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2.修道女、天然神父の説得を試みる

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 レオナルドは正気を失ったのだろう。
 アンジェラはそう自分に言い聞かせた。
 
「ファーザー・レオナルド、何と言いましたか?」
「私とセックスしましょう、と」

 つまり、結界の思惑通り、純潔を失うという事で。
 聖女への道が閉ざされてしまうということだ。
 アンジェラが未熟なせいで結界に手も足も出ない状況なのは認めよう。だが、このまま聖女になる未来を捨てるわけにはいかないのだ。
 レオナルドは立ち上がると、カンテラ内で短くなったろうそくを捨て、あらたにマッチで火をつける。ぼうっと浮かび上がった彼の横顔に、アンジェラは慌てて言った。
 
「も、もう少し待ってはもらえませんか……手ごたえはあるのです。こちらのページに似たような術式が……」
「今すぐ解除できますか?」
「それは……で、ですが夜明け前までには何とかします! なので、私とそのような関係になろうなどと早まらないでください」

 必死に言い募るアンジェラに、レオナルドは苦笑した。

「朝の祈りの後に、私が調合した薬を村人が取りに来るのです。ほら、村外れに住む寝たきりのご老人……彼のお嬢さんです。父親用の咳止めを頼まれていましてね。地下で薬の準備をしていました。……ああ、下に私の作業部屋があるのですよ」

 他の方には内緒でお願いします、とレオナルドは片目をつぶり、人差し指を唇に当てた。
 打ち捨てられた小聖堂の地下に彼がいた理由は正直どうでもいい。それよりも病人が待っている事実にアンジェラは焦りを覚える。悠長に解除方法を模索している余裕はないということなのだから。
 しかし気づかぬ風を装い、淫らな行為を回避しようとした。

「それなら、夜明け前に戻ればいいってことですよね。では……」
「実は最後に加えなければならない薬草を自室に置いてきてしまいまして。自室へ取りに戻ろうとした矢先に、貴女と鉢合わせしたのです。……勝手で申し訳ありませんが、やはり、貴女が解除法を探し当てるまで待てないのです」

 飄々ひょうひょうとした雰囲気が打って変わり、黒い瞳は誠実な輝きを宿していた。
 レオナルドの調合師としての腕前はよく知っている。彼が作り出す薬は高額で取引されるため、修道院の貴重な収入源でもあるのだ。しかし彼は必要最低限の量しか売りには出さず、薬の大半を村人に無償で施す。
 神職者のかがみであるレオナルドの慈悲に、アンジェラはすがろうとした。

「で、では助けを待つという選択肢は? 私ならいざ知らず、ファーザーが早朝の祈りの場に現れなければ、修道院は大騒ぎに……」

 レオナルドはすぐにでも自室に戻りたいと言っているのだ。祈りの儀が始まる頃に脱出できても、薬の準備が間に合わない。早朝の祈りの後は、聖女を選ぶ儀式が控えている。参加する意思がないとはいえ、院内が騒がしくなる前に村人へ薬を渡しておきたいのだろう。
 アンジェラは苦しい言い訳だと判ってはいたが、視線で神父の良心に訴えかけ続けた。

「シスター・アンジェラ、貴女は敬虔な神の使徒だ。己の欲と神に慈悲を求める信仰者、どちらを優先すべきか……。判っていますよね?」

 まるで幼子に言い聞かせるようなレオナルドの説教に、アンジェラは頬が熱くなる。病に苦しむ人とただただ聖女になりたい自分を天秤にかければ、答えは明確だ。

「わ、判りました。……ファーザー・レオナルド、ご協力よろしくお願いします」
「こちらこそ、貴女を試すような物言いをしてしまい、反省しなければなりません。私のことを大事に思っての忠告、感謝いたします」

 カンテラを片手にアンジェラの正面に膝立ちで腰を下ろしたレオナルドは、アンジェラの両肩に手を置いた。抑えようとしても震えが止まらない。
 レオナルドはアンジェラの肩をゆっくりと撫でさすった。じんわりと伝わる熱に身体から力が抜けていく。

「落ち着いてきましたね。では、眼鏡を外してもらえませんか?」
「お断りします」

 アンジェラは夢から醒めたようにきっぱりと言い切る。目を見開くレオナルドに、「いえ、人を不快にさせる瞳の色なので」と、視線をそらし、眼鏡のつるを触った。
 遮光眼鏡をかけたままでも、【セックス】はできるはずだ。無言で抵抗していると、

「危ないので、失礼しますよ」

 レオナルドは細い金属のつるに左右から指を添え、アンジェラから素早く眼鏡を取り上げた。

 ――なっ、なんて失礼な方なの!

 アンジェラは憤慨し両目を手のひらで覆う。レオナルドはアンジェラの手に手を重ね、ゆっくりとはがしにかかった。神に仕える者に己の恥部をさらすなど耐えられず、アンジェラはうつむくも、力で敵うはずもない。レオナルドはアンジェラの目元を覗き込んでくる。

「み、見ないで……」
「綺麗なローズピンクですね」

 赤みの強い桃色の虹彩に、レオナルドはため息を落とした。よりによって知られたく相手に知られてしまい、アンジェラは唇を噛みしめる。

 ――悪魔をも誘惑する色なのよ。教会にとったら禁忌の色なのに。
 
「綺麗だなんて――」
「私の庭で育てている薔薇と同じ色ですね」
「……嗜好品しこうひんの類は栽培禁止なのでは?」
「そんな規則を真面目に順守しているのは、貴女くらいですよ」
「なっ!」
「何事にも例外というものはあります」

 暗に馬鹿にされ、アンジェラは言葉を失った。ムッとして上目遣いに睨むと、レオナルドは微笑を引っ込め、視線をそらす。
 綺麗だなどとお世辞を言っても、やはりこの瞳の色は汚らわしいのだ。
 これで彼はセックスする気を失うだろう。アンジェラは拒絶するレオナルドを期待したのだが。

「元気になったようですね。では失礼しますよ」
「え」

 レオナルドの顔が近すぎて焦点が合わない。と思う間もなく、唇に柔らかい感触がした。これほど柔らかなものは食べたことがない。

 これは――。

 レオナルドの唇がアンジェラの唇を塞いでいる。しっとりと合わさり息苦しい。レオナルドの胸を叩いても、唇は離れてくれず、アンジェラは気が遠くなりかけた。

 ――ついに、【セックス】をしてしまったのね。

 今まで築いてきた努力が、音を立てて崩れ落ちる幻聴を覚えた。これで、聖女への道は閉ざされてしまった。この先、何を道しるべに生きていけばいいのか――。
 レオナルドの唇は役目を終えたはずなのに、アンジェラのそれにくっついたままだ。さらには彼女の唇を舌でこじ開けようとしている。

「……っ!」

 アンジェラはもういいだろうと、強引に顔をそらした。
「あ、あの、結界は解けましたよね?」
 レオナルドの肩越しに扉を窺う。そこには相変わらずアンジェラをあざ笑うかのように、金色の結界文字が浮かんでいた。

 ――な、なぜ……。私は処女を失ったはずなのに。

 床に両手をつき項垂れていると、レオナルドの戸惑ったような声音が追い打ちをかける。

「あの、確認なのですが、シスター・アンジェラ。……もしかして、キスをセックスだとお思いですか?」
「キ、キスとは。そ、そ、それよりもファーザー・レオナルド、あの結界は【セックス】をしても解けません。どうしたらいいのでしょうか……」

 ――私ったら、文言の意味を取り違えていたの?
 もう一度結界を確認しようと立ち上がったアンジェラの腕を、レオナルドは掴んだ。

「シスター・アンジェラ、残念なのですが、キスはセックスではないのですよ」
 ――今の、唇を合わせるのが【セックス】ではないですって?
 アンジェラは引き寄せられるまま、胡坐をかいたレオナルドの膝の上に座った。

 聖典には、男と女の唇同士が触れあえば、その者は処女ではなくなると謳っている。その内容が間違っているとレオナルドは言いたいのだろうか。

「本当に知らないのですか」
「あ、貴方こそ聖典の教えを否定するというのですか」
「……貴女はもっと世の中を疑うべきだ」
「なっ!?」
「現に結界は解けていません。私の知る【セックス】を試してみましょう……貴女を傷つけることはしません、安心してください」

 レオナルドは戸惑うアンジェラの腰に両手を添え、胸元に抱き込んだ。レオナルドの腰をまたぐ格好になったアンジェラは、股の間にあたる異物感に首を傾げる。

 ――お尻に当たっていたモノと似ているような……。

 恐る恐る見下ろすと、レオナルドの下衣の一部が膨らんでいる。
 硬さもあるが柔らかく弾力があった。
「あの、ファーザー……?」
 震える声に、レオナルドはにっこりと微笑みかける。
 
「私に任せてください」
「どういう……?」

 言葉の途中で、レオナルドにふたたび唇を塞がれた。
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