薫くんにささぐ

七草すずめ

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薫くんのやさしい目がつめたくわたしをみる

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 日はとっくに暮れていた。セックスのにおいを追い出すためにあけておいた窓から、ふわっと風が入る。今ならすてきな小説が書ける、という予感に包まれる。
「これから新作を書こうかなあと思ってるんだけど、どうしよう」とツイッターでつぶやいたら、あっという間にいいねがたくさんついた。期待されている、まるで作家さんみたい。
 ストーリーが次々に頭の中で展開される。頭の中が冴え渡っていた。今書いたものなら芥川賞と直木賞を同時受賞できてしまう。冒頭の文章が何パターンも思い浮かんだ。はやくこの物語を形にしたい。急いでパソコンに向かい、キーボードを叩き始める。
 そんなときに、どんな風の吹き回しか、薫くんが帰ってきた。昨日の朝出て行って、今日の夜に帰ってくるなんて。なにも、今年一番、いや、一生で一番に筆がのっているときに帰ってこなくてもいいのに。やっぱりわたしたちは間が悪いのだ。
 キーボードを叩く手を止められないわたしのうしろに、薫くんが立った。
「だれかきたの」
「え、だれもきてないよ」
 わたしは両手で未来の本屋大賞受賞作品をうみだしながら、振り向かずにに答える。
「じゃあなんで靴がちゃんとならべてあるの」
 薫くんの声はいつもよりずっと低くて、真野くんとおなじくらいかもなあ、なんて思いつい振り返ってしまった。薫くんよりも先に、向こう側にある鏡にうつった自分と目が合って、嘘なんてついてないみたいな顔をしていることにびっくりする。
 それから薫くんの目をみて、背筋が凍った。
「ごみを、ね、捨てに行くついでに、きれいにならべたの」
「ふうん。ごみってこれ?」
 薫くんはさっき捨てたはずのゴミ袋をどかっとパソコンの横においた。血の気が引く。薫くんはだれよりも嫉妬深い。
「あけていい?」
 首を横にふろうとするけれど、薫くんのやさしい目がつめたくわたしをみるから身動きができなかった。蛇と蛙みたいだ、にらみつけられて動けなくなっちゃうの。
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