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2 シシグマ王子(2)

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 ――そうして迎えた当日。

「よっ、カナタ。久しぶりー」
「えぇぇええっ!?  なんで、こんなところにアナタが……!」

 約束の時間にやってきたのは、あまりに見覚えのある人物であった。予想外の人物に、カナタは相手の立場も忘れてつい素っ頓狂な声を上げてしまう。

 ――誰が予想できるだろうか。お供も連れず、その場にやって来た第一王子。気さくに手を上げて声を掛けてくるその人が、カナタの半獣の姿を目撃した青年だなんて。

「まさか、シシグマ王子って……」
「へぇ。そのあだ名、そんなに浸透してるんだ?」

 からかうように言われ、これ以上余計なことを言わないようにカナタは慌てて口をつぐむ。それでも面白そうな表情のまま、青年は真面目くさって挨拶を始めた。

「どーも。俺がシシグマ王子、こと北の砦の厄介者ジークだ。この前は楽しかったぜ、カナタ。今日もよろしく頼むな」

 あっけらかんと言われるが、どんな反応を返したら良いのかカナタにはわからない。

「はい、案内させていただきます……」

 やっとのことで出てきたのは、そんな当たり障りのない言葉であった。面白くない、と言わんばかりにジークの顔が顰められる。

「なんだよ、随分他人行儀じゃねぇか。敬語なんて要らないから、仲良くやろうぜ?」
「そういう訳にもいかないでしょう……!」

 王家の人間だとわかったうえで、どうしてそんな失礼な真似ができるだろう。
 無茶なことを言うなとまなじりを釣り上げたが、どこ吹く風とジークは笑うばかり。相手にするだけムダだと、カナタはくるりと背を向けた。

「今日は薬草採取が見たいんですよね? 山は足元悪いんで気をつけてくださいね」

 丁寧な物腰を崩さずに言い捨てる。第一王子なんて面倒な立場の奴と関わり合いになるなんて、まっぴらごめんだ。ほんの少しでも彼に対して親愛の情を抱いていたことが、口惜くちおしい。



「はぁ、しょうがねぇな……できればこの手は使いたくなかったんだが……」

 カナタの頑なな反応にやれやれとぼやくジークの独り言が背中から追いかけてきた。次いで、何かをごそごそと探る音がする。

「――なぁカナタ、コレ、なんだと思う?」

 ふわりと豊かな香りが広がった。その魅力的な匂いに、カナタは吸い寄せられるように思わず振り返る。

「もしかして、それって……」
「そ、カナタの大好きなショコラード……しかも、酒精が入ってないやつだ」

 つい喉がごくりと鳴る。そんなわかりやすいカナタの反応に、ジークは会心の笑みを浮かべた。

「コレをやる条件は、ひとつだけ。今日一日、俺に敬語を使わないこと。……この前と同じ対応をすれば良いんだから、楽勝だろ?」
「っ……! だって、この前は王子だなんて知らなかったから……!」

 食い下がりながらも、チラチラと視線はショコラードに吸い寄せられてしまう。それがまた悔しい。

「ほかに誰が居るわけでもないんだし、本人がそうしろって言ってるのに何を気にしてんだよ? ……ほぅら、そうやって強情ばっかり張ってると食っちまうぞー」
「あっ、待っ……!」

 反射的に制止の声を上げようと口を開けたところで、ぽい、とショコラードを放り込まれた。

「……っ!」

 魅惑の味と香り。忘れようにも忘れられない禁断の誘惑が、口の中いっぱいに広がる。



 ――気がつけば相手への文句も置き去りにして、カナタは目を閉じてその脳が痺れるような幸せを甘受していた。
 頬が落ちるかと思うほどの濃厚な甘み、夢のような口どけ……ああ、ショコラードとはなんて罪深い食べ物なのだろう。なにもかも投げ出して浸りたくなるほどの魅力が、このお菓子には秘められている。

「本当に幸せそうに食べるんだな」
 からかうような言葉にも反応できない。まだしばらくは、ショコラードの余韻に浸っていたい。
 舌の上で消えて行くショコラード。その気配をいつまでも追いかけてしまう。……心ゆくまでそれを楽しみ尽くしたところで目を開けると、ニヤニヤ顔のジークとばっちり目が合った。

「んじゃ、それ食べたんだから今日一日は敬語ナシな? 名前も呼び捨てで良い。よしっ、行こうかカナタ」

 あまりに嬉しそうなジークの言葉に、カナタももうこれ以上言い返すことを諦めた。

「もう……わかったよ。私の負け。その代わり、そっちから言い出したんだから不敬とか言い出さないでよ?」

 言うわけないだろ、と笑うジークを軽く睨みつつ、カナタはふっと笑みを洩らす。

 ……少しだけ。
 ほんの少しだけだけれど、カナタはジークとまた前のように言葉を交わせることが嬉しかったのだ。


   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○    


「それにしても、今日は尻尾も耳もないんだな。ホントにあれ、仕舞えるんだ。……どうせ俺にはもうバレてるんだし、また本当の姿、見せてくれれば良いのに」

 隣を歩きはじめたジークに、わしゃわしゃと遠慮なく頭をかき回される。
 その感触自体は、実のところ嫌ではない。でも、そう感じてしまう甘えたがりな自分が嫌で、カナタはその手を冷たく払いのける。

「バカなこと、言わないで。誰かに見られるかもしれないって危険がある以上、いつだって気は抜けないんだから。あの時のコトは本当に、本っ当に例外中の例外!」

 半獣の姿になることを期待される、というのは初めてのことで、少しだけ喜びの気持ちがぴょこんと弾み出る。そんな感情をカナタは必死に押し込めた。
 確かに人の姿を保っているのは常に緊張を強いられている状態に近く、いくら慣れても息苦しさは拭えないものだ。でも、それは仕方ないこと。

「私は、この場所で静かに暮らしたいの。義父ちちの仕事を手伝って、いつか一人前の薬師になって、そして大好きな皆と平凡で穏やかな日々を過ごす……それが私の夢なの。それを叶えるためには、あの姿は絶対に誰にも見られるわけにはいかないんだから」



 ねぇ、とそこまで言ってから改めて不安に駆られて、カナタは足を止めてジークへ顔を向ける。

「この前のこと……本当に、誰にも言ってない?」
「この前のこと?」

 怪訝そうにジークは綺麗な紺色の目を細めた。何を訊かれているのだろうと思考を巡らせるように彼の視線が泳ぐ。
 返事が返ってくるまでのそんな僅かな沈黙にも耐え切れないほど、カナタの心臓がギュッと苦しくなった。

「だからっ、私のこの……身体のこと……」
「あぁ、なんだそのことか!」

 本当に何のことかわかっていなかったらしい。カナタの言葉を聞いて、ジークはあっけらかんと笑う。

「言うわけないだろ。なんでわざわざカナタの嫌がることを俺がするのさ」
「それは……」
「大丈夫。俺は、絶対にカナタの秘密を話したりしない。いや、もちろん……少しはあの毛皮にまた触らせてほしい、とは思ってるけど」

 最後の言葉だけ、明らかな早口で付け足してジークはへらりと笑った。

「カナタの気持ちは十分にわかったよ。静かに暮らしたいって言うなら、俺もそれに協力する。約束だ」

 ――その軽い言葉に籠められた率直な想いが。そしてまっすぐな眼差しがカナタを貫いたから。

「……ありがとう、ジーク」

 カナタはもう不安になるのはやめようと割り切って、それ以上は口を噤んだのだった。



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