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第四章 母の故国に暮らす

最後の贈り物と告白と、秘密

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 アレクシアの宣言で招待客の殆どが使用人に案内されて屋敷へと向かう中、私はエイナーと共に温室へと来ていた。私からエイナーへ手渡したいものがあったからだけれど、エイナーからも私へ贈り物があると言うのだ。
 ちなみにこの休憩時間は、このあとフェルディーン家修練場に場所を移しての茶会第二部――通称「恐怖の茶会」だと、温室への道すがらエイナーに教えられた――に向けた準備の時間となっている。私やエイナー、テレシアは観戦組である為、対戦参加組とは違い自由時間と言ってもいいだろう。

 庭園の隣にある温室は風がない分、外よりも随分と温かい。エリューガルでは見ることのない温暖な地域に咲く植物が所狭しと植えられ、そのいくつかは見事な花を咲かせて芳しい芳香を放っている。
 日当たりも、草花を眺めるのにもちょうどよい場所に設置されたベンチに、私達は揃って腰掛けた。そしてまずは私から、今日一日ずっと大切に持ち歩いていたお守りを手に乗せて、エイナーへ示す。

「お守り屋の店主から、お守り返しと言うものがあると教えていただいて。エイナー様にお贈りしたくて、作ったんです」
「もしかして、あの時の僕のお守りの……?」

 私の頷きに、エイナーが瞳を大きくしながらお守りを手に取る。
 薄っすらと青みがかった布で作った小袋には、濃淡二色の青と緑、それに橙の糸で聖紋が刺繍されている。袋の口を縛る紐は私が選んだ核と同じ、紫がかった濃い青だ。
 そして中に入っている核は、三日三晩が経過した朝、すっかり中の液体がなくなった小瓶の中に、まるで巻き付けていた髪を吸収したかのような細く鮮やかな緑の線を幾重にも描いた、たった一つの特別な輝く核へと変貌していた。

「珍しい聖紋だね。なんだかとっても暖かい」
「このお守りには、エイナー様の力になるように、との祈りを込めてあるんです」
「それって……」

 はっと驚いて目を瞠るエイナーに、私は笑顔で応えた。言葉はなくとも、それだけでエイナーには伝わったのだろう。私の見る前でみるみるエイナーの頬が染まり、元々大きな目を更に見開いて、手の中のお守りを見つめる。

「僕の為に、僕のことを思って……」

 私より一回り小さな手が、まるで宝物を扱うようにお守りをそっと握り締める姿に、私も心が自然と温かくなった。その仕草だけで、エイナーがお守りを喜んでくれたことがはっきりと私に伝わって来たから。

「ありがとう、ミリアム。こんなに特別なものを貰えるなんて……兄上が聞いたら卒倒しそうだけど、僕がこれまで貰ったどんな贈り物よりも一番嬉しいよ! 本当にありがとう、ミリアム」
「そんなに喜んでいただけるなんて、私こそありがとうございます」

 けれど、喜びを露わにしていたのも束の間。お守りを見つめるエイナーの眉がわずかに下がり、そこに小さな小さな悔しさが現れた。そして、少し尖った口からも間を置かず同じ言葉が零れ出る。

「でも、ちょっと悔しいなぁ。今日は、僕がミリアムを目一杯喜ばせるつもりだったのに、僕が先に喜ばされちゃった」
「今日は私が皆さんにお礼をする日なんですから、それでいいと思うんですけど……」
「そうだけど、僕が嫌なんだもん。贈り物だって、その為に一生懸命考えたのに」

 そう言って、エイナーは近くに控える城からの護衛の騎士に目配せをする。すぐさま歩み寄って来た騎士は、その手に布に包んだ何かを持っていた。
 ベンチから立ち上がったエイナーが騎士から包まれていた中身を受け取り、そのまま私の正面へ立って両手を差し出す。

「お守りとは違うけど、僕からの贈り物もミリアムのことを守ってくれるものなんだ」

 エイナーの手の上に乗っていたのは、手の平大の木製の平たい箱。私の為に、エイナーが一生懸命考えたと言う贈り物。
 せっかくお礼の気持ちを返したばかりなのにと思いながらも、エイナーの期待を滲ませる瞳に微笑みながら、私はありがたく受け取った。そして、エイナーが隣に腰掛けるのを待ってから、そっと木箱の蓋を開ける。
 一面ガラス張りの温室に直接降り注ぐ陽光に、一瞬、箱の中身がきらりと光を反射した。

「素敵……」

 それは、アルグライスでもなかなか見ない、熟練の職人の手によると分かる見事な装飾が施された懐中時計だった。濃くも鮮やかな緑を下地に、琺瑯で精緻で美しい水仙が描かれた上蓋は、思わず息をのむほどの出来栄えだ。白と黄と、背景とは色味の違う緑で描かれた水仙の花を、金が縁取る。その背景には、下地より二回りほど小さな円を描く薄い青。
 水辺に咲く水仙を模したようで、今にも水仙の花が目の前へと浮かび上がってきそうだ。
 そんな上蓋を開いて現れた文字盤は、鈍い銀に薄っすらと同色の蔦模様が円を描き、それを縫うように中心から伸びた細く鋭い針が正確に時を刻んでいる。

「気に入ってもらえた、かな……?」

 私が装飾のあまりに見事な作りに言葉もなく見入っていると、遠慮がちなエイナーの声がすぐ隣から私をつついた。それは少し前のライサの反応を気にする私によく似て、私はすぐさま勿論ですと力強く答える。

「こんな素敵な贈り物をいただけるなんて思わなくて、見とれてしまっていました。持ち歩くのが勿体なくて、部屋に飾っておきたいくらいです」
「えっ! それは駄目だよ、ミリアム。いつでも持ち歩いてくれなきゃ。僕、その為に色々頑張って考えたんだよ?」

 私が最も気兼ねなく普段から身に付けられるものはと、キリアンやラーシュと共に考え懐中時計にすると決めたのに、それを持ち歩いてもらえないのは困ると、エイナーの眉が困惑を表すように下がる。
 上蓋の装飾も、蝶や鳥、牡鹿、水仙以外の花……私とのこれまでの会話から、私に気に入ってもらえるものをと案を出し合い悩み、やっとのことで職人に形にしてもらったのだからとの力説が続いて、私はそのエイナーの必死なさまに知らず笑い声を上げていた。

「もうっ。笑わないでよ、ミリアム」
「すみません、エイナー様。でも……分かりました。ちゃんと毎日持ち歩くことにします。時計ですしね」

 私の部屋に置き時計はあっても、部屋の外に出てしまえば、容易に時刻を確かめられるものを、私は持っていない。
 フェルディーン家へ居を移した翌日、午後に時計店に寄りはしたけれど、その時に購入したのは置き時計だけだった。懐中時計も売られていた筈だけれど、それについては全く触れられなかったことが今更ながらに思い出される。
 もしかしたらあの時には既に、アレクシア達はエイナーが私に懐中時計を贈ることを知っていたのかもしれない。そうであるなら、今日贈られたこの懐中時計は、エイナーの願い通り普段使いすべきだろう。
 傷が付いてしまわないかが、とても心配になるけれど。

「大事に使わせていただきますね」
「うん! この懐中時計は少し特別で、よほどのことじゃないと故障もしないし傷も付かないようになっているから、安心して使って!」
「そんな高価なものを私にくださったんですか?」
「高価と言うか……あの、ミリアム。裏を見てもらえる?」

 エイナーは言葉を濁すけれど、これだけ見事な装飾が施された懐中時計なのだから、当然その辺の店で気軽に買えるような安物でないことは確かだ。まして、王族の依頼で私の為に作られた品。実際には金に換えられない価値がある。
 私にとってはそれだけで十分すぎるほど嬉しい贈り物だと言うのに、それに輪をかけて、何がこの懐中時計にあると言うのだろうか。

 裏面は、手に持った限りでは中央にわずかな凹凸を感じるくらいで、全体に滑らかな表面は手に馴染むものだ。
 不思議に思いながらも、エイナーの言葉に従って一旦上蓋を閉じた私は、時計を裏返す。
 果たしてそこには、エリューガル王家を示す紋章に用いられているものによく似た、翼を持った竜が円を描くように描かれていた。黒竜であることを示すように、描かれた竜はその部分だけが周囲に比べて黒く濃く、鈍い銀の光を発している。そして、私が指先で感じていた凹凸の正体は、竜の手に握られる形で嵌め込まれた赤い石だった。
 不思議なもので、竜の姿はただの彩色された絵ではなく、裏面に彫り込む形で描かれているのに、どんな技法を用いたものなのか、直に目で見ても石以外に全く凹凸を感じない。

「エイナー様、こちらは?」
「これは、エリューガルでのミリアムの身分を証明するものだよ」
「私の?」

 エリューガル王国の民となった私の身分証だと、エイナーが竜を指差す。

「その中でも、特別な身分証なんだ」

 黒竜クルードの姿を扱えるのは、エリューガルでは王家だけ。それを与えられた身分証は、王家が認めた特別な人物であると言う証になるのだと言う。これを示すだけで、どんな場所でも望めば王族に匹敵する待遇を受けられるし、場合によっては相応の警備も付けてもらえる。

 また、一見クルードの姿以外にはそこに何も見えないけれど、この面には王家に仕える聖域の民による特殊な加工が施されており、同じく特殊な製法で作られたランプに翳すと、予め組み込まれた私の名などが浮かび上がるようになっている。それもあって、懐中時計全体が壊れにくく傷も付きにくくなっているのだとか。
 更に中央の赤い石も特別製で、身分証の持ち主である私以外の者が身分の証として提示すると、石の色が灰色に変色する仕組みになっている。これは城に勤める者の身分証には全て同じものが施されており、騎士は特に、正式に騎士と任じられた際に与えられる剣に、同様の石が嵌め込まれていると言う。

「ミリアムのものは王族と同等の通行許可証も兼ねているから、これがあれば、エリューガル国内ならどこへだって行けるんだよ。勿論、身分証の提示が必要な場所の殆ども見られるんだ。だから、その……」

 聖域の民の持つ力に驚き、あまりに特別仕様の身分証であることに恐れ戦きながらエイナーの説明に真剣に耳を傾けていたところで、不意に途切れた声に、私は懐中時計から隣へと視線を動かした。
 途端に、エイナーの恥ずかしそうにしながらも期待を込めた眼差しに真っ直ぐ見つめられて、心臓が跳ねる。

「いつでも、城に遊びに来てね!」

 勢いのままにエイナーの口から出た一言は私を驚かせ――そして、破顔させた。
 声に込めた力から察するに、恐らくエイナーにとってはこの懐中時計を贈るにあたって、それが一番重要なことだったのだろう。
 王子と言う立場であるエイナーには、気軽に街を散策する自由も、フェルディーン家に遊びに行く自由もない。お忍びでやってやれないことはないのだろうけれど、つい最近誘拐されてしまった手前、犯人が捕まるまでは控えるべきだ。
 それが分かっているから、せめて私の側から遊びに来てほしいと。
 私に贈られたこの懐中時計は、今のエイナーにできる、ささやかだけれど精一杯の我が儘な願いを叶える為のものでもあるのだ。

「はい。レイラと一緒に遊びに伺います。素敵な懐中時計、ありがとうございました」
「うん。待ってる!」

 約束だと頷き合って、私は早速、貰った懐中時計で時刻を確かめた。時計の針は、アレクシアが休憩を告げてから十分ほどが経過した辺りを指している。集合時刻までは、まだゆっくり過ごす時間がありそうだ。
 そんなことを思いながら文字盤から顔を上げると、私と一緒に時計を覗き込んでいたらしいエイナーと不意に目が合った。その表情は思いの外真剣なもので、私は小さく首を傾げながら瞬く。

「エイナー様、どうかなさいましたか?」
「うん。ミリアム、もう少しだけ僕に時間をくれる? ……実は、ミリアムに話しておきたいことがあって」

 夕日色の双眸に宿るはっきりとした意志に、自然と私の背筋が伸びる。
 私が話を聞く姿勢を取ると同時に、エイナーは少しだけ言葉を探す素振りを見せたあと、意を決したように口を開いた。

「ミリアムは、兄上の力については知っているよね?」

 それは、キリアンの王子としての権力を指すものでもなければ、剣の腕を指すものでもない。クルードの愛し子として、黒竜クルードから授かった力のことだ。
 キリアンはその体に傷を負うことがなく、毒も効かず、病に罹ることもない。
 歴代のクルードの愛し子皆がそれらの力を有していたわけではないそうだけれど、例外なく常人よりも「非常に死ににくい体」であったと言うのは、書庫に収められた書物で私も知っている。
 また、クルードの愛し子はその死ににくい体に加えて、個々人にそれぞれ何らかの力を与えられている。ただし、それらが一般に公表されることはなく、私もキリアンが持つ他の力については聞いていない。

 そんなことを思い出しながら、私はエイナーの黒髪に視線を移した。キリアンの存在が大きすぎて忘れがちではあるけれど、エイナーもれっきとしたクルードの愛し子だ。たとえ、生まれたあとからクルードに力を授かり、クルードの色を宿すのは髪のみと言う異例な形であったとしても。

「……もしかして、エイナー様も大変丈夫な体をされているのですか?」
「僕は兄上と違って、怪我もするし風邪も引くし毒だって効く体だよ。そこは、普通の人と変わらないんじゃないかな」

 エイナーは緩く首を振って何でもないことのように言うけれど、これまでのクルードの愛し子が共通して持つ力を持っていないことは、どれだけエイナーにとって重圧だろう。
 ただでさえクルードの愛し子は稀にしか誕生しないところに、後天的とは言え兄弟で愛し子が誕生する奇跡が起これば、人はエイナーにも過度な期待を寄せてしまうものだ。それなのに、兄と同等どころか、クルードの愛し子を愛し子たらしめていると言ってもいい力自体を持たないことは、口さがない者達にとってどれだけ格好の話題となったことか。
 今でさえ、まだやっと十歳のエイナーにとっては、本来ならば何でもないことのように扱える話ではないだろうに。
 ある意味で、私よりも辛い幼少期を送って来たのだろうことを思って、私の胸が詰まる。
 けれど、エイナーの表情はいたって明るく、眉を寄せる私に対して笑顔まで浮かべていた。

「平気だよ、ミリアム。僕には兄上や父上、ラーシュ達がいてくれたから。それに、今では兄上と同じ力を授かっていなくてよかったって、心から思ってるんだ」
「……エイナー様は、お強いですね」
「そんなことないよ。実はちょっとだけ……怖いなって思ってるから」

 言葉を切ったエイナーの顔が、不意に私から逸れる。ベンチの先に咲く花を見つめるエイナーの横顔に少しばかり影が過り、そしてそのまま、私に視線を向けることなく続きを口にした。

「僕は……僕の力はね、ミリアム。人の感情を視るんだ」

 心を視ると言ってもいいかもしれないね。
 ぽつりと零された声は、たったそれだけで、私にこれまでのエイナーの話の真実を理解させていた。
 エイナーは、目が合った相手の感情を、その視線を通して視ることができる。
 その力はエイナーが愛し子となった瞬間から発現し、力の制御できないエイナーに、周囲の全ての人々の感情を否応なしに視せた。
 言葉と感情が同一であるならば、まだいい。けれど、国を統べる者が住まう場所では、口に出す言葉と腹の内に抱える感情が裏腹であることなど珍しいことではない。まして、エイナーは王子だ。彼の立場は、勝手に人々にエイナーに対して耳障りのいい言葉を喋らせ、内心でエイナーを悪しざまに罵り、貶し、勝手に失望し、鼻で嗤う。
 それでは、エイナーが人を信じられずに引きこもってしまうのも当然だっただろう。

 力の制御を覚えてからも、今度は感情が視えないと言う当たり前のことに恐怖し、なかなか外に出る勇気は出ないまま。そんな中で、エイナーの力を知る前も知ったあとも、勝手にその内心を視てしまっても何一つ変わらず接し、エイナーにその忠誠を捧げると誓ってくれたラーシュの存在は、何より助けになったと言う。
 勿論、レナートやイーリス、そしてテレシアと言った、私に対しても裏表なく接してくれる面々もエイナーに対する態度を変えることはなかったそうで、お陰で今ではすっかり、力に頼ることなく人と接することができるようになった。
 それどころか、この国の為に、エイナー自身だけでなくエイナーが大切と思うものを守る為に、力を行使しようと思うまでになっている。
 その一つが、私も巻き込まれた祈願祭での一幕。
 どうりで、あれほどに強い憎悪を伴った視線をはっきりと感じるなんて、これまでの私の人生でも初めての経験だったわけだ。

「でも、まだ未熟だから……まさかミリアムにまで感情が届くなんて思わなくて。あの時はごめんなさい」

 謝罪を口にするものの、反省の気持ちを表しているのか私がエイナーと目が合うことを嫌がると思っているのか、彼の視線は地面に落としたままで私と交わらない。
 それがどうしようもなく寂しくて、私はエイナーの顔を覗き込むように、敢えて上体を屈めた。その上で、優しく問う。

「もしかして、ずっと気にされていたんですか?」

 エイナーの夕日色の瞳が、その内心を表すように揺れた。ちらりと私を一瞥し、私に覗き込まれていると見るや、すぐに逃げるように余所を向く。

「うん。それに……実はミリアムには一度だけ、勝手に力を使ったことがあって……」
「えっ!」

 思わぬ告白に、今度は私の心臓が大きく跳ねた。つられるようにエイナーの肩もわずかに震えたけれど、今の私にそれを気遣う余裕はなかった。
 いつどこで、と言う疑問が真っ先に脳裏を駆け、次いで、何を視られたのだろうと言う不安が襲い掛かって来る。不思議と勝手に視られたこと自体を嫌だと感じなかったのは、相手がエイナーだからだろうか。
 それでも、私が決して口に出せない秘密をエイナーに視られていたのだとしたらと言う不安が、膝に置いた手に力を入れさせた。その所為でスカートがすっかり皺を作ってしまったところで、エイナーがそっと私の手に手を重ねて、ごめんなさいと謝罪を紡ぐ。

「僕がミリアムを視たのは……ミリアムが、僕を助けてくれた時なんだ」

 あの人攫いの荷馬車の中。私が麻袋を裂いて、エイナーの姿を初めてその目にした時。言葉だけを信じられないエイナーは、咄嗟に私を視たのだと言う。人攫いの仲間ではなく、本当にエイナーを助け出そうと考えている人なのかどうか、確かめる為に。
 結果は、人攫いの仲間どころかエイナーと同じく攫われた被害者で。おまけに、ぼろぼろの体なのに本気でエイナーのことも助けて、二人で無事に荷馬車から逃げ出そうと考えていた。一瞬でも疑ったことを恥じるくらいに、それはそれは真っ直ぐな感情を視たのだそうだ。

「勝手に視てごめんなさい、ミリアム」

 今にも私に怒られることを恐れるように身を縮めるエイナーに、私は小さく笑みを零した。少しだけ怖いと思っていると言ったのは、恐らく、このことを知った私が怒ることを想像してのことだったのだろう。もしくは、エイナーの持つ力を私が恐れることを、恐れたからか。
 けれど、生憎今の話に私が怒りを覚える要素なんて一つもない。エイナーの力を恐ろしいとも思わない。エイナーと言う人間が、その力を私利私欲の為に自分勝手に使わない人であることは、十分に知っているのだから。

「謝ることはありませんよ、エイナー様。エイナー様がご自分を守る為に必要なことだったんだと言うことくらい、私にだって分かります。ですから、顔を上げてください。私はこれからも、エイナー様の顔を見てちゃんと目を合わせて話がしたいです」

 恐る恐る顔を上げ、私の大好きな夕日色の丸くて大きな瞳が私を捉えるのに、私はにこりと笑みを灯した。同時に、私の手に重ねていたエイナーの手も握る。

「エイナー様が、ご自分の力のことを教えてくださっただけでも、私は嬉しいんですから」

 エイナーからも握り返される感触に私はますます笑みを深めるけれど、エイナーはまだ何か気掛かりがあるのか、その顔ははっきりと晴れなかった。

「ありがとう、ミリアム。でも、あの……あのね、僕の力は、まだできることがあるんだ」

 口に出したものの、今、この場で言うべきか否か――そんな迷いがエイナーの眉間に寄った皺に表れて、私は一度、緩く首を横に振った。そして、エイナーの口元へと立てた人差し指をそっと近付ける。

「無理はなさらないでください。エイナー様が、心から私に伝えてもいいと思った時に教えてくだされば、それでいいですから」
「ミリアム……」

 申し訳ないと、その表情が私にはっきり言葉を伝えて来る。だから私は今一度緩く首を振り、それに、と自嘲気味に口端を上げた。

「そんなにたくさんエイナー様が力を使いこなしているなんて教えられたら、悔しくなってしまいます。だから、今は教えないでいてくださると嬉しいです」

 これまで泉の乙女であることを知らずに生きてきた所為だとは言え、まだまともに力が発現する気配すらない私と、生まれ落ちた直後から力が発現したとは言え、十歳の若さで既に制御を成し、更なる力に目覚めているエイナーと。
 比較すべきでないことは分かっていても、同じ愛し子である事実が、どうしても私に羨望と焦燥を抱かせるのだ。
 その根底にあるのは、無駄に人生を長く繰り返し、生きた年月の総計だけは誰より長いと言うのにいまだ何一つ成せずにいる自分自身への、劣等感にも似た醜く昏い感情だろう。
 私のことを大切に思ってくれる人達には決して見せられない感情を心の奥底に押し込め、少しおどけて懇願するようにエイナーの瞳を見つめれば、ようやくエイナーにも笑顔が戻る。

「じゃあ……その時まで、秘密にしていてもいい?」
「はい。秘密にしていてください。その時にはきっと、私も一つくらい力が発現していると思いますから、お互いに教え合いましょう」

 この時抱いた羨望と焦燥、私の中に燻ぶる醜い感情が、遠くない未来に私自身を追い詰め、望まぬ結果を生み出すことになるとは思いもしないまま――いつ来るとも知れないその時を約束し、私とエイナーは仲よく手を繋いで温室をあとにするのだった。
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