2 / 15
2話:マイコンショップで金儲け
しおりを挟む
その仲間では、近いうちに、1人が1台のコンピューターを使う時代が来るという、アメリカ発の情報に興味を持っていた。特に、アメリカのゼロックスで小型コンピューターを製作したと言う情報を掴んでいた。日本で小型コンピューターを作るとしたら、東芝、日立、三菱電機、富士通、日本電気の会社名が上がっていた。友人達が、資本力のある日立、三菱電機、東芝が、最初にミニ・コンピューターを発売すると言った。
しかし、ミニコンピュターは、単に、大型コンピューターを小さくしただけで、新しさに欠けると言った。それより、その先、1人が1台を持って使う、個人用コンピューターの時代が10年後、到来すると夢のような話をしていた。そして、その話を父の柳生敏夫に伝えて、投資で設けたいので100万円貸してくれと言い、日本電気にかけてみなかと言うと、面白いかも知れないと言い、賛同してくれた。
そして、1974年6月、父の使っているN証券で、敦夫も証券口座を解説し、株の担当者に話すと、面白いかも知れないと言い、安くなったら、電話を入れますと、担当者が言った。その後、11月6日、早朝、日本電気を1150円で、8000株ずつ、920万円で買った。父の資産残金が300万円強になった。その後、奥さんの梅子さんが妊娠したとわかった。
出産予定日が1975年4月12日と告げられた。妊娠後の診察で双子と判明した。やがて1975年4月10日に、産婦人科病院に入院して、4月12日、長男の柳生利一と長女、柳生愛子を出産した。柳生家では、敦夫の入院とか、暗いニュースばかりだったので、久しぶりの明るいニュースに、柳生家だけでなく、近所の一族の分家や親戚筋でも、大喜びしてくれ、多くの誕生祝いをもらった。
しかし、柳生家では、敦夫の母の律子さんが、一生懸命、梅子さんの身の回りの世話と双子の面倒を見て、目が回るほどの忙しさかだった。そして、7月に梅子さんは、近くのスーパーへ仕事に出かけ始めた。そのため、父の柳生敏夫と奥さんが双子ちゃんの面倒を見て、忙しかった。敦夫も18時には、家に帰り、双子ちゃんを風呂に入れたり、夕食の支度をしたりして、手分けして家事を手伝った。
やがて1975年が終わり1976年を迎えた。そんな時、敦夫の務めていた商店で、店主の人が、金が出来たので、町中で店舗を借りて、商売をしたいので、敦夫にこの店を任せたいと言い出した。条件は店の賃料、月10万円を払えば良いと言う条件だった。もちろん、仕入れ、在庫管理、販売、全部、敦夫の金でやってくれと言う条件だった。そこで、父の敏夫に相談すると、両親が手伝うと言うので引き受けた。
そして、母と奥さんに、天ぷら、揚げ物を作って半日してもらい。敦夫は、この頃、流行し始めた電化製品の販売に注力したいと考えた。携帯ラジオ、ラジオカセット、ステレオ、白黒テレビ、カラーテレビの設置、アンテナ設置をサービスした。それにより電球の取り替え、電化製品の相談などを一手に引き受けて繁盛していった。特にカラーテレビを買ってもらった、お客さんにはアンテナを無料設置が好評だった。
その後1980年までの4年間で1000万円の預金が出来た。儲かった分だけ、忙しかったが、特に利益率が高かったのが、揚げ物で地元でとれる、芋、キノコ、川魚の塩焼き、タケノコの天ぷら、山菜のおひたし、山菜おこわ、赤飯、菓子パン類の儲けが大きかった。敦夫が、思った通り、日本電気からNEC8001という、日本発のパーソナルコンピューターが1979年5月9日に発売された。
直ぐに、日本電気PC8001の特約店になり、簡易言語ベーシック講座を開いて、マニアを集めた。1台、168000円と高く、ほとんどの人が月賦払い、ボーナス併用ばらいであり、敦夫が10台まとめて、現金割引で買い、月賦の利子を全部もらう格好で儲かった。その後、敦夫が、夕方から、パソコン教室を開催して、BASICでゲームを作る方法を教えた。
その当時、記憶装置は、カセットテープで書き込みと読み出しをしていて、頻繁に読み込みエラーを起こしたのを思い出す。機械が温まってから、始めるとエラーが起こらないとか、誠に勝手、理屈をこねたりしていたが、諦めて、正常に動くまで待ったいたのを懐かしく思い出す。CPU「中央演算ユニット」は、 μPD780C-1(Z80-A互換)4MHだった。また、PC8001の月賦を払えなくなって手放す人や他の理由で金が必要になりPC8001を手放す人がいて、それを再販するのも儲けが大きかった。
コンピューター言語は、最初、ベーシックは、エヌ・-ベーシック(マイクロソフト24Kベーシック BASIC))バージョン1.0として発売1981年4月に文字欠け等を修正したエヌ・-ベーシック・バージョン1.1に乗せ換えて発売された。その後、1983年3月に、後継機として、PC8001マークⅡが123000円で発売された。PC8001を買った人達に教えた。
1981年には、日本のパソコン第2号として日本電気のライバル富士通からFM8「マイクロエイト」が発売された。特長6つあった。1、モトローラ8ビットCPU 6809を2個搭載「メイン用とサブ用」。2.世界で初めて大型機並みの64キロビットDRAMをマイコンに採用「64キロバイトの主記憶」3.漢字キャラクタROM「JIS第1水準漢字2965種,オプション」による日本語表示。
4.高解像度「640*200ドット,1ドット当たり8色指定可能」のカラーグラフィクス、5.FーBASICに加えて,UCSDーPASCAL,FLEX,CP/M「Z80カードオプション要」などのOSを提供、6.外部記憶としてバブルメモリ「発表時 容量32キロバイトのバブルカセット。
後に128キロバイトのカセットを追加」をパソコンで初めて採用「これは普及せずFM-7では標準機能から削除された」その後、富士通では1982年11月には,FM-8の上位機FM-11「エフエムイレブン」と普及機FM-7「エフエムセブン」が発表された。その後も、柳生敦夫は、その商店の近くの公民館で、毎週日曜日にベーシック教室を継続して、多くのパソコン商売し、特に中古品の売買で4年弱で1000万円を手に入れた、
しかし、ミニコンピュターは、単に、大型コンピューターを小さくしただけで、新しさに欠けると言った。それより、その先、1人が1台を持って使う、個人用コンピューターの時代が10年後、到来すると夢のような話をしていた。そして、その話を父の柳生敏夫に伝えて、投資で設けたいので100万円貸してくれと言い、日本電気にかけてみなかと言うと、面白いかも知れないと言い、賛同してくれた。
そして、1974年6月、父の使っているN証券で、敦夫も証券口座を解説し、株の担当者に話すと、面白いかも知れないと言い、安くなったら、電話を入れますと、担当者が言った。その後、11月6日、早朝、日本電気を1150円で、8000株ずつ、920万円で買った。父の資産残金が300万円強になった。その後、奥さんの梅子さんが妊娠したとわかった。
出産予定日が1975年4月12日と告げられた。妊娠後の診察で双子と判明した。やがて1975年4月10日に、産婦人科病院に入院して、4月12日、長男の柳生利一と長女、柳生愛子を出産した。柳生家では、敦夫の入院とか、暗いニュースばかりだったので、久しぶりの明るいニュースに、柳生家だけでなく、近所の一族の分家や親戚筋でも、大喜びしてくれ、多くの誕生祝いをもらった。
しかし、柳生家では、敦夫の母の律子さんが、一生懸命、梅子さんの身の回りの世話と双子の面倒を見て、目が回るほどの忙しさかだった。そして、7月に梅子さんは、近くのスーパーへ仕事に出かけ始めた。そのため、父の柳生敏夫と奥さんが双子ちゃんの面倒を見て、忙しかった。敦夫も18時には、家に帰り、双子ちゃんを風呂に入れたり、夕食の支度をしたりして、手分けして家事を手伝った。
やがて1975年が終わり1976年を迎えた。そんな時、敦夫の務めていた商店で、店主の人が、金が出来たので、町中で店舗を借りて、商売をしたいので、敦夫にこの店を任せたいと言い出した。条件は店の賃料、月10万円を払えば良いと言う条件だった。もちろん、仕入れ、在庫管理、販売、全部、敦夫の金でやってくれと言う条件だった。そこで、父の敏夫に相談すると、両親が手伝うと言うので引き受けた。
そして、母と奥さんに、天ぷら、揚げ物を作って半日してもらい。敦夫は、この頃、流行し始めた電化製品の販売に注力したいと考えた。携帯ラジオ、ラジオカセット、ステレオ、白黒テレビ、カラーテレビの設置、アンテナ設置をサービスした。それにより電球の取り替え、電化製品の相談などを一手に引き受けて繁盛していった。特にカラーテレビを買ってもらった、お客さんにはアンテナを無料設置が好評だった。
その後1980年までの4年間で1000万円の預金が出来た。儲かった分だけ、忙しかったが、特に利益率が高かったのが、揚げ物で地元でとれる、芋、キノコ、川魚の塩焼き、タケノコの天ぷら、山菜のおひたし、山菜おこわ、赤飯、菓子パン類の儲けが大きかった。敦夫が、思った通り、日本電気からNEC8001という、日本発のパーソナルコンピューターが1979年5月9日に発売された。
直ぐに、日本電気PC8001の特約店になり、簡易言語ベーシック講座を開いて、マニアを集めた。1台、168000円と高く、ほとんどの人が月賦払い、ボーナス併用ばらいであり、敦夫が10台まとめて、現金割引で買い、月賦の利子を全部もらう格好で儲かった。その後、敦夫が、夕方から、パソコン教室を開催して、BASICでゲームを作る方法を教えた。
その当時、記憶装置は、カセットテープで書き込みと読み出しをしていて、頻繁に読み込みエラーを起こしたのを思い出す。機械が温まってから、始めるとエラーが起こらないとか、誠に勝手、理屈をこねたりしていたが、諦めて、正常に動くまで待ったいたのを懐かしく思い出す。CPU「中央演算ユニット」は、 μPD780C-1(Z80-A互換)4MHだった。また、PC8001の月賦を払えなくなって手放す人や他の理由で金が必要になりPC8001を手放す人がいて、それを再販するのも儲けが大きかった。
コンピューター言語は、最初、ベーシックは、エヌ・-ベーシック(マイクロソフト24Kベーシック BASIC))バージョン1.0として発売1981年4月に文字欠け等を修正したエヌ・-ベーシック・バージョン1.1に乗せ換えて発売された。その後、1983年3月に、後継機として、PC8001マークⅡが123000円で発売された。PC8001を買った人達に教えた。
1981年には、日本のパソコン第2号として日本電気のライバル富士通からFM8「マイクロエイト」が発売された。特長6つあった。1、モトローラ8ビットCPU 6809を2個搭載「メイン用とサブ用」。2.世界で初めて大型機並みの64キロビットDRAMをマイコンに採用「64キロバイトの主記憶」3.漢字キャラクタROM「JIS第1水準漢字2965種,オプション」による日本語表示。
4.高解像度「640*200ドット,1ドット当たり8色指定可能」のカラーグラフィクス、5.FーBASICに加えて,UCSDーPASCAL,FLEX,CP/M「Z80カードオプション要」などのOSを提供、6.外部記憶としてバブルメモリ「発表時 容量32キロバイトのバブルカセット。
後に128キロバイトのカセットを追加」をパソコンで初めて採用「これは普及せずFM-7では標準機能から削除された」その後、富士通では1982年11月には,FM-8の上位機FM-11「エフエムイレブン」と普及機FM-7「エフエムセブン」が発表された。その後も、柳生敦夫は、その商店の近くの公民館で、毎週日曜日にベーシック教室を継続して、多くのパソコン商売し、特に中古品の売買で4年弱で1000万円を手に入れた、
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる