エルダーストリア-手垢まみれの魔勇譚―

秋山静夜

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第三譚:憎悪爆散の魔人譚

双剣の死

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 ハルモニア大陸の東端、大国ハルジア

 国の中枢たるハルジア城において二つの死体が転がっていた。

 本来国王がいるはずの執務室にて、黒騎士アベリア、白騎士カイナスが無惨にも倒れ伏している。


 この二人は賢王グシャから引き継いだ激務により、文字通り忙殺されたのだ。

 朝の陽光の射し込みにより、二人の指先がピクッと動き僅かに死の淵から蘇生する。


「ウッ、しまった。眠っていたのか。起きろアベリア、まだ我々にはやらなければいけないことが、」
 白騎士カイナスはどうにか起き上がろうと顔をあげる。
 彼の眼の下には黒々とクマが浮かび上がっている。

「カイナス、すまない。僕はもうここまでみたいだ……」
 対するアベリアは顔に死相を浮かべて、机からまったく動くことができないでいる。


 王の業務の代行、それだけでここまで憔悴する二人を情けないと思う者がいたら大きな間違いだ。

 彼らは賢王グシャが出立してからの5日間、一睡もせずに不眠不休でグシャから引き継いだ業務に当たっていた。

 しかし悲しいかな、彼ら二人が不眠不休で仕事にあたってなお、本来グシャが取り組んでいた場合の作業進捗予定の6割にも達していなかった。


 断じてこの二人の能力が低いわけではない。
 むしろその辺の文官よりも優れているほどである。
 だからこそ賢王の側近として用いられているのだから。

 もちろん彼らも仕事を自分たちだけで抱え込むような愚かなことはしていない。
 全力で部下や周囲の者たちに業務を振り分けてなおこの惨状なのである。


 それほどまでに賢王グシャが普段からこなしている案件は多岐に渡っていた。


 ハルジアの独占する黄金の採掘量の決定、金貨の市場流通量の把握、次年度の金貨発行量の決定、領内のインフラ整備優先度の把握・決定、インフラ修繕箇所の調査指示・修繕決定、国内の人口把握・出生率把握、各家庭の収入平均の把握、税金徴収量の決定、徴兵の人数の決定、etc.etc.


 賢王グシャが王位についてから約40年、ハルジアの目を見張る発展の背景には彼の怪物的な実務能力があった。


 しかしその反面、いったん賢王が仕事から離れると恐ろしいほどに内政が停滞してしまう。


 それゆえ賢王の周囲の者は王が城から離れることを全力で押し止めるのだが、何故か彼は気軽に政務を他の者に任せていく。

 賢王からしてみれば何故周りの者たちは自分と同じように業務をこなせないのかが理解できず、周囲の者からすれば賢王が何故膨大な業務量を一人で処理できるのかが分からない。

 というわけでこの問題については両者平行線のまま、王は気まぐれで城から消え、彼の臣下たちはその穴埋めの為に死にもの狂いで働くのであった。


 黒騎士アベリアと白騎士カイナス、この二人も可能な限り仕事を振り分けたが、そもそも振り分けの段階で膨大な処理能力を必要とするため、必然業務は遅れる一方であった。


「し、死ぬ。」
 もはや指一本動かすこともままならないほどに疲弊したアベリアとカイナス。この期間中、何やら城下町にて大きなトラブルが発生していたようだが、現場を確認する暇もないほどに忙殺されていた。

 彼らの頭の中では2日ほど前から天使たちがフルコーラスで鎮魂歌(レクイエム)を絶唱しているのだ。

 しかし、肝心の王が帰ってくるのは予定ではさらに2日後。場合によってはさらに遅くなる可能性もある。今ここで寝てしまえば確実に、賢王グシャが帰還するころにはハルジアの内政は目も当てられないほどの悲惨な状態になってしまうだろう。

 それだけはならないと。孤児から今の地位にまで引き上げてくれた賢王に報いるため、誇り(プライド)だけで踏ん張ってきた二人であったが…………


「Z、ZZ、Zzzzzzzz…………」

 落ちた、

 堕ちた、

 深く、昏い、死の眠り(ヒュプノス)へと堕ちていった。

 
 もう二度と彼らを眠りから引き上げることなどできないであろう。

 しかし、その時、


「いま帰ったぞ。」
 執務室のドアを開く音が響く。

 永らく|(5日間)城を空けていた賢王グシャが帰還したのだ。

「「!?!?!?」」

 突然の賢王の声にビクンッと目を覚ます王の双剣。

「お、王よ!! 寝てません、決して寝てませんとも。」
 眠りに沈んでいた脳を即座にフル回転させて現状における最適な台詞を口にするカイナス。

「あ、王だ~、お帰りなさいませ。やっと帰られたのですね。え? 仕事ですか? もちろん順調に遅れていますとも~」
 対してアベリアは未だ夢心地のまま賢王に挨拶をする。

「アベリア!? 起きろ!!」
 慌ててカイナスはアベリアの頭をゴツンと叩いて目を覚まさせようとする。


「良い。いつものことではあるが二人には苦労をかけたようだ。今はすぐにでも床(とこ)について休むがいい。」
 賢王グシャは眠り眼(まなこ)のアベリアに対しても、そして顔に寝跡がくっきりと刻まれたカイナスに対してもそう告げた。


「ハッ、温情あるお言葉感謝であります。それでは失礼いたします。」
 カイナスはほとんど起きる気配のないアベリアを強引に引き起こして退室する。
 しかしその前に、

「ですが王よ、予定では帰還されるのは早くても2日ほど後だったのでは?」


「ん? ふむ、そうだな。ジェロアを置いて先に急ぎ帰った。まあ、虫の騒ぎというヤツだ。気にするな、早く眠れ。我が騎士よ。」

「? はあ、わかりました。」
 いまいち腑に落ちない様子でカイナスとそれに連れられアベリアは退室する。

「…………、危うく優秀な駒を二人、潰してしまうところだったからな。私が残っていたとしたら二人はに潰され、私が出ていけば仕事に潰される。─────なんとも難しい択を迫られたものよ。」
 一人、執務室に残った賢王は独白する。

「さて、」
 机の上に残された書類を一枚無造作に取って一瞥する。
 
 カイナスとアベリアは当然全力を尽くしていたが、睡魔と戦いながらであったここ数日の案件には粗が多い。
 これを修正するとしたら、普段の実務以上の労力を求められることだろう。

「……ふむ、3日というところか。」
 この独白の意味を理解できる者はここに誰もいない。

 3日、賢王グシャは3日の間、普段より根を詰めて実務に当たれば、アベリア達に任せていた政務の修正、そして滞っている実務の完了まで行えると口にしたのだ。

 今日まで実力以上の力を発揮しながら王の業務をこなしきれなかったアベリア達が聞けば卒倒し、今後の自信を失ってしまうところだろう。


「まあ、今の所は私もしばし眠るとしよう。」
 この王とて、急ぎ帰るために不眠で飛ばしてきたのであった。
 執務室を後に、賢王は寝所に向かう。


 ザザッ


 一瞬、彼の脳裏に所在不明のノイズが走る。

「?」
 普段ではありえない新鮮な感覚。

 違和感の正体を探すため、ここ数日の記憶を精査しようとして、……彼はやめた。

「まあいい、いずれ解ろう。」

 余人には理解できぬ言葉を残し、彼は寝所の闇の中へと消えていった。

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