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第四章 母の故国に暮らす

観光を終えて

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 ウゥスの薬湯の効き目は、抜群だった。
 薬湯を飲み干した頃には、椅子に座り込むほどに感じていた重たい疲労が嘘のように消え、それどころか、日中観光で歩き回ったとは思えないほど、私の体の隅々まで気力が満ちていた。
 お陰で、私は早速小瓶を片手にお守り作りに必要な残りの素材を手際よく選び取り、興味を引かれるまま存分に店内を見て回ることができた。そして、素材以外にもそれなりの数の商品を手に取り、一悶着の末にそれら全てをただ同然で購入して、店を出る。
 その結果として、商会までの道中ラッセの説教を聞かされる羽目になってしまったのだけれど、それは私の自業自得と言うものだろう。

「あのね、ミリアム。いくらウゥス殿があれこれ親切にしてくれたからって、向こうはそれも含めて仕事の内なんだよ? 分かる?」
「わ……分かって、ます」
「だったらどうして、ウゥス殿に言われるままにほいほいあげちゃうかな? 君があげたものがどれだけ大事なものかは、説明されたよね? それなのに、どうぞどうぞって! 実はミリアムの耳は飾りなの? それとも、話が右から入って左から抜けちゃう仕様なの? 聞いたことはちゃんと覚えてる?」
「それは……その……」

 人目がある為に具体的な単語は出ていないものの、ラッセの言いたいことは、当事者である私はよく理解している。
 ラッセがすっかり機嫌を悪くしてしまい、くどくどと私に説教をしているのは、偏に私の所為だ。具体的に言えば、今日の特別なお守り作り諸々の礼として、私が自分の髪をウゥスに無償で提供してしまった所為である。
 私がそんな行動に出てしまった発端は、店でのウゥスとの会話だった。店では素材の買い取りも行っており、時折フェルディーン商会からも良質なものがあれば買い取らせてもらっていると言う話から、自然な流れで私の髪へと話が及んだのだ。

 力が込められた髪は、当然一級品の素材となる。それも、稀にしか生まれてこない愛し子のものともなればその希少価値は跳ね上がり、買い取り価格も間違いなく高額になる。
 そんな話のあとで、いつでも高値で買い取らせていただきますよ、などと言われてしまっては、私が反応しないわけがなかった。
 私は、いずれは保護家であるフェルディーン家を出ることになる。むしろ、いつまでも世話になるのも申し訳ない為、私としては成人したら出るつもりでいる。そして、今の私には王家からの莫大な謝礼金があるものの、家を出た先では、いつ何が起こるか分からない。そんな時の最終手段として、手っ取り早く金を手に入れる方法があると知ってしまった。

 私の目が輝いたのを見逃さなかったのは、ウゥスとラッセ、どちらが早かっただろう。
 ウゥスが好機とばかりに、長さがこれくらいだと買い取り金額はこの額に、と具体的な数字を提示しようとした途端、ラッセが笑顔ながら有無を言わせぬ力で私の体を押し退けてウゥスに迫り、私の髪の買い取りに断固拒否の姿勢を見せて、二人の間に火花が散った。
 いざと言う時の為にウゥスの話を聞いておきたいと思った私としては、ラッセの勢いにはただ驚くばかりで。

 長く伸びるまでにそれなりの時間が必要とは言え、髪はどうせまた生えて来るもの。抜いたところで私の側に減るものはないし、素材の一つとしてウゥスの店の商品に役立てられるのであれば、売るのに抵抗はない。それに私にとっても、数本売るだけで一月を十分生きていけるだけの金額が手に入るのであれば、ウゥスの申し出は非常にありがたいことである。
 互いが益を得るのだから、ラッセがそこまで断固反対の姿勢を貫くことはないのではないかと、互いに笑顔で穏やかに言葉を交わし合いつつも一歩も譲らない二人に気圧されながら、そう思ったのだけれど。

「ミリアムは分かってるって言うけど、あれは分かってる人の行動じゃないからね? むしろ、全然分かってない! それどころか、何も考えてない! 親切な人の親切な言葉が、必ずいつだって親切とは限らないんだよ?」
「ぐ……」

 耳に痛い言葉と共にびしりと指を差され、それに反論することもできない私は、せめてとラッセの視線から逃げるように顔を逸らした。本当は耳を塞いで聞かなかったことにしてしまいたかったけれど、両腕に大切なものを抱えている現状では、どうしたってできることではない。
 第一、あからさまにそんなことをすれば、更にラッセから説教を食らうことになるのは目に見えている。現に私はウゥスにすっかり言葉巧みに丸め込まれて、高級素材を惜しげもなく提供してしまったのだから、ここは形だけでも反省の姿勢は見せなければ火に油を注いでしまいかねない。

 それでも、ウゥスが私の髪を悪用しない人物であることはキリアンからの信用を見ても明らかであり、この先お世話になることも考えてお近付きの印に髪を数本無償で譲り渡すくらい、いいと思うのだ。
 それがたとえ、エイナーのお守りの素材の代金を不要にする代わりに一本ご提供いただけませんか、との言葉に応じた結果だったり、上質の素材が手に入ったと感激されて、他の商品のお代も結構ですとの一言に私が恐縮してしまった結果だったりしても。
 その後も、これは行けると踏んだウゥスが、言葉巧みに私が髪を提供したくなるよう話の流れを持って行き、まんまと二本三本とすいすい抜いてしまったのは私の甘さだろう。ラッセがあまりに反対するものだから、ウゥスに対して申し訳ない気持ちが勝ってしまったのだ。

 ともあれ、ラッセは最後まで無償提供することを渋ってはいたものの、私としてはウゥスが喜んでくれたならそれでよかったので、自分の行動に後悔はしていない。
 もっとも、最初の二本以外はラッセの猛反対によって、ウゥスにはきちんと買い取らせたのだけれど。そして、買い取りで得たお金は今、私の懐に収まっている。
 予想外に懐は温かくなってしまったものの、私の気持ちはどうにも複雑だ。

「別に、減るものでもないのに……」

 店で解いてそのままの自分の髪を一房摘まんで、指に搦める。
 聖域の民ではない愛し子の髪に内包される力の量は、歳を取る毎に変わっていくのだとウゥスは言っていた。
 若い内は体の成長に伴って自分自身に宿る力自体の総量が増える為、必然的に髪に内包される量も増加する。そして肉体が成熟した後、高齢になればなるほど体の衰えと共に力も衰え、当然、髪に内包される力も減っていく。
 まだ子供の私は、成長過程。この先しばらくは、成長に伴って私の力は増加することはあっても、減少することはない。
 つまり、私の髪は今後更に良質な素材として、高値で買い取ってもらうことができるのだ。今の私の髪を数本売った程度のことが、こんなにもラッセに説教されなければならないことだとは、到底思えない。

「ちょっと、何言ってるの! 減るよ? 減るからねっ!? 自分を安売りしないで、ミリアム!」

 私の呟きを聞き逃さなかったラッセに、これまた過剰に反応されてしまった。くわっと見開いた目でこちらに迫るその顔は、レナートやアレクシアとは別の意味で私を圧倒する迫力に満ちて、大変に恐ろしい。

「ミリアムは全く価値が分かってないみたいだから言うけど、今日の買い物分全部と二つでも、本来ならお釣りが来るんだよ! それをあんなにくれてやろうとするなんて……! 本当なら全部きっちり買い取らせなきゃいけなかったのに、僕が付いていながらなんて失態なんだ。理想の妹との買い物の最後がこれだなんて、自分で自分が許せないよ!」

 商人として、私の行動と自分自身の甘さがどうしても許せないらしいラッセは、頭を抱える勢いで嘆いている。そして、まるで私に聞かせるように、深々としたため息がその口から漏れた。

「……兄さん、駄目だ。ミリアムがこんなんじゃ、おちおち一人で街に買い物にも行かせてあげられないよ。どうしよう……」
「心配するな。ミリアムの外出には、必ず護衛は付けるんだ。そいつらに十分注意するよう言っておけばいいさ」
「それだけで大丈夫? だって、親切にされたら、疑うことなくそのお返しに倍以上のものをあげようとするお人好しだよ、この子? ちょっと同情を誘ったらすぐころっと騙されそうだし、値切るなんてできそうにないどころか、定価の倍以上吹っ掛けて売っても気付かず買っちゃうよ? 紛い物だって、親切そうな顔をした人が本物だって言ったらすぐ信用して買っちゃうんだよ、きっと!」
「否定はしないが、だからこその護衛でもあるんだろ。うちの兵は、ミリアムほどお人好しでも馬鹿でもないし、人も物も見る目は十分ある」

