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1章 死と出会い
鉱石の名
しおりを挟む後ろ手に重厚な扉を閉めると、長い長い息を吐いた。
顔をあげると、扉の左手で壁に身を預けたリエナータが俯いてる。
「リエナータ……」
きっとここで待っていた彼女は話し声を聞いていたのだろう。
瞳いっぱいに涙を溜めて唇をかみしめていた。
「メル…メルルーシェ。あなたバカなんだから」
メルルーシェを睨みつけながら鼻にかかった声で呟いた。
「でも格好良かったわよ。さすが私の親友って感じだった」
「そうでしょう?」
リエナータの顔を見て安心したのか目からは大粒の涙が溢れてきた。祭儀も受けて成人になったはずなのに、中身はちっとも変わることはないのだと、ぼんやりと感じた。
憂鬱な執務室から逃れるようにふたりは歩きはじめた。
「まずはあなたの部屋に行きましょう」
「リエナータ、大丈夫なの?
私はもうどうでもいいけれど、私に付き合って仕事を怠けていたらエリザベート様にまた怒られるでしょう」
少し間を空けてリエナータが口を開く。
「明日倍働くからきっとイクフェス様も許してくださるわ」
リエナータらしい答えに笑ってしまうメルルーシェだった。執務室で自分が口にした言葉を思い出して苦笑する。
「私、”死の神イクフェスの裁きが下る”なんてリエナータみたいなこと言いそうになったわ」
リエナータに影響を受けているのだと実感した。リエナータは泣きすぎて鼻を赤く染めながら笑い始めた。
「聞いていたわよ。あのときは何を言い出すのかと頭が真っ白だったけれど、思い出すと笑えるわ。あぁ、鼻をかみたい」
鼻水の流出を防ぐように上を仰ぎながら歩くリエナータと隣のメルルーシェを、腫物のように避けながら神官が通っていく。
2階への階段を上って奥に位置する部屋に着くと、メルルーシェが上を向く。
「リエナータ、ちょっと鍵お願い」
リエナータがメルルーシェの首元にかかっている鍵のついた革ひもを引っ張り出して開錠する。
なだれ込むように部屋に入ると、赤ん坊を寝台へと預けて大きな伸びをした。
「ずっと抱いてるのすごく重かったのよね」
自分で肩を揉みながら腕を回すメルルーシェをじとーっと見つめるリエナータ。入室一番に乱暴に鼻をかんだせいで随分と赤らんでいる。
「あなたこれからどうするつもりなの?」
寝台にへたり込んだメルルーシェが困り顔を向ける。
「そんなの私が聞きたいわよ」
「ちょっと休憩しましょう。こんな心が荒だった状態だと何も思いつかないわ」
リエナータに同意して顔を見合わせると、ふたりは赤ん坊を挟むように寝台に倒れ込んだ。
「神殿司も酷いわ。思い出したらもっと心が荒だってきた」
しばらく経つとぷりぷりと怒りだしたリエナータに笑いながら、呻き声のような泣き声をあげる赤ん坊を優しく揺する。
「この子、泣き方変よね」
リエナータが赤ん坊の頬を優しくつつきながら呟いた。そして似たような声を出して真似しながら赤ん坊の機嫌を取ろうとしている。
「メル、呼び名がないの不便だから名前つけてよ」
寝そべって赤ん坊を見つめるメルルーシェ。
「うーん、そうね…」
(男の子だから、強さを表すものが無難だけれど…)
メルルーシェは頭の中でいくつかの名前を呟いてみる。が、どれもしっくりとこなかった。
「ラミスカ…ラミスカはどうかしら?」
(この子の深い藍色の瞳はどうも視線を惹きつける。)
「ラミスカテス鉱石からね。男の子だし、いいんじゃない?」
女の子の名前を付ける場合は花や長音符を使った優雅で美しいものが好まれる。ラミスカテス鉱石は深い藍色の鉱石で、その美しさから女性への贈り物としても人気があるが、秘める魔力が高いため魔具製作にも欠かせない重要な鉱石だ。
何度か名前を呟いてみて頷いた。
「あなたの名前はラミスカ。どんな子に育ってもいいわ」
微笑むメルルーシェを見つめるリエナータが呆れたように首を竦めた。
「メルすごく甘やかしそう。だめよ、ぶって育てないと」
リエナータが物騒なことを言うので、言い返したりしてふたりで笑いあった。
扉を叩く音でふたりは一瞬で静まると顔を見合わせた。胸に鈍い痛みが走ったように緊張する。リエナータは体勢を起こして立ち上がり、メルルーシェが扉へと近付く。
「どなたでしょうか」
「…エリザベートよ。中にいるのね、開けてちょうだい」
くぐもった声が淡々と答えた。後ろを見やるとリエナータが苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
扉を開けると、いつもと変わらない様子のエリザベートが怪訝な顔付きでメルルーシェとリエナータを交互に見る。
昨日の今日で仕事中にふたりで部屋に籠っているなんて、落とされる雷は甘んじて受ける。覚悟を決めてメルルーシェが口を開いた。
「エリザベート様、事情があって私はすぐにこの神殿を出ます。
セティス=リエナータは私が無理に付き合わせていました、申し訳ございません」
エリザベートは小さくため息をつくと、周りを気にするように見回した。
「中に入ってもいいかしら?少し狭くなるけれど」
つまらない冗談を言うなと一蹴されると思っていたメルルーシェは驚いて顔をあげた。
「ええ、勿論です。どうぞ」
リエナータも驚いた顔でメルルーシェに視線を向けつつ壁に寄った。
「以前から話は聞いています。随分と急ですが…
オウレット卿はまだ神殿司と共におられます。荷造りもすぐには終わりませんから、経つのははやくても明日の朝になさい」
エリザベートは思慮深そうな深緑の瞳を寝台へと向けた。
「ですが、神殿司がすぐに出ていけと仰ったのです」
「オウレット卿の手前そう言っただけです。違ったとしても私が進言して差し上げます」
有無を言わさぬ響きに押されたメルルーシェは頷く。
「セティス=エリザベート、メルルーシェは本当に神殿を離れなければならないのですか?」
リエナータがおずおずと尋ねた。視線を受けたエリザベートは考え込んだ様子でメルルーシェに向き直る。
「神殿司は以前からオウレット卿の要求に窮しておられました。どうあってもあなたを神殿に置いておくことは難しくなると」
「そんな。何故ですか」
リエナータが不信感をあらわにする。
「オウレット卿が神殿を維持するために多額の寄付を行っているのは分かりますが、何故そこまでオウレット卿の言いなりになるのですか?」
メルルーシェもリエナータに続けるように抱いていた疑問をエリザベートにぶつける。
「…それはあなたたちに言っても仕方のないこと。けれど、神殿司はこのモナティ神殿を護るためにそうしているのだと分かってちょうだい」
首を横に振ったエリザベートは、メルルーシェの澄んだ薄紫の瞳を覗き込んだ。
「どんなやり取りが行われたにせよ、神殿司があなたの将来を慮っていたのは事実よ」
柔らかい印象を受けるエリザベートの表情に驚いて、何か言おうとしていたのにうまく言えずにただ頷いた。
「さぁ、セティス=メルルーシェが明日神殿を出るとして。セティス=リエナータ、貴女は私の指示で今日一日セティス=メルルーシェに付いて手伝うの。いいわね?」
神官指導官であるエリザベートのお許しを得られて、リエナータの顔はぱっと明るくなった。
「オウレット卿が帰られたら神殿司からお話があるでしょうけど、しばらく目立たないように礼服以外の身を隠せるものを着なさい。こうしている時間も勿体ない。
まずは部屋の片づけを。後は今から書くものを買いに出なさい」
エリザベートはメルルーシェの木の机を借りると、綺麗な字を綴り始めた。
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