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新・八八艦隊建設
新・八八艦隊計画
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1936年に日本はロンドン海軍軍縮条約を脱退。
これを機に第三次海軍補充計画、通称③計画が策定される運びとなった。
軍令部、特に軍令部総長の伏見宮博恭王は戦艦の建造を熱望していたが、同年の軍事演習に置いて制式採用されたばかりの新鋭機である九六式陸攻27機と高速戦艦霧島が模擬戦闘を行い、九六式陸攻は2機を失ったのみに対して、霧島は撃沈されてしまうという大事件が発生した。
もちろん霧島は無事であるが、このことは海軍にかなりの衝撃を与えた。
つい5年前では飛ぶことも怪しかった日本の航空機が戦艦とはいえ、もっとも機動性に優れた金剛型戦艦の霧島を撃沈したのだ。
これは海軍の軍備にも多大な影響を与えた。
この演習の結果を追い風にして海軍航空本部長の山本五十六中将は”戦艦は空母に敵わない!これからは空母を建造するべきだ!”とまくし立てていた。
この意見は海軍の青年将校や中堅将校に波及していき、大きなうねりとなっていた。
もはや軍令部もこの声を無視して建艦計画を策定することは出来ないほどに。
また、海軍内の対立の深刻となりもはや伏見宮は自分の意見だけを通すわけには行かなくなっていた。
(ここは双方の意見を取り入れて艦隊を整備するしかない!そうでもしないと、陸軍に予算を持って行かれてしまう!)
伏見宮はそう決意して、次長の嶋田繁太郎にこの旨を伝えて③計画策定に当たらせたのである。
嶋田は大いに悩んみ、双方の意見を聞いて回った。
そうしてみると、両者からほとんど同じような意見が聞こえてきた。
”同様の性能をした艦艇で4隻づつの戦隊を組めば戦術の幅が広がる”というのだ。
また、戦艦は重装甲かつ30ノット以上の高速、加えてそれなりの打撃力を必要とし、空母は速力とぞれなりの全長の長さを欲していた。
これらを勘案すると、まさに”新しい八八艦隊計画”が嶋田の頭に浮かんだ。
(高速戦艦8隻と大型空母8隻を組ませれば海上、空中の敵に対して大変優位に戦えるのではないか…?)
元々、八八艦隊と言うのは”運用上優位なために”16隻もの戦艦を建造しようとしていた。
その16隻の内、8隻が大型空母に変わっただけだ。
なにも斬新な発想では無かった。
嶋田は早速、これを伏見宮に伝えると伏見宮は大きく頷いた。
これに勇気を得た嶋田は同期である山本にこの新しい八八艦隊計画を提案すると以外にあっさりと受け入れたのである。
(8隻の戦艦は全て高速戦艦だ…ならば、空母の護衛役として最適ではないか)
山本はそういう腹積もりで了承したのである。
これを機に第三次海軍補充計画、通称③計画が策定される運びとなった。
軍令部、特に軍令部総長の伏見宮博恭王は戦艦の建造を熱望していたが、同年の軍事演習に置いて制式採用されたばかりの新鋭機である九六式陸攻27機と高速戦艦霧島が模擬戦闘を行い、九六式陸攻は2機を失ったのみに対して、霧島は撃沈されてしまうという大事件が発生した。
もちろん霧島は無事であるが、このことは海軍にかなりの衝撃を与えた。
つい5年前では飛ぶことも怪しかった日本の航空機が戦艦とはいえ、もっとも機動性に優れた金剛型戦艦の霧島を撃沈したのだ。
これは海軍の軍備にも多大な影響を与えた。
この演習の結果を追い風にして海軍航空本部長の山本五十六中将は”戦艦は空母に敵わない!これからは空母を建造するべきだ!”とまくし立てていた。
この意見は海軍の青年将校や中堅将校に波及していき、大きなうねりとなっていた。
もはや軍令部もこの声を無視して建艦計画を策定することは出来ないほどに。
また、海軍内の対立の深刻となりもはや伏見宮は自分の意見だけを通すわけには行かなくなっていた。
(ここは双方の意見を取り入れて艦隊を整備するしかない!そうでもしないと、陸軍に予算を持って行かれてしまう!)
伏見宮はそう決意して、次長の嶋田繁太郎にこの旨を伝えて③計画策定に当たらせたのである。
嶋田は大いに悩んみ、双方の意見を聞いて回った。
そうしてみると、両者からほとんど同じような意見が聞こえてきた。
”同様の性能をした艦艇で4隻づつの戦隊を組めば戦術の幅が広がる”というのだ。
また、戦艦は重装甲かつ30ノット以上の高速、加えてそれなりの打撃力を必要とし、空母は速力とぞれなりの全長の長さを欲していた。
これらを勘案すると、まさに”新しい八八艦隊計画”が嶋田の頭に浮かんだ。
(高速戦艦8隻と大型空母8隻を組ませれば海上、空中の敵に対して大変優位に戦えるのではないか…?)
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なにも斬新な発想では無かった。
嶋田は早速、これを伏見宮に伝えると伏見宮は大きく頷いた。
これに勇気を得た嶋田は同期である山本にこの新しい八八艦隊計画を提案すると以外にあっさりと受け入れたのである。
(8隻の戦艦は全て高速戦艦だ…ならば、空母の護衛役として最適ではないか)
山本はそういう腹積もりで了承したのである。
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