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1巻番外編「彼等からの彼等」

エピローグ番外編 オオカミの後日譚

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 桜良日鞠が、故郷へ帰った。
 その報せは、翌日には街中のあやかしたちに伝達された。

「お久しぶりでございます孝太朗さま。いやあ、それにしても本日はお日柄もよく……」
「ご無沙汰しております孝太朗殿! 特に用事はございませんが、久しぶりにあなたさまのお顔を拝見したく思いまして……」
「山神さまの薬膳茶を是非ともいただきたく……」

 午前シフトを終えた、十四時過ぎの薬膳カフェにて。
 本来なら一旦CLOSEし、スタッフのまかないを済ませるはずの静かな時間帯。
 しかしここ最近は、連日妙な賑わいを見せていた。

「いやはや。今日もこの時間帯になってあやかしたちがこぞってやってくるねえ。お陰で全然気が休まらないや」
「こっちがまかないを終えるまでは接客はしねえぞ。お冷やならあるから飲みたい奴は好きに飲んでいい」
「はい!」
「承知いたしました!」
「孝太朗殿のお冷や、有り難くいただきます!」

 素直に頷くあやかしたちは、用意されたお冷やを手にしては気ままに席に着く。
 その様子を横目で見ながら、孝太朗は小さく息を吐いた。

「どうやらあやかしたちも気になって仕方がないみたいだね。日鞠ちゃんがカフェからいなくなった真相をさ」

 一応孝太朗のみに耳打ちした類の言葉は、店内のあやかし全員の耳に届いた。
 もちろん、類もそれを見越しているのだろう。
 相変わらずいい性格の幼馴染みだ。

「まあ無理もないよねえ。街中のあやかしたちが、総動員で死守しようとしていた山神さまの花嫁候補だもん。さくっと街からいなくなったら、そりゃあ孝太朗の様子が気になるってもんだよね」
「俺は別にいつも通りだ」
「うんうん。そうだよね。日鞠ちゃんは、あくまで帰省しただけ。一週間くらいでまたこの街に戻ってくるから、心配いらないもんね?」

 これまたはっきりと告げた世間話に、店内のあやかしたちが一様に安堵の息を吐く。
 そこまで心配されるほどなのか、と孝太朗は怪訝な顔を浮かべた。
 ──一週間ほどで戻ってきますから。
 そう言ってキャリーケースとハンドバッグを抱えた日鞠が発ち、今日で五日になる。
 あの時、自分は一体どんな言葉をかけただろうか。
 元来言葉足らずな自分のことだ。気の利いた言葉もかけられずに見送ったに違いない。
 空港までは電車で一本だからと言い張られ、結局見送った場所は北広島駅の改札口だった。
 帰宅した無人の部屋に、孝太朗の胸は動揺した。そんな自分にさらに動揺は重なっていく。
 日鞠がこの街に来て三ヶ月。
 その間に、気づけば家の至るところに彼女の匂いが残されていたのだ。
 ──一週間で、戻ってくるんだろ。
 不意に零れた言葉は、日鞠に対してか自分自身に対してか。それは今でもわからない。

「孝太朗どの」

 呼ばれた名前に、はっと我に返る。
 目の前には、自分が食べ終えたあとの食器がそのまま佇んでいた。
 ぼうっとしていたか。最近はなぜかこういうことが多い。

「孝太朗どの。いつもお世話になっております……!」
「あ?」

 傍らを見下ろすと、水色の着物にわら笠を背中に下ろした豆腐小僧がいた。
 豆腐小僧には、すでに日鞠の帰省の事情も伝えているはずだ。
 豆腐の納品日でもない今日、なぜここに来たのか。孝太朗の疑問が沸く。
 その手に持たれた皿の上のものに、孝太朗の目が瞬いた。

「こちら、最近私がお作りいたしました、新作の豆腐でございます。自分で言うのもおこがましいですが、とてもとてもよい出来だと自負しております」
「? ああ」
「き、きっとこちらを食べていただければ、どんな御方でも、たちまち元気がみなぎるのではないかと考えておりまして……!」
「……ああ」

 気遣わしげな様子で差し出されたのは、色も艶も天下一品の豆腐だった。
 いつも謙虚すぎるほどの豆腐小僧がここまで言うのならば、余程の自信作なのだろう。
 そしてそれを、わざわざ孝太朗に食べて欲しいと言っている。
 これを食べて、元気を出してくれと。

「……統率者失格だな」
「え?」
「いや。悪いな、ありがたくいただく」
「! はい! 是非!」

 豆腐小僧の頬に、ぱっと桜色が浮かぶ。
 心底嬉しそうな豆腐小僧の豆腐はほどよく甘く、舌で溶けるような滑らかさだった。
 感想を伝えると一層笑顔が深まり、思わずこちらも頬が和む。

「お。いいね。最近の孝太朗って、そういう顔が増えた」

 唐突に告げた類に、孝太朗は首を傾げる。

「そういう顔?」
「うん。こう、そっと微笑むみたいな、優しい顔だよ。それも日鞠ちゃんのおかげだね」

 思いがけない指摘を受け、孝太朗は思考を巡らせた。
 確かに、そうなのかもしれない。
 いつも素直でひたむきで、感情も表情もまるで四季のような変化を見せる。
 そんな日鞠が、いつも隣にいてくれたからだ。
 いつの間にか、豆腐小僧の新作は店内のあやかしたちにも振る舞われていた。
 わいわい賑わう様子を眺めながら、孝太朗はポケットのスマートフォンをそっと手に取る。
 孝太朗は元来、連絡無精だ。
 こうしたものを肌身離さず持つ性格では決してない。
 それもこれも、帰る日時を明確に教えなかった誰かのせいだ。
 ──帰る日が決まったら、連絡を入れます。
 ──迎えは大丈夫です。お土産、楽しみにしていてくださいね。
 メッセージアプリを開いては、通知のない人物の欄を眺める。
 気づけば孝太朗は、いつもの無表情で新規メッセージを入力していた。

『早く帰ってこい』

 打ち出した文面は、送信することなく削除する。
 ふーっと息を吐いた孝太朗の手元で、スマートフォンが小さく震えた。
 瞬間、今まさに見ていた人物の欄に通知マークが浮かぶ。
 一瞬息を忘れ、孝太朗は画面をタップした。

『明後日、午前の便で帰ります』

「お、なになに。もしかして嬉しいお知らせ? 孝太朗」

 対面席から乗り出す類は、それ以上追求はしなかった。
 それはつまり、孝太朗の顔を見れば明らかだったのだ。
 便の番号も到着時間も記載はない。
 それでも、日付が分かれば充分だ。

「類。明後日の店は臨時休業だ。時間のはっきりしない用事ができた」

 事を察した類が、「アイアイサー」と敬礼をしてみせる。
 明後日、北の玄関口・新千歳空港にて。
 荷物を引きずり驚きに目を見開く恋人を思い浮かべながら、孝太朗は人ならざる者たちへの接客に席を立った。

 おわり
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