを踏んでいるが、
カルシアにとっては、なんだかそれすら微笑ましくも、好ましくも思えた。
カルシアは時折わざと、青年の足を踏んずけてやる。
「痛っ」
その度に青年が顔を顰める様も面白い。
「ごめんあそばせ」
カルシアはツンと上を向いて、青年に囁く。
そんなカルシアに苦笑しながらも、
ダンスを終えると青年はカルシアに飲み物を取ってきてくれた。
話を聞くと、青年は国王の側近であり、事務次官を務めているのだという。
カルシアは誠実で実直なこの青年に惹かれていった。
青年もまたカルシアを見つめる眼差しに熱を帯びる。
若い二人が恋に落ちるのに時間はかからなかった。
ラストダンスが近づくと、
今度は青年が真っ赤になってカルシアにダンスを申し込んだ。
カルシアはその手をとって、情熱的に踊って見せた。
手に手を取って広間を抜け出して、
人目を避けて中庭で交わしたキスの味を、
カルシアは今も鮮明に覚えている。
それは生まれて初めて、カルシアが人を愛した瞬間だった。
人の温もりが、唇が、こんなにも温かいものなのだと初めて知った。
その温もりがカルシアの凍えていた心を溶かした。
ハイネスの腕の中に抱きしめられることが、
生まれて初めてカルシアに安らぎをもたらした。
(そう、わたくしは、その夜、
この月のようにとても幸せな夢をみてしまったの)
カルシアは感慨深げに月を見上げた。
(とても幸せな夢よ。
だけど幸せであればあるほど、残酷な夢)
カルシアの視線が闇の中に彷徨う。
(でもね、後悔はしていない)
月は静かに水面を照らし、輝きを放っている。
映像であることを忘れさせるほどに、
それはカルシアの心を打つ。
この月は映像かもしれない。
だけど本国のある地球という惑星からは、
本物の月を見ることができるのだという。
闇を照らすこの優しい光を、ふと見てみたいと
カルシアは思った。
その優しい光の中に、カルシアはハイネスの面影を思い出した。
カルシアが月の光の中に手を翳す。
光はカルシアの手指をすり抜けていく。
(その代償にこの命を差し出したって構わない)
カルシアは微笑む。
(愛しい人の抱擁と、口づけを道連れに、
この闇に溶けてしまうのも悪くはない人生ね)
一艘の小舟に乗せられた。
湖水を舟が走る。
走った分だけ波紋を広げて。
水面に月が映り、ゆらりと揺れている。
カルシアは何気なく空を見上げた。
雲間から月が見える。
本来はそこにあるはずのない、映像だ。
カルシアはふと、自嘲を浮かべた。
そこにないものを、
あたかもそこにあるかのように扱う人の滑稽さに思いを馳せる。
そしてそこに自身の人生を重ねる。
カルシア・ハイデンバーグ第二王妃、
それが彼女の正式称号だ。
(そもそもそれこそが虚飾なのだ)
カルシアは寂しい笑みを浮かべた。
ハイデンバーグの性は、レッドロライン王の叔父にあたる
前国王の弟、ハイデンバーグ大公のものである。
当時王都の劇場で人気を博した一人の踊り子がいた。
その踊り子を見初めたハイデンバーグは、
金にものをいわせて、彼女を自身の愛人とした。
しかし勝気で自由奔放なカルシアの母親は、
「あの男に自由まで売ったつもりはないわ」
そう言い放ち、ハイデンバーグの他にも不特定多数の男性と関係を持っていたので、
結局カルシアの父が誰なのかはわからなかった。
カルシアの母はハイデンバーグの愛人として、莫大な援助を受けてはいたが、
カルシア自身は認知もされず、父親としてハイデンバーグに情を交わしたこともない。
しかしカルシアの母譲りの美貌に目をつけたハイデンバーグは、
カルシアが14歳になると、彼女を認知し、自身の屋敷に迎え入れた。
贅をつくした豪奢な屋敷ではあったが、ここよりも冷たい場所はないと、
カルシアはよく涙で枕を濡らしたものだ。
ハイデンバーグ大公家の娘として、みっちりとお妃教育を施され、
ドレスや宝石でこの身をいくら飾ろうとも、
その心が満たされることはなかった。
人々は口々にカルシアの容姿を褒め、
多くの青年貴族たちがこぞって求愛した。
しかしそれはカルシアの心を求めているのではなく、
美女を伴うという自身のステータスを彩る飾りにすぎなかった。
それはカルシアをまるでゲームの景品や、
トロフィーにでもなったかのようなむなしい気持ちにさせる。
カルシアは鏡に自身の姿を映してみる。
(まるでお飾りの人形のよう)
鏡に映る自身の姿は、確かに美しいのかもしれない。
しかし、そこに心はない。
(凍えた本当のこの心を知るものはいない)
鏡を見つめるカルシアの頬に涙が伝った。
◇◇◇
そんな日々を送っていた時、
カルシアはある夜会で、ひとりの青年と出会った。
硬質な金色の髪に、すっと通った鼻筋、薄い唇。
少し気は弱そうだが、とても美しい青年だった。
カルシアは最初、この純真な青年をからかってやろうと思った。
「あなた、わたくしとワルツを踊っていただける?」
カルシアは片手を腰に当て、ツンと上を向いて高飛車に青年に手を差し出すと、
青年は震える手でそれを取った。
青年はこれ以上にないくらいに、不器用なステップを踏んでいるが、
カルシアにとっては、なんだかそれすら微笑ましくも、好ましくも思えた。
カルシアは時折わざと、青年の足を踏んずけてやる。
「痛っ」
その度に青年が顔を顰める様も面白い。
「ごめんあそばせ」
カルシアはツンと上を向いて、青年に囁く。
そんなカルシアに苦笑しながらも、
ダンスを終えると青年はカルシアに飲み物を取ってきてくれた。
話を聞くと、青年は国王の側近であり、事務次官を務めているのだという。
カルシアは誠実で実直なこの青年に惹かれていった。
青年もまたカルシアを見つめる眼差しに熱を帯びる。
若い二人が恋に落ちるのに時間はかからなかった。
ラストダンスが近づくと、
今度は青年が真っ赤になってカルシアにダンスを申し込んだ。
カルシアはその手をとって、情熱的に踊って見せた。
手に手を取って広間を抜け出して、
人目を避けて中庭で交わしたキスの味を、
カルシアは今も鮮明に覚えている。
それは生まれて初めて、カルシアが人を愛した瞬間だった。
人の温もりが、唇が、こんなにも温かいものなのだと初めて知った。
その温もりがカルシアの凍えていた心を溶かした。
ハイネスの腕の中に抱きしめられることが、
生まれて初めてカルシアに安らぎをもたらした。
(そう、わたくしは、その夜、
この月のようにとても幸せな夢をみてしまったの)
カルシアは感慨深げに月を見上げた。
(とても幸せな夢よ。
だけど幸せであればあるほど、残酷な夢)
カルシアの視線が闇の中に彷徨う。
(でもね、後悔はしていない)
月は静かに水面を照らし、輝きを放っている。
映像であることを忘れさせるほどに、
それはカルシアの心を打つ。
この月は映像かもしれない。
だけど本国のある地球という惑星からは、
本物の月を見ることができるのだという。
闇を照らすこの優しい光を、ふと見てみたいと
カルシアは思った。
その優しい光の中に、カルシアはハイネスの面影を思い出した。
カルシアが月の光の中に手を翳す。
光はカルシアの手指をすり抜けていく。
(その代償にこの命を差し出したって構わない)
カルシアは微笑む。
(愛しい人の抱擁と、口づけを道連れに、
この闇に溶けてしまうのも悪くはない人生ね)
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