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3話:株の稼ぎで家を新築
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1982年が終わり1983年を迎えた。この当時は、電化製品が高く、一般庶民は、月賦で購入する人が多く、買ってから月賦が終わる3年、4年で、画期的な新製品が出ることも良くあった。その月賦途中の流れ品は、新品同様で、買い値は、半額以下になり、それを現金で買っては、2,3割引で販売する。この美味しい商売は、お客さんに顔があるかどうか、信用されてるかどうかが決めだった。
その点、柳生商店では、パソコン購入者に無料で、パソコンの使用法と説明会とベーシック言語の教室を開き、お客さんとの信頼関係を保っていた。そのため、秋葉原で修理用の部品を買ってきて、修理したり、特選中古品を販売したりして稼いでいた。簡単な電気製品の修理方法もメーカーへ行き講習を受けてマスターしていき、地域住民への修理も万全を期していて、便器屋として重宝がられていた。
そのうち、バイクも商うようになった。当時、ホンダ・スーパー・カブは、原動機付き自転車免許で乗れ、大人気でこの地域でも売れていた。その修理の方法や特長をホンダの工場へ行き、講習を受けて、ホンダ特約店となり、スーパーカブを始めオートバイの売買を広げていった。これが、パソコンに、次いで、美味しい商売であり、やはり、無理して月賦で買って、払いきれずに、安く引き取れた。
そのスーパーカブをきれいに洗って、整備して、新品の2割引で売った。下取りは、通常5割引で、汚れがひどいと6割引、修理が必要な場合7,8割引だった。たまに、車輪が曲がったりした事故車を無料で、引き取りに行き、無料で手に入れることもあった。それをきれいにして、3割引で売れるのだから、笑いが止まらなかった。
稀に、不良っぽい、高校生、大学生が高価なバイクを買ったが保険に入れないというので、サービスとして、保険をつけてやった。そして、その不良っぽい、兄ちゃんが、交通事故で死亡して、保険金が入る事があった。しかし、これは、大金が入るが、さすがに、罪悪感に苛まれて、継続することは出来なかった。敦夫も、将来、死ぬときになっても地獄より、天国に行きたいので、直ぐにやめた。
そんな事で、1987年には、父に借りた100万円も全額返済し、父も保険や、その他の手続きなど含めて、総額1000万円を父に渡し、それでも、敦夫には2000万円が残った。そして1987年4月22日、早朝、証券会社から電話が入り、日本電気株が上昇しているので25000円で売り指値を指示されて了解し、売りを指示した。すると、その晩、電話で全株売れたと連絡が入った。税引き後利益17700万円ずつ、父と敦夫が手にした。
そのため、親子とも資産が2億円を超えた。ちょうど、その頃、ワリコー、郵便局の預金の金利が7,8%であり10年で2倍になった。そこで、父の資産のアドバイザーをしてくれていた、地元の柳生鉄郎の息子が一橋大学を出て三菱銀行に勤めていたので、利殖方法を聞いた。すると、不動産が良いが、1億円では、足らない。そこで、株でもうけた方が良いと教えられた。
1988年4月に、柳生敦夫の長男の柳生利一と長女、柳生愛子が、そろって地元の中学に入学した。長男は理系が得意で、長女は英語と国語、文系が得意だった。中学2年になって、長男の利一は、早稲田大学の理工学部をめざすと言い、長女の愛子は、慶応大学商学部を目標にすると言った。そして、両者とも、出来たら高校から早稲田と慶応に入りたいというので、入れれば良かろうと、父の敦夫が許可した。
その後、勉強を続けクラスベスト3に入り、中学3年の時に担任の先生から、受験しても良いと、許可が下りた。その時点での合格の可能性は75%だった。そして、中学3年になり、2人とも、学年でベスト10入りして、更に合格の可能背を高め80%を越えて、1991年2月に、利一は早稲田大学附属高校へ、愛子は慶應女子高校の受験票を手に入れて受験して、合格した。その後、高校の近くの学生寮に入って、高校へ通い始めた。
取引してるN証券の担当者にも聞くと、株が一番だと言われ、ちなみ、ソニー株が良いと言われ、1987年5月10日に1180円で5万株を5900万で買いの指示を出し買えた。その後1989年12月に4200円で全株売った。すると税引き後19000万円となり、柳生親子の資産が4億円ずつになった。そこで、実家を壊して、新しい木造の家を建てることを考えた。
地元の建築業者に聞くと、2軒で7千万円、整地と上下水道、電気で1千万円で可能だと言われた。その他、電化製品と車の買い換えで400万円で、総計8400万円で
、新築をお願いした。柳生家の敷地が350坪あり、現在の家に住みながら、新しい住宅を建築できると言われた。1990年1月に建築を開始し、予定では9月中に完成し、現在の庭の反対側に、新築の住宅を建てることになった。これにより柳生親子の資産が36000万円ずつとなった。
その後、柳生敦夫は、パソコンの普及が早く、次は、ネット通信の時代が来ると予想していた。そして、敦夫の友人が東京工業大学で、1985年から東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を実験的にUUCPで結んだ“JUNET”が誕生したことを聞いていた。その後、民間に、必ず普及してくると考えていた。そして1992年日本で初めての本格的商用インターネットサービスプロバイダ「IIJ]がサービスを開始した。
その後、1993年7月「UUUCPサービス」開始、11月に「インターネット接続サービス」開始した。インターネットの時代が来ると言い、関連する企業の株を購入すべきだと、考えていた。この話をN証券の担当者にも伝えると、なる程ねと言っていたが、もう1つ良く理解していないようだった。しかし、1995年にIIJの情報がN証券で話題になり、納得してくれた。
やがて、1994年を迎え、今年は、長男の利一と長女の愛子が大学に入る年になった。高校での成績も上位に位置して、大学の進学にもんだ言わないと聞かされていたが、その通り、すんなりと早稲田大学理工学部電子科と慶応大学商学部に合格した。合格後、家に帰ってきて、大学2,3年の夏休みにアメリカ留学指して欲しいと言われ費用が3週間で30万円と言われ、父は了解した。
その点、柳生商店では、パソコン購入者に無料で、パソコンの使用法と説明会とベーシック言語の教室を開き、お客さんとの信頼関係を保っていた。そのため、秋葉原で修理用の部品を買ってきて、修理したり、特選中古品を販売したりして稼いでいた。簡単な電気製品の修理方法もメーカーへ行き講習を受けてマスターしていき、地域住民への修理も万全を期していて、便器屋として重宝がられていた。
そのうち、バイクも商うようになった。当時、ホンダ・スーパー・カブは、原動機付き自転車免許で乗れ、大人気でこの地域でも売れていた。その修理の方法や特長をホンダの工場へ行き、講習を受けて、ホンダ特約店となり、スーパーカブを始めオートバイの売買を広げていった。これが、パソコンに、次いで、美味しい商売であり、やはり、無理して月賦で買って、払いきれずに、安く引き取れた。
そのスーパーカブをきれいに洗って、整備して、新品の2割引で売った。下取りは、通常5割引で、汚れがひどいと6割引、修理が必要な場合7,8割引だった。たまに、車輪が曲がったりした事故車を無料で、引き取りに行き、無料で手に入れることもあった。それをきれいにして、3割引で売れるのだから、笑いが止まらなかった。
稀に、不良っぽい、高校生、大学生が高価なバイクを買ったが保険に入れないというので、サービスとして、保険をつけてやった。そして、その不良っぽい、兄ちゃんが、交通事故で死亡して、保険金が入る事があった。しかし、これは、大金が入るが、さすがに、罪悪感に苛まれて、継続することは出来なかった。敦夫も、将来、死ぬときになっても地獄より、天国に行きたいので、直ぐにやめた。
そんな事で、1987年には、父に借りた100万円も全額返済し、父も保険や、その他の手続きなど含めて、総額1000万円を父に渡し、それでも、敦夫には2000万円が残った。そして1987年4月22日、早朝、証券会社から電話が入り、日本電気株が上昇しているので25000円で売り指値を指示されて了解し、売りを指示した。すると、その晩、電話で全株売れたと連絡が入った。税引き後利益17700万円ずつ、父と敦夫が手にした。
そのため、親子とも資産が2億円を超えた。ちょうど、その頃、ワリコー、郵便局の預金の金利が7,8%であり10年で2倍になった。そこで、父の資産のアドバイザーをしてくれていた、地元の柳生鉄郎の息子が一橋大学を出て三菱銀行に勤めていたので、利殖方法を聞いた。すると、不動産が良いが、1億円では、足らない。そこで、株でもうけた方が良いと教えられた。
1988年4月に、柳生敦夫の長男の柳生利一と長女、柳生愛子が、そろって地元の中学に入学した。長男は理系が得意で、長女は英語と国語、文系が得意だった。中学2年になって、長男の利一は、早稲田大学の理工学部をめざすと言い、長女の愛子は、慶応大学商学部を目標にすると言った。そして、両者とも、出来たら高校から早稲田と慶応に入りたいというので、入れれば良かろうと、父の敦夫が許可した。
その後、勉強を続けクラスベスト3に入り、中学3年の時に担任の先生から、受験しても良いと、許可が下りた。その時点での合格の可能性は75%だった。そして、中学3年になり、2人とも、学年でベスト10入りして、更に合格の可能背を高め80%を越えて、1991年2月に、利一は早稲田大学附属高校へ、愛子は慶應女子高校の受験票を手に入れて受験して、合格した。その後、高校の近くの学生寮に入って、高校へ通い始めた。
取引してるN証券の担当者にも聞くと、株が一番だと言われ、ちなみ、ソニー株が良いと言われ、1987年5月10日に1180円で5万株を5900万で買いの指示を出し買えた。その後1989年12月に4200円で全株売った。すると税引き後19000万円となり、柳生親子の資産が4億円ずつになった。そこで、実家を壊して、新しい木造の家を建てることを考えた。
地元の建築業者に聞くと、2軒で7千万円、整地と上下水道、電気で1千万円で可能だと言われた。その他、電化製品と車の買い換えで400万円で、総計8400万円で
、新築をお願いした。柳生家の敷地が350坪あり、現在の家に住みながら、新しい住宅を建築できると言われた。1990年1月に建築を開始し、予定では9月中に完成し、現在の庭の反対側に、新築の住宅を建てることになった。これにより柳生親子の資産が36000万円ずつとなった。
その後、柳生敦夫は、パソコンの普及が早く、次は、ネット通信の時代が来ると予想していた。そして、敦夫の友人が東京工業大学で、1985年から東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を実験的にUUCPで結んだ“JUNET”が誕生したことを聞いていた。その後、民間に、必ず普及してくると考えていた。そして1992年日本で初めての本格的商用インターネットサービスプロバイダ「IIJ]がサービスを開始した。
その後、1993年7月「UUUCPサービス」開始、11月に「インターネット接続サービス」開始した。インターネットの時代が来ると言い、関連する企業の株を購入すべきだと、考えていた。この話をN証券の担当者にも伝えると、なる程ねと言っていたが、もう1つ良く理解していないようだった。しかし、1995年にIIJの情報がN証券で話題になり、納得してくれた。
やがて、1994年を迎え、今年は、長男の利一と長女の愛子が大学に入る年になった。高校での成績も上位に位置して、大学の進学にもんだ言わないと聞かされていたが、その通り、すんなりと早稲田大学理工学部電子科と慶応大学商学部に合格した。合格後、家に帰ってきて、大学2,3年の夏休みにアメリカ留学指して欲しいと言われ費用が3週間で30万円と言われ、父は了解した。
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