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第三十七話

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「すごい匂いだな…」

俺を制止しようとしていたシャロル王子の声が遠くに聞こえる。沢山のオメガを囲っているにも関わらずシャロル王子フェロモンの匂いの強さに驚いている。側室達と交わっていないのはどうやら本当の様だ。

俺はシャロル王子より先に俺を足止めしたカリーノの方は見ずに声を発する。

「カリーノ殿下、離れてください」

「嫌よ!兄様の所には行かせない。ねぇアーシュ、私じゃダメ?」

カリーノの体温を背中に感じつつ、フェロモンのむせ返るほどの甘い匂いに頭が痺れる。
発情期真っ只中のフェロモンの匂いは簡単にアルファを狂わす。体はどんどん熱くなっていき、本能が理性を凌駕しそうになる。

でも違う。何もかもが違う。俺が求めているのは彼女じゃない。

体が熱くなればなるほど、心は冷え切っていく。俺の心を揺り動かすのはただ一人。ヴィル最愛の人の顔が脳裏に浮かび、理性の箍がはずれ暴走寸前の独占欲が顔を出す。

今すぐ抱きしめてヴィルの温もりを感じたい。笑った顔や照れて怒る顔、羞恥で涙ぐむ顔、どんな表情も全て俺に向けて欲しい。
壊れるほど掻き抱いて、啼かせて、孕ませたい。俺の、俺だけのヴィルにしたい。

「俺がつがいたいのはヴィルだけです」

カリーノに向き直り肩を押し返して体を離す。それでもなおカリーノは潤む瞳で誘う様に俺を見る。艶やかな唇からは苦しそうな吐息が漏れ、頬から首のラインは上気して赤く染まっている。強制的に欲情させるフェロモンの匂いもあって、他のアルファならば本能のままに手を出しただろう。カリーノの姿にどことなく違和感を感じたが、それを見つける前にカリーノが俺の首に手を回し抱きつく。

「アーシュのためにネックガードを外したの。だから、お願い。噛んで」

カリーノは俺の体に密着して耳元で囁き、男の欲情を刺激する。カリーノの頸を撫でたら、本来あるはずのネックガードがない。もしかしたらカリーノは今回の発情期の間に俺に俺に噛ませるつもりだったのかもしれない。

「はぁ。…フィリアス卿、はぁ…女性の誘いを無下にするのはどうかと思うぞ」

シャロル王子部外者が口を挟み煽ってくる。しかし、そう言うシャロル王子の眼は興奮を隠し切れず、平静を保つために噛んだのか口の端が切れ血が滴っている。
発情期のオメガのフェロモンの匂いに慣れていても、嗅いでしまえば理性が飛びそうになるのだ。耐性がない王子はもう限界が近いから、ここから離れたいはず。でも扉の前にいる俺とカリーノが邪魔で出られないから煽って場所を移動させたいのだろう。

オメガのフェロモンはアルファを獣に変える。それはどんな聖人君子であってもだ。聡明と名高いシャロル王子だって例外ではない。カリーノのフェロモンの匂いを間近で嗅がせられ、思考は低下する。理性を保つことも難しくなり、本能のまま体が動いた。

カリーノの体を引き剥がし、部屋から出た。そしてすぐに隣の部屋の扉を開く。すると「嫌だ」とヴィルが抵抗する声が耳に入る。カウチの背もたれでヴィルの姿は見えなかったが、ヴィルを押さえつけているレトア卿の横顔が見え、怒りが衝動に拍車をかけた。

「うぐっ」

レトア卿のご自慢の顔面に蹴りを入れると、その衝撃でカウチから落ちうめき声をあげる。床で蹲るレトア卿の顔面を目掛け数発蹴りを入れる。すると「ひっ…」と小さな悲鳴が聞こえた。そちらに目を向けると入り口からは死角になり見えていなかった、もう一人の男が慌ててヴィルから手を離しあとずさる。

「だ、誰だ?俺に手を出したらリドールが黙っていないからな」

「それなら試してみるか?リドールがお前を庇うのかどうか」

男は上擦った声で牽制してくるが、そんな事はどうでも良かった。ヴィルを押さえつけていたのに許せる訳がない。レトア卿と同じ様に顔面を潰そうと男を見下ろしながら近づこうとした。

「…アーシュ、ダメだ。手を出すな」

ヴィルがカウチで体を起こし俺の服の裾を掴み制止する。その声は震え顔は涙で濡れていた。

ヴィルをこんな目に合わせて泣かせるなんて、俺は何をやっているんだ。
震えるヴィルの体を抱き抱えてから、逃げ腰になっている男を見下ろす。

「隣の部屋でお宅の王子がフェロモンで暴走しかけている。リドールの重臣ならば、こんな所で油を売っていないで助けに行けよ」

「わ、わかったっ…」

俺の言葉を聞くなり男はヨロヨロと立ち上がり上擦った声で返事をして小走りで去っていった。

「痛い。痛いよぉ」と顔面をおさえ蹲るレトア卿は無視して奥の寝室にヴィルを連れていく。そしてベッドの端に座らせたヴィルをきつく抱きしめた。
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