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第三十五話

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カリーノの発情期ヒートが予定通り来たためリドールに滞在する期間が伸びてしまった。このままカリーノが落ち着くのを待っていたらヴィルの発情期ヒートも来てしまう。そうなる前にヴィルをリドールからエステートに連れて帰りたいというのが本音だ。

そういえば悪友は、リドール国内でオメガの発情期を誘発する薬が出回っていると言っていた。苦くてそのまま飲める代物ではないみたいだが。誘発する薬があるならば抑制する薬もないのだろうか。あるならすぐにでもヴィルに飲ませてリドールで発情期が来ない様にするのに。

そしてエステートに戻ったら今回の事でヴィルを傷つけてしまった分、思い切り甘やかして愛したい。ただカリーノの発情期が来てからヴィルの顔を見ていないことに少し心がざわつく。

俺がそんな感傷に浸っていると、扉が乱暴にノックされたかと思うと、こちらの返事も聞かずに開かれる。

「…シャロル王子、いかがなさいましたか?」

ヴィルが来たのかと一瞬期待したが、扉の向こうから不機嫌な顔でやってきた人物を見て気持ちを引き締める。

「お前はずいぶん熱心にカリーノお姫様を守っているんだな。まさかパーティーが終わってから3日も経つのに部屋から出てこないとは思わなかった」

不機嫌な顔で部屋に押し入って来たと思えば開口一番にそれだ。そしてカウチに腰掛けるとシャロル王子は俺を睨め付けた。

「カリーノ殿下はエステートの大切な姫君。その方に発情期が来たとなれば万一の事故が起きない様に守るのは従者わたしの役目なので」

嘘は言っていない。まんがいち発情期のカリーノが他国のアルファに噛まれでもしたら、ヴィルが本当にリドールに嫁ぐはめになる。それにシャロル王子がノコノコこの部屋に来たのだから、カリーノを噛んでくれたら全てが丸く収まるのだが…。まぁ、カリーノは奥の寝室に籠っているから実現はしないだろうが。

「大切な姫君か…。私がエステートに訪問した時には、ヴィルム王子は自分のものだと独占欲を丸出しにしていた癖に。今回は全く頓着しないどころか姫君に鞍替えか?ヴィルム王子を渡さないと言っていたのは結局口だけだったな」

カリーノもこの会話を聞いているのか、奥の寝室の方でガタリと音がした。

王子はパーティーやそれ以降の俺の行動をみて俺の思惑通りに勘違いしてくれた様だ。
それに加えて俺が執着しているからヴィルを側室に指名したのに今の状況は王子にとって好ましくないだろう。言葉の端々に棘を感じつつも、それに気付かないふりをする。

「そうかもしれません」

「しょせん愛などまやかしにすぎないということか」

俺が本心とは真逆の台詞を吐き出すと、王子は呆れるのか不機嫌なままだと思っていたのに何故か残念そうに伏目がちにつぶやく。愛は無力説を唱えていた人物とは思えない意外な反応だった。

「わざわざこちらに足を運んでいただいのは何かご用件があったのでしょう?」

深く追求されると綻びが出かねないので話題を変える。そして紅茶を淹れ王子の前へと差し出す。

「あぁ。姫君の発情期が終われば帰国する予定だと思うがヴィルム王子はリドールに残ってもらう」

「それは殿下を側室にいれるのに口説くためですか?」

俺がヴィルに興味を失っていると思えば、王子はカリーノでも良いと言うと踏んでいたが…。それにしてもヴィルはパーティーの日に断っただろうに、なんてしつこい男なんだ。
すこし気持ちを落ち着けるために紅茶に口をつける。リドールの紅茶はエステートのものより香りたっていて渋みも控えめで飲みやすい。ヴィルの好みに合いそうな味わいだ。

「ヴィルム王子から聞いていないのか?ヴィルム王子から次の発情期の時に噛んで欲しいと言われてな」

「……。それは王子と殿下が番になるということですか?」

予想外の回答に一瞬思考が停止したが、つとめて冷静に内容を再確認する。ヴィルがシャロル王子にそんなお願いをするはずがない。だってヴィルは俺と番になると約束しているのだから。

「私がヴィルム王子を噛めば…な」

「シャロル王子は今まで側室のオメガの方々と誰一人、番ったことがないと風の噂で聞いていました。それなのに、殿下だけを番にしてしまったら他の側室の方々との間に波風がたつのではないですか?」

王子はどこか他人事の様に言い捨てる。その様子に神経が逆撫でられるも、それを悟られない様にして悪友から聞いた情報をもとに王子の真意を探る。

「まぁヴィルム王子は私に噛んで欲しいと言っていたが、何も私でなくても家臣のアルファに噛ませても問題はない。ゆくゆくは側室達は下賜という形で降嫁させる予定だしな」

「家臣のアルファに噛ませるとは、なんと笑えないご冗談でしょうか」

「冗談ではない。番にさせる家臣はもう決めた。今日が王子の発情期みたいだから、さきほどヴィルム王子の部屋に向かわせた」

シャロル王子は淡々と話し、その口ぶりで騙されそうになるが、ヴィルの発情期の時期が違うあたり嘘の詰めが甘い。

「そうなんですか。でもそれなら、ヴィルム殿下の発情期の時期が違いますね。それに、殿下うなじを守っているネックガードは鍵がなければはずせませんよ?」

「確かに発情期の時期はパーティーのときにヴィルム王子からは1週間後と聞いていた。でも、レトアと言ったか?ヴィルム王子の従者から、王子の発情期は今日から始まると聞いている。それにネックガードも今日には外しておくと言われている」

「ヴィルム殿下の発情期は周期的なのでズレることは考えられませんが」

「それは私にもよく分からないが、ヴィルム王子はリドールの紅茶を苦いと言っていたから誘発剤でも盛ったのではないか?」

まさかと思ったが、レトア卿ならやりかねない。でもそれよりも、今までの王子の話が本当ならヴィルが王子に噛んで欲しいと言ったことになる。
ヴィル、どうして?もしかして…

それよりも、家臣をヴィルの部屋に向かわせたと言っていなかったか?胸がギュッと締め付けられ、頭で考えるより先に体が動いた。勢いよく立ち上がるとカウチに足があたりガタンと音を立てる。

「まぁ、待て。興味がなくなっても人に取られるのは惜しいか?でも、お前が姫君を抱き上げて会場から出ていく時にヴィルム王子がどんな表情をしていたかお前は知らないだろう?表情を見た私も心が痛くなったよ」

ヴィルの元へ急ごうとした俺の手首を掴み王子は俺を責める様にたたみかける。その内容からヴィルも俺の気持ちが離れたと勘違いをし自暴自棄になったことを察した。詰めが甘かったのは俺の方だったみたいだ。ヴィルなら俺を信じて待っててくれるとヴィルの思いに甘えた。そして、いくらレトア卿でも王族の体を傷つけるマネはしないとタカを括っていた。その結果がこれだ。ミイラ取りがミイラになってしまったのだ。

「おいっ!」

でもヴィルが俺以外に抱かれて、ましてや番になるなんて考えたくもない。俺は王子の手を振り払い駆け出す。背後から王子の非難する声が聞こえたがそれを無視してドアノブに手をかけた。その時に奥の寝室の扉が勢いよく開く音とカリーノの声と足音が響く。

「いや!アーシュ行かないで!」

それに気を取られた一瞬の隙にカリーノが俺の背中に縋り付いた。
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