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第六十二話『女神1』
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…………月明りが隠れた曇天の夜、ドーラはとある山の奥で荒れていた。苛立ちを抑えきれず地団駄を踏み、爪を噛んでブツブツ恨みを呟き、頭を掻きむしって奇声を上げた。
「────ふっざけないでよ! どこを見てもどこに行っても人間がいるじゃない! わたし一人を殺すためにどんだけ気合入れる気よ! 頭おかしいんじゃないの!?」
肉体は大人の女性となっていたが、胸は膨らみもなく平坦になっている。度重なる騎士団との逃走劇で魔力を消耗し、満足に空を飛ぶことすら出来なくなっていた。
「……魔物が人間を食べて何がいけないよの! 気持ち良くさせてあげてるんだからいいじゃない! 他の魔物よりよほど温情深いわ! むしろ褒めて欲しいぐらいよ!」
見下していた相手に追い詰められている。その現状に我慢がならなかった。同時にここに至るきっかけを生んだルルニアが憎くて仕方なかった。顔を思い出すだけで頭の血管が切れかけた。
「異常者はそっちのくせに、わたしを嘲笑うんじゃないわよ! 許せない許せない許せない許せない許せない……!! 絶対に許せないわ!!」
歯ぎしりをして足元の草をすり潰し、一輪の花を手で払った。
その目には後悔も反省も無く、ルルニアへの憎悪しかなかった。
「この天気なら明日は強く雨が降るはずよ。それさえ待てば……」
か細い希望にすがっていた時、ドーラの背後の茂みが揺れた。
警戒して振り向いた先には、騙し連れてきたニーチャがいた。
「あんた、死んでなかったの!?」
「うん、生きてた。ドーラも久しぶり」
鷹揚にして同族意識が希薄な魔物だが、群れの概念が無いわけではない。切羽詰まった状況で知り合いとの対面が叶い、ドーラの目に希望の光が灯った。
「すっごいじゃない! あんたがいれば話が変わってくるわ! 空を飛んであの鬱陶しい松明の明かりを越えられる! 生き残れるのよ!」
「んー……? ドーラ、絶体絶命?」
「そうよ、あんただって同じでしょ! わたしと別れた後にあの騎士たちに捕まって、酷いことされて逃げてきて……って、何よ……それ」
喜びの湧き上がりが一瞬で萎縮した。ニーチャは人間の上着を身に着けており、髪留めまでしていた。髪も肌も艶が良く、命からがら逃げて来た様子には見えなかった。
「ね、ねぇ。あんたどうやってここに来たの……?」
ニーチャはサキュバスとして未熟だ。空を飛んでいられる時間は短く、瞳の拘束術の力も弱い。包囲を抜けて山に入るなど不可能だ。
「ニーチャじゃ無理、だから連れて来てもらった」
「連れて来てもらったって、誰に……?」
「ルルニア、それとお兄さん。ニーチャに愛し合うを教えてくれて、毎日いっぱいの幸せをくれる。優しくて大好きな二人」
一点の曇りもない眼で言い切った。何の疑いも嫌悪も抱かず、捕食対象と競争相手をあまつさえ『大好きな二人』と言ってみせた。
「あ、あんたおかしいわよ! 正気になりなさいよ!」
「しょうきになる? どうして?」
「狂ってるって言ってるのよ!? 魔物が人間なんかと共存できるわけないじゃない! あれはただの食料! 愛し合えるわけないでしょ!?」
ドーラは慟哭した。だが叫びの根幹はニーチャへの心配とも違かった。
たった一日で魔物としての認知・認識が歪んでいる。出会った時点では普通のサキュバスだったのに、致命的に歯車がズレている。与し安しと嗤った無垢な瞳が、今は別の生き物に見えた。
「ドーラ、汗いっぱい出てる、びょうき?」
「ひ、いやっ! わたしに近づかないで!」
突き飛ばすようにして距離を取り、そこでまた愕然とした。
丈長の上着の中、そこに淫紋が刻まれているのを目撃した。
「それ、あんた何だか分かってるの……?」
「いんもん、だよね。ルルニアとお兄さんに愛し合うを知りたいってお願いしたら、お腹に刻んでくれたの。かっこいいでしょ」
「それは縄張り争いで負けた同族に屈辱を与えるためのものよ! 殺さない代わりに行動を制限して、苦しむ姿を嗤うためのものなのよ!?」
「んー……? ドーラの話よく分かんない」
いくら叫ぼうともニーチャの信頼は揺るがない。体よく利用して使い捨てるつもりだったドーラの言葉など耳に届くはずもない。
「何よ! 何だって言うのよ!」
ドーラはかな切り声を上げ、茂みをかき分けて逃げた。
退路などどこにも無かったが、ひたすら森を走り続けた。
何故こんなことになったのか、自分は何をしてしまったのか。このまま行けば近い未来に魔物と人間の関係性を脅かす何かが起こってしまう。そんな予感と悪寒が消えなかった。
「ど、どうせ殺されるなら人間共の方がマシよ!」
岩を乗り越えて枝を押しのけ、崖から滝つぼへと跳んだ。
身体は空を切って落下していき、途中でふわりと浮いた。
「────ふふっ、そんなに焦ってどこに行くつもりです?」
耳元で聞こえた声に鳥肌が立つ。ドーラの身体を抱き留めたのはルルニアだ。太ぶとしい角に棘の連なった翼、身体中の黒い紋様は夜の王と称するにふさわしい見た目だった。
「────ふっざけないでよ! どこを見てもどこに行っても人間がいるじゃない! わたし一人を殺すためにどんだけ気合入れる気よ! 頭おかしいんじゃないの!?」
肉体は大人の女性となっていたが、胸は膨らみもなく平坦になっている。度重なる騎士団との逃走劇で魔力を消耗し、満足に空を飛ぶことすら出来なくなっていた。
「……魔物が人間を食べて何がいけないよの! 気持ち良くさせてあげてるんだからいいじゃない! 他の魔物よりよほど温情深いわ! むしろ褒めて欲しいぐらいよ!」
見下していた相手に追い詰められている。その現状に我慢がならなかった。同時にここに至るきっかけを生んだルルニアが憎くて仕方なかった。顔を思い出すだけで頭の血管が切れかけた。
「異常者はそっちのくせに、わたしを嘲笑うんじゃないわよ! 許せない許せない許せない許せない許せない……!! 絶対に許せないわ!!」
歯ぎしりをして足元の草をすり潰し、一輪の花を手で払った。
その目には後悔も反省も無く、ルルニアへの憎悪しかなかった。
「この天気なら明日は強く雨が降るはずよ。それさえ待てば……」
か細い希望にすがっていた時、ドーラの背後の茂みが揺れた。
警戒して振り向いた先には、騙し連れてきたニーチャがいた。
「あんた、死んでなかったの!?」
「うん、生きてた。ドーラも久しぶり」
鷹揚にして同族意識が希薄な魔物だが、群れの概念が無いわけではない。切羽詰まった状況で知り合いとの対面が叶い、ドーラの目に希望の光が灯った。
「すっごいじゃない! あんたがいれば話が変わってくるわ! 空を飛んであの鬱陶しい松明の明かりを越えられる! 生き残れるのよ!」
「んー……? ドーラ、絶体絶命?」
「そうよ、あんただって同じでしょ! わたしと別れた後にあの騎士たちに捕まって、酷いことされて逃げてきて……って、何よ……それ」
喜びの湧き上がりが一瞬で萎縮した。ニーチャは人間の上着を身に着けており、髪留めまでしていた。髪も肌も艶が良く、命からがら逃げて来た様子には見えなかった。
「ね、ねぇ。あんたどうやってここに来たの……?」