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雪玉 円記

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menu.7 愛のふくらみパンケーキ(6)

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 性格に見合わない、行書に近い流麗なボールペン字で何枚にも渡って綴られた青木の手紙を、修一は最後まで読み、そして最後の一文に目を開く。
 そこに書かれていたのは、間違いなく〝ルカ〟と青木のつけた愛称ではなく、その由来となった修一自身の名字であったからだ。
 それに籠められた意味を、修一は嫌でも推測できてしまった。
 青木剛は、本当に自分を解放する気でいるのだと。
 俯き、静かに便せんを畳む。
 ようやく解放される。あの鬱屈としたヤクザの愛人性処理道具生活から。
 本当に、本当に嬉しい。本当に嬉しいはずなのだが、いざその時が来るとなんと言っていいのか分からない。
 28年の修一の人生のうち、ゆうに8年も青木に支配されていたことになるのだ。決して短くはない。
 その時、奏太が不意に修一の頭を自身の懐に抱きかかえた。宥めるように頭を撫でながら囁く。
「……大丈夫。大丈夫だから。俺も紫苑ママもアバロスさんもいるし、まっちゃんとゆーごにも俺から修一くんのお友達になってって言い聞かせるし。それに神谷さんたちだって、修一くんの同期だったことやめるワケじゃないし、井上さんも、修一くんが使いたいときに使えばいいんだよ」
 それぞれ名指しされた人物たちはそれぞれ、涙ぐんだり頷いたり、それぞれの反応をしていた。
 井上だけは、なかなかにヒドイ言い方をされたと苦笑いしたが。だがそれもすぐに続いた奏太の言葉で引っ込むことになる。
「きっとご両親にだって、修一くんが会いたいときに会いに行けるんだよ。手紙に書いてあったでしょ? 俺のことも一応見逃してくれるし、ご両親の監視もやめる、って」
 だから、もう大丈夫なんだよ。
 奏太の穏やかな声に、とうとう修一は涙を堪えきれなかった。彼の懐に顔を隠しながら、嗚咽を堪えて泣く。
 その姿に井上も感極まり、目頭を押さえながら店を静かに出て行った。
 ようやく、ようやく修一の身柄と相棒夫婦が解放されきったのだ。それだけで、井上はこれまでの苦労が報われた気持ちで一杯だった。
 カウンターの中で、紫苑とネイサンもこれまでのことを思い返していた。
 溌剌と働いていた歌舞伎町交番勤務の警察官だったはずの修一が、青木に囚われてからすっかり変わってしまった。
 絶望と厭世観に塗れた雰囲気しか出さなくなっていたが、これからはもう全てに諦めなくてもいいのだ。ヤクザの愛人だからと諦めたことも遠慮したことも、これからやっていける。
 出来れば、その中に自分たちが関わることが出来るものがあればいいと思ってはいるが。
 神谷にしても、かつての修一とすっかり様変わりしてしまった現在の彼を比べて、悲しい気持ちになったものだ。
 もう、肩を並べて共に働くことはないのだろう。修一は警察官を再び目指すには心を折られすぎた。
 だがそれでも、彼は元々正義感の強い男だ。市井にいるとしても、誰か困った人がいたならきっと手を差し伸べるだろう。
 それでいい。元気で生きてさえいてくれれば。たまには連絡してくれればなお良いが。
 修一の側にいるのが同性の奏太というのは他人には驚かれるだろうが、彼がこれからの人生を心穏やかに過ごせるのならそれでいいと神谷は思う。
 そんな彼らを無感情に眺めながら矢野島は告げた。
「……契約書等に関しては、本日は用意出来ませんでしたので後日また連絡いたします」
 それでは、と言い残し、矢野島は店を去っていった。
 それを見送った紫苑は目尻に溜まった涙を指で拭うと、カウンターから修一の元に向かって歩く。
「シュウ」
 ぴく、と黒髪が反応する。
 奏太が撫でていた手は背に移動していた。きっと場所を譲ってくれたのだと、紫苑は密かに感謝する。
 その頭部に、ぽん、と自身の手を乗せた。
「もう、アンタはアンタの好きに生きていいのよ」
 すると、涙に濡れて震える声が返ってきた。
「……そう、だな……」
 ゆっくりと修一は身を起こした。
 奏太と紫苑が目を見張る。
「そう、だよな……」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔だが、それでもどこか美しかった。そう思えるのは、修一の顔つき……特に、目に生気が再び宿り始めたからかもしれない。
 心身共に傷つけられ絶望の中にしか居所のなかった彼の心が、確かに息を吹き返したのだ。
 うっすらと、修一は笑っていた。意識して笑顔を浮かべることをすっかり忘れてしまっていたから、どこかぎこちないものではあったけれども。
 その事実に紫苑は顔を覆い、奏太も涙ぐんだ。ネイサンは紫苑の肩を抱き、神谷も片手で両目を覆う。
「……もう、俺の好きにしても構わないよな」
 口調も、かつての面影が顔をのぞかせ始めた。
 この場の全員が思った。
 自分たちの戦いが、決着したのだと。
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