 私を挟んで頭上でやり取りされる、容赦のない言葉の数々。思い当たる節などないと堂々と胸を張って言い返せないところが悔しいけれど、それでも流石に、あまりにも二人は言い過ぎな気がして私の眉がつり上がった。

「待ってください! さっきから聞いていれば、お二人共、流石にその言い方は失礼じゃないですかっ!? 私だってそんなに馬鹿じゃありませんよ!」

 いくら私でも、そこまでちょろいカモにはならないくらいの知識は持ち合わせている。
 そんな気持ちを込めて言い放ったのだけれど、憤慨した私の声に返って来たのは同意や謝罪ではなく、私の言葉を全く信用していないと分かる二対の半眼だった。
 青と緑、二色の瞳にじとりと見下ろされて、私はたちまち言葉に詰まる。

「騙されて思い切り酷い目に遭ったのを、もう忘れたのか?」
「あのね、ミリアム。騙されやすい人に限って、何の知識もないのに自分は大丈夫だって根拠のない自信を持つものなんだよ?」

 二人の言葉が、これまたバッサリと私の身を切る。痛い。とても痛い。
 特にレナートの一言は、私を強かに打ちのめす威力があった。何と言っても、相手の外面に騙されてまんまと攫われたのが、エリューガルのミリアムの始まりなのだから。

「……うん、よし。決めた」

 全く反論できずに押し黙ってしまった私を見下ろして、ラッセが一つ大きく頷く。そして、さも作ったような実に綺麗な笑顔が私に向けられた。
 その有無を言わせぬ迫力は、ラッセがウゥスに対して断固反対の姿勢を取った時を思い出させて、嫌な予感が私の体を駆け抜ける。

「ミリアム、僕と一緒にお金の勉強をしよう。僕は、父さんからミリアムの資産管理も任されてるから、ちょうどいいよね。この先ミリアムがおかしな相手に騙されないように、商人としても、人と物の見方だってみっちり教えてあげるよ」
「ひぇ……」

 ラッセの気迫に押されて、私は咄嗟に助けを求めてレナートに体を寄せた。けれど、レナートは私の頭をぽんと一撫でして、よかったなと他人事のように笑うばかり。ラッセを止めてくれる様子は微塵もない。

「レナートさんっ」
「よかったじゃないか。しっかりラッセに教えてもらうといい」
「ちょっ――」
「兄さんも賛成してくれたことだし、勉強頑張ろうね、ミリアム」
「そんな……っ!」

 思わず上げてしまった悲痛な一声にも、ラッセとレナートは笑顔を崩さない。当然、そこまでしてもらわなくても大丈夫だとの私の言葉は二人に華麗に無視され、聞かなかったことにされた。

「ああ、でも勉強の前に、フェルディーン商会の許可なくミリアムの素材の無償提供及び売買をしないように念書を作って、ミリアムとウゥス殿には署名をしてもらわなきゃ」
「そんなことまでっ?」
「当然でしょ」

 驚く私に再び笑顔が迫って即答されるに至って、どうやら私は商会若旦那ラッセ・フェルディーンと言う人物を甘く見ていたらしいことに、ようやく気が付いた。同時に、商人であるラッセにとって、私の行動はそれほどまでに許し難いことであったのだと言う、私自身の認識との違いをはっきり肌で感じて慄く。
 これは、私にとっては悪い方にしか事態が動かない気がする。非常にまずい。
 そんな直感に従ってレナートを窺えば、そちらはそちらで何故か至極真剣な、それこそキリアンの側近として彼のそばに控えている時のような表情で、片手を顎に当てて宙の一点を睨んでいた。

「……おい、ラッセ。そこは商会ではなくフェルディーン家との念書にしておけ。いや、明確に許可を与えられる人間の名を全員分明記しておくべきか……。とにかく、商会なんて曖昧な括りだと、ウゥス殿に上手いこと隙を突かれて素材をふんだくられるぞ」

