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16話:清水郁夫さんの交通事故死と葬儀

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 安田武夫の奥さんの清水律子さんの実家の清水家では、既に10年前に、子供向けのお菓子や雑誌、漫画、文房具、生活用品を売っていた清水商店を閉めてアパート経営をしていた。月5万円の広めの1ルーム、3階建てのマンションで21室を学生、若い人向けに、1、2階は男性、3階は女性専用で3階に上がる階段に施錠したドアを設けて鍵がないとあかないようになっていた。

 21台分の自転車置き場も用意していた。価格が安く橫浜市営地下鉄と東急田園都市線と橫浜市営地下鉄の駅まで徒歩10分で行けるので空き室で困る事はなかった。夏が来て秋になり師走を迎え道路が混み始めた12月26日に国道246号線で居眠り運転の大型トラックがブレーキをかけずに渋滞で止まっていた車に、激しく追突し追突した一部の車が燃え上がり数台が燃えてしまい死者が10人の大惨事となった。

 その時、運悪く清水律子さんお父さんの清水郁夫さんが運転していた軽度トラックが巻き込まれ帰らぬ人となった。その一方が、午後5時に、M物産で働いていた清水律子さんの元に入った。慌てて早退して彼女の母、清水峰子いる清水家に帰った。旦那さんの安田武夫にも連絡し、既に清水家に来ていた。安田武夫が奥さんの律子さんに言われて警察で詳しい状況を聞いてきて欲しいと言われ警察に電話した。

 担当の緑山警察署へ駆けつけると清水郁夫さんは首の骨を折って即死だったようだ。幸い火事に巻き込まれる前に外に運び出されたようだ。その話を清水家に電話すると遺体に会いたいと義理の母の清水峰子さんが言ったので清水家に戻り2人をのせて、その警察署に連れて行った。すると、警察署の方に身分証明書の提示を求められ見せ清水郁夫さんの遺体の顔にかかった白い布をめくって見せてくれたが大きな損傷もなく普段通りの顔だった。

 そして、遺体の引き取りの話を安田武夫がすると、明日の午前10時以降なら結構ですよと言われて、来ることを告げた。清水家に帰り、安田武夫が、今年1月に父の葬儀で世話になった伊東葬儀社に電話をした。明日、緑山警察署へ遺体を引き取りに行って欲しいと言われ、葬儀の事で相談したいので安田家に来て欲しいと言った。

 すると、葬儀社の人が、今すぐ行っても構わないですかというので、奥さんに聞くと、来てと言われ、来てもらうことにした。安田が2人をのせて、安田家に着くと、程なくして、伊東葬儀社の人2人が来て、喪主になる、清水峰子さんと打ち合わせて、葬儀の種類と費用を決めた。もう1人の葬儀社の社員が横浜北部斎場に電話を入れた。

 最短で、いつ斎場、空いてるかを聞くと8日後と言われて、1月4日、朝10時から葬儀と決まった。清水家も安田家も菩提寺が同じだった。そして、事務手続きが。一通り、終わると、清水峰子さんが、急に、泣き出してしまった。娘の清水律子さんが抱きしめて、気を落とさないでと言い続けた。やがて悲しみのうちに2004年が終わりを告げ、2005年を迎えた。

 その後、安田武夫は、奥さんに聞いて、葬儀の案内状を送る先の名簿をもらい、パソコンに入力し、往復葉書の葬儀の案内状を作成し12日27日までに投函した。葬儀には、近所から28名が出席すると返事が来た。2005年1月4日朝9時に、マイクロバス3台とワゴン車2台、乗用車2台で、清水家を出発して、9時半に、横浜北部斎場に到着した。

 この日は、小雨交じりの悪天候だったが、葬儀には、31名の参列者が来て、喪主の清水郁子さんが、挨拶して、挨拶の途中で、言葉が途切れると、娘の律子さんが変わって、話をした。次々と草稿が続き、お経も終わり、11時半に、昼食をとってもらった。その時には、亡き清水郁夫さんの誠実な人柄を偲ぶエピソードや思い出話が出て、生前の清水郁夫さんの優しい人柄が偲ばれた。

 やがて、12時半に遺骨となり、儀式を終えて、近しい人だけで、菩提寺へ行き、納骨された。帰る頃には、冷たい前がみぞれに変わったが滑るほどでもなく、無事、葬儀が終了した。その後、安田武夫が、奥さんに、お母さんに安田家に来て生活したら良いと言うと、話してみると言い、清水家の片付けが終わったら、お願いしたいと言ったと話してくれた。

翌日は、安田武夫が来るまで清水へ奥さんと義理のお母さんを乗せて行き、家の片付けをした。そして、大きな荷物の処分などを安田武夫が、手配した。そして1週間が経ち、清水家がアパートで世話になってる不動産屋に、清水家を借家として貸し出す広告を出してくれた。その後、2005年1月7日から、清水峰子さんが実の娘の律子さんと一緒に、旦那さんの安田武夫と母の安田桂子の4人で、住むことになった。

 2006年9月に、シティバンクが日本での個人向け銀行業務から撤退すると噂が立ち大手町支店に行くと、その予定ですと言われ、日本円と豪ドルを新生銀行に、手数料無料で送金してもらった。2007年10月に豪ドルが上昇し15000万円となった。その年、12月18日には、安田武夫の支払いで、横浜中華街で1人1万円の中華フルコースの忘年会を同じ家に住む4人で盛大に行った。

 その席で安田武夫が、来年、4月にハワイクルーズと観光の9泊10日の旅行に行かないかというと、みんな、最初、遠慮していたが、安田武夫の奥さんの律子さんが、ちょっと投資で儲けたので気にしないでというと楽しみしてますと言ってくれ予約することで全員の了解した。忘年会では紹興酒で乾杯した。最近、安田武夫の母の安田桂子さんと奥さんの母、清水峰子さんがスポーツクラブ来る様になったと話した。

 コミニティクラブで水泳に麻雀教室に火曜と木曜に一緒に行くようになり同年代の女友達が増え元気を取り戻していると言う話が出た。すると、安田武夫が、今度、私も麻雀の仲間に入れて下さいと言うと、喜んで、一緒にやりましょうと言ってくれた。 忘年会が終わり、やがて、2007年が終わり、2008年を迎えた。
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