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1章 死と出会い

予感的中

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「メルルーシェ、会えてうれしいよ」

笑顔を貼りつけながら気取った足取りでふたりに近付くロナード。隣にはリエナータもいるのにその目にはメルルーシェしか映していない。

ふたりは仕方なく立ち止まって少し腰を折るお辞儀をする。
ロナードはちらちらとメルルーシェの抱えている何かを気にしながら、最近の日課である美辞麗句を並べようとして固まった。

「おぉ、ヴェールを被っていない君の髪はまるで……」

自慢の歯を煌めかせていたロナードは、取り繕うのも忘れて眉にしわを寄せて呟いた。

「……それは赤子か?なんて、醜い……」

臭いものでも嗅いだように顔を歪める。


メルルーシェは無礼な客人に対して頭に血が上っていくのを感じていたが、思いのほか冷静だった。隣のリエナータに視線を向けると彼女もムッとしたように表情を固めていた。

リエナータも自分と同じようにこの赤ん坊に情が沸いているのだと思うと、苛立った気持ちが少し落ち着いた。

「ごきげんよう、オウレット様。
すみませんが神殿司に急ぎの要件がございますので失礼します」

メルルーシェが目を合わせないまま立ち去ろうとすると、ロナードが阻むように前に出た。

「その赤子はどうした?」

答えるべきか躊躇ったが、神殿の支援者を無視するわけにもいかず最低限の情報を口にする。

「昨晩、見つけた子です」

神の庭で拾ったなどと、様々な憶測を生むようなことを軽々しく説明するわけにはいかない。詳しいことに言及するのは神殿司の意向を確認してから、と判断したメルルーシェだった。

「見つけた?では勿論君の子ではないのだろう?」

それだけ神殿に通い詰めて、今までメルルーシェの腹が膨らんでいたことを見たことがあるのか甚だ疑問である。リエナータが片眉をあげたのはそんな感情からだろう。

「ええ、まぁ」

と、メルルーシェは戸惑いながら肯定した。

「そうか、でははやく孤児院に置いてきたまえ」

嬉しそうに手を打ったロナードは、邪魔だと言わんばかりに手を振り払って見せた。

「それを決めるのはメルルーシェでございます。今から神殿司の所まで伺いますので、オウレット様は、こちらで、お待ち願います」

有無を言わさぬ口調で口を挟んだリエナータに、面食らった様子で口籠るロナード。
一語一句を強調し、暗に”一生ここで待ってろ”と言わんばかりの迫力である。心強くありつつも、損な役回りを担うリエナータを案じるメルルーシェ。

ふたりはお辞儀をすると逃げるように神殿内へと足を運んだ。背後で何か聞こえた気もするが、そそくさと神殿司執務室のある入口左へと向かう。

神殿司執務室の前には広めの空間が設けられており、窓辺に活けられた花が日に照らされて俯いていた。


執務室の扉を叩くと、執務室内には先客がいるようでしばらく待つようにと声がかかった。


通路を通る神官が様々な反応を向けながらふたりの側を通り過ぎていく。
ロナードが神殿に現れるようになってすぐ男性神官はメルルーシェに話しかけてこないようになったため、誰からも声をかけられることはなかったが。

神官たちのひと気がなくなると、ふたりは壁にもたれかかりながらほっと息をついた。

「さっきはありがとうリエナータ」

メルルーシェがそっとお礼を言うと、リエナータが顔をしかめた。

「別にメルのためじゃないわ。ちょっとむかついちゃって」

(お姉さんにそっくりなんだから。)

相手に気を遣わせないように、気を遣えるリエナータの優しさに感謝しながら笑顔を向ける。

「きっとこの子も喜んでるわ」

メルルーシェが赤ん坊の頬を指で撫でながら呟く。

「そういえば名前、どうするの?」

(そういえば考えてなかった。)

リエナータに尋ねられて、これからこの赤ん坊を自分が育てることになることを実感した。決心はまだつかないが、孤児院に預ける気はないのだ。

どこか虚ろな瞳を時折瞬かせる赤ん坊は、まるで夢の中にいるようにいるように微睡んでいる。メルルーシェは不規則に現れる深い藍色の瞳を見つめながら微笑んだ。

「その内考えないとね」

「ロナードとか、どう?」

「やめて、リエナータったら」

ふたりは小さく笑いを漏らす。

赤ん坊に見入っていたリエナータが、自分よりも少し背の高いメルルーシェと赤ん坊とを見見比べた。

「火傷が無ければ顔立ちがはっきり分かるんだけど…
髪色も似てるし、本当に親子に見えるかもしれないわね」

にやにやと笑いながらメルルーシェに腕を回す。

「メルが私よりも先に子どもを持つなんて」

メルルーシェは苦笑を溢すと、正直に胸の内を打ち明けた。

「リエナータ。正直ね、私に子育てが出来るのか不安でいっぱいなのよ。
孤児院に預けるのは嫌だし、火傷も時間をかけて治してあげたいわ。
けれどもだからと言って、片脚も無いこの子が大きくなるまで責任を持てるのか、ちゃんと愛してあげられるかって。自信がないの」

悪戯っぽい表情を静めたリエナータは、不安げに瞳を揺らすメルルーシェの肩を撫でた。

「メルはその子を見つけただけ。孤児院に連れていくだけでも十分なのよ。
自分が産んだ子どもですら、そういう風に不安になるそうよ。
昔1人目を産む前に姉さんが同じようなことを言ってた」

メルルーシェは穏やかで優しいリエナータの姉マルマラータを思い出して、意外な気持ちになった。

「だから、メルが自信がないことは普通よ。
最初から自信満々な人の方がきっと少ないのよ」

「そうなのかしら…」

「それにやんちゃで手が付けられなくて困ったら孤児院に預ければいいのよ」

「それは…」

「あなたは心根が真面目だけれど、途中までだろうが頑張って育てたのよ。きっと死の神イクフェス様も怒ったりしないわ」

リエナータはいつも死の神イクフェス様の話を教えてくれる。恐ろしい宵の国の神はどの国でも恐れられている。少しでも死後の暮らしを良くしてもらおうと願うことはあっても、彼の神自体をこんなに慕っているリエナータは少し変わっているのだと思う。

「リエナータが言うのならきっとそうね」

死の神について話すときだけ熱心になるリエナータが面白くて笑いを溢す。おかげで気持ちが軽くなったことを感謝しつつ、執務室へ視線を向ける。

この子が少し大きくなるまでは、自宅からの通いを認められるだけでは足りない。面倒を見られる人を探すしばらくの間だけでも、ここに連れてくることを交渉する必要があるのだ。

「まだしばらくかかりそうね」

耳をそばだてていたリエナータがそう呟いたときだった。ガチャン、と大きな音を立てて厳めしい顔付きの中年の男性が出てきた。従者と思しき男を2人従えたその男は、メルルーシェたちを一瞥するや、咳ばらいをしながら立ち去って行った。何となく見覚えがある顔だった。

扉まで出てきた神殿司の顔には疲れがにじみ出ていた。久しぶりに見た神殿司は、前よりも白髪が増えたように思えた。

「さぁ入りなさい」

神殿司はふたりを部屋に招き入れ、書類が積み上げられた机に埋まるように椅子に座ると、腰を折って挨拶をしたメルルーシェの腕に視線を向けたまま机で腕を組んだ。

「エリザベートから報告は聞いているよ。昨日の夜抜け出したとね。それと関係があるのかな」

メルルーシェは頷くと、昨晩起こったことを全て隠さずに話した。赤子に魔力が引き出されたことを話しているときは、リエナータが聞いてないと言わんばかりにメルルーシェを睨みつけていた。

しばらく黙っていた神殿司は、赤ん坊を見せるようにとメルルーシェを招く。

骨ばった手が赤ん坊の後頭部を包み込んで、顔を触って火傷を眺めたり、ヴェールを取り払って下半身を確認する。しばらくして全身を確認し終えたのか顔をあげた。


「憶測ではあるが、魔力が吸い取られたのは身体の損傷が激しかったことと、赤子で他人の魔力への抵抗が少なかったことが原因だろう…。
癒しを与えたときに君の魔力の影響を強く受けたようだ。元々この子は違う髪色ではなかったか?」

神殿司の言葉に記憶を辿って思い返す。

「火傷や脚に気を取られていたのと、暗かったこともあり記憶にありません…」

「そうか。特に問題…というわけでもないから気にしなくて良い」

メルルーシェが不安そうな顔をしていたのに気付いたのか、赤ん坊の足を曲げながらそう告げた。

神殿司は泣き声をあげて嫌がりはじめた赤ん坊をメルルーシェに返すと、椅子に深く座り込んだ。


「神の庭で見つけたとあっては…しかし神官の誰かとも思えん」

魔力で弾かれるため神官以外は確かに入ることができない。だからと言って神官の誰かが子どもをそこに置くのも考えづらい。神殿司はメルルーシェを疑うことはせず、考え込んでいる様子だった。

「神殿司、その…私はその子を自分の子として育てたいのです」

意を決して口にしたメルルーシェに、顔をあげる。神殿司の薄い青の瞳がメルルーシェを見つめた。蓄えた髭のせいで表情は掴めない。

「メルルーシェ、」

神殿司がゆっくりと言葉を紡ごうとした最中、乱暴に扉を叩く音が響いた。くぐもった声で「私だ。話がある」と聞こえた。

神殿司はメルルーシェとリエナータに端にいるように目配せすると、扉を開けて乱暴な客人を出迎える。

「オウレット卿、いかがなされましたか」

扉の前に立っているのは、先ほどこの執務室から出てきた金髪の厳めしい顔付きの男だった。呼ばれた名前を聞いてメルルーシェとリエナータは顔を見合わせた。

「少し入れてくれ」

「ええ、勿論です」

神殿司がメルルーシェたちに向き直って「ふたりとも、すまないがしばらく外で待つように」と告げた。

やや強引に踏み入ったオウレット卿は、端に控えていたメルルーシェとリエナータに気付くと後ろを振り返った。

「ロニー、言ってたのはどっちかか?」

扉の入り口からロナードがひょっこり顔を出した。ロナードの視線を受けて固まるメルルーシェ。

「メルルーシェ!」

オウレット卿は息子の視線の先に立つメルルーシェを見て値踏みするように目を細める。抱かれている赤ん坊に目を向けると鼻を鳴らした。

「この娘もここに残せ」

神殿司はオウレット卿の尊大な態度にも顔色ひとつ変えず穏やかに同意すると、リエナータに外に出るように促した。リエナータは心配そうにメルルーシェを見つめて一瞬ぎゅっと裾を握ったが、大人しく出ていった。


赤ん坊の呻くような声が室内に響く。

「気味が悪い赤子だ」

吐き捨てるように呟きながら来客用の長椅子に腰をおろすと、神殿司を睨みつけながら口を開くオウレット卿。

「息子から話を聞いてな。
息子が側妻にと考えている娘が、何処の馬の骨とも知らぬ赤子を抱いてここに向かったと」

恐ろしく冷たい目でメルルーシェを一瞥した。

「その娘が16になればうちに貰い受けるという話は順調に進んでいるんだろうな」

メルルーシェは一瞬目を見張ったが、動揺を悟られないようにすぐに取り繕った。神殿司があえてメルルーシェに伝えなかったのだ。それなりの理由があるのだろう。

ロナードはメルルーシェがまだ15だと勘違いしているのでそのまま勘違いさせているのだが、メルルーシェはついこの間16になったばかりだった。祭儀を執り行った神殿司がメルルーシェが既に成人を迎えたことを知らないはずがなかった。

「えぇ」

メルルーシェの後見人は隣に住む老夫婦だったが、神殿に来ることが決まって神殿司が後見人となった。この国では、親の居なくなった子どもの嫁ぎ先を後見人が指定することは何ら不思議な事ではない。

神殿司の隣に立っているメルルーシェには神殿司の表情は分からないが、脈打つ心臓が不安を訴えていた。


「それで構わぬな?メルルーシェ。
赤子は孤児院へ預け、オウレット卿のご子息の元へ嫁ぐのだ」

神殿司の有無を言わさぬ硬い言葉に頭が真っ白になる。

目の前に座るオウレット卿はふんぞり返っていて、ロナードは隣で満足そうに頷いている。


返事に窮して赤ん坊に顔を向けると、ぼんやりとメルルーシェを見上げて瞬いていた。


メルルーシェが震える唇を引き結んだ。


「お言葉ですが神殿司、この子は既に私の子です。
孤児院に預けることは考えていません」

毅然とした態度のメルルーシェに、オウレット卿が食ってかかる。

「親の言うことが聞けんのか、神殿司は嫁げと言ったはずだが」

身勝手な大人達に募る怒りはメルルーシェの胸の内で徐々に熱をあげた。

「親は既に死にました。
私には自分で選ぶ権利がある」

実際には面倒を見ている後見人に権利があるのだが、怒鳴るように自分を脅す男に屈したくなかったメルルーシェは負けじと言い返した。

「はっ、成人にもならぬ小娘に権利などない。
それにそんな気味の悪い子どもを育てられると本当に思っているのか?」

胸に迫り上がる不快感がメルルーシェの怒りを煽った。

「この子は気味が悪くなどありません。
傍若無人に振る舞う息子といい…
全てが自分の思い通りになると周りを振り回し…
傲慢なあなた達のような人間には、死の神イクフェスの裁きが」

静かながらも、薄紫の瞳を燃やして恐ろしい自分の父と張り合うメルルーシェの見たことのない剣幕に、ロナードは唇を青くして縮こまっていた。

メルルーシェの唇が”裁きが下る”と描き終わる前に神殿司が声を荒らげて遮った。

「黙りなさい、メルルーシェ」

怒りで顔を赤らめて口をぱくぱくさせていたオウレット卿も、声を荒らげた神殿司に視線を向ける。


「卿に対する度重なる不敬、お前を神殿から勘当する」

神殿司はメルルーシェの方を見ることもなく、言葉を続ける。

「今すぐにここから出ていきなさい。その赤子を連れて」


神殿司が放った言葉にオウレット卿は面食らいながらも溜飲が下がったようだった。ロナードは目を見開いたまま固まっている。

メルルーシェは今まで聞いた事のない神殿司の声音に傷付きながらも、くっと顔を持ち上げたままお辞儀をして執務室の出口へと向かった。


”もし追い出されるようなことになったらこの親友を置いて神殿を出るの?私と神殿を捨てていくなんて、死の神イクフェス様のバチが当たるわよ”

(リエナータの冗談が本当になってしまった。)

メルルーシェは暗い気持ちで執務室を出た。


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