 相手はあの聖域の民だ、と鋭い蒼眼が柔らかな碧瞳を射抜き、ラッセがはっと目を瞠る。その一拍後、まさかレナートまでそちら側にと私が驚く前で、互いに真剣な表情で視線を交わし合った兄弟の拳が、頷きと共に打ち合わされた。
 その瞬間、最早何を言ってもこの決定は覆らないことを、私は嫌でも理解した。させられた。なにより、同じ考えの元一致団結した二人を相手に、私がたった一人で太刀打ちできる筈がない。
 そして、改めてやる気を漲らせると共に、妹に勉強を教えると言う夢が叶う喜びを満面に湛えたラッセに意気揚々手を引かれながら、私は商会へと戻ることになってしまったのだった。

 *

 帰り道。
 買った荷物の殆どを馬車で帰るラッセに預け、身軽になってレイラに跨った私は、時計塔が夕刻を知らせる鐘を鳴り響かせる中を丘に辿り着き、ゆっくりと山の端に沈んでいく夕日を、その目にすることができた。

 細く伸びる雲から光の柱が斜めに走り、王都の街並みを夕日と同じ色に染め上げる。川面も黄金色の輝きを帯びて、朝に見たのとはまるで違う風景が目の前に広がっていた。
 気の早い星が瞬いて一足早く夜を告げ、鳥達が寝床を目指して群れて飛ぶ。家々の煙突から出る煙は朝より賑やかで、早い昼食と少しの軽食がすっかり消化されてしまった胃が、思い出したように私に切なさを訴えた。
 やがて鐘が鳴り止み、その余韻も消えて夕日が山の端にその姿を隠し始めると、徐々に家々に明かりが灯り始める。それはまるで、沈みゆく夕日が地上に置き忘れた残り火が、夕日に代わって街中を照らしているようだった。
 夕日がすっかり山の端の向こうへ沈んでしまうと更に明かりは輝度を増し、どこか幻想的にも見える風景に、私は今日何度目かじっと見入った。

「そう言えば、時計塔は見に行きませんでしたね」

 美しい夕日の眺めと夜へ向かう王都の街の景色を十分に味わい、残照の中をフェルディーン家へ向かって進み始めたところで、私はふと、今日の観光で巡らなかった場所があったことを思い出した。
 レナートの話では時計塔も遷都以前からある古いものだと言うことで、密かに間近に目にしてみたいと思っていたのだけれど、残念ながら今日の観光経路にそこは入っていなかったのだ。
 比較的時計塔から近い歌劇場までは行ったのにと疑問を口にすれば、レナートからは、少しばかり嫌そうに眉を寄せた顔が寄越された。

「時計塔を見れば、隣の兵団本部も見たくなるだろう?」
「それは……そう、ですね」

 時計塔に隣接している王都警備兵団本部。常に兵士を募集していることから、敷地内の一部は自由に見学することが許されている。時計塔まで行ったなら、ぜひとも見学したくなっても不思議ではない。
 オーレンやハラルドからも、その内見学に来るといいとの言葉を貰っていた。その時には案内をするから、と。

「――だから、行かなかったんだ」

 簡潔な一言に、私は納得する。
 なるほど、私が本部へ来たと知れば、あの二人は仕事をそっちのけで私の案内を買って出てしまうに決まっている。特に指導教官と言う立場のハラルドは、現役兵士でかつ一つの隊を任されているオーレンよりは自由が利く。そんな彼が、私に本部内を案内するだけで満足して終わるとは、到底思えない。これまで王城で、しかも限られた時間しか私と会えなかったことも併せて考えれば、ハラルドが私との時間を長く過ごしたいが為に本部に留め置こうとするのは目に見えている。
 そうなれば、今日初めて会ったウゥスの押しにすら負けてしまった私が、ハラルドの押しに負けないわけがない。王都観光に宛てる筈の時間のどれくらいが、兵団本部で費やされることになってしまっていたことか。

「茶会で二人の都合を聞いて、訪問日を決めた方がいい」
「……そうします」

 それはそれで二人にしっかりともてなされてしまいそうではあるけれど、突然やって来て二人の仕事の、引いては兵団の皆の仕事の妨げにならない方がよほどいい。

「また楽しみが増えました」

 弾む気持ちのままに呟いた私の視界の先に、温かな明かりの灯るフェルディーン家の屋敷が見えて来た。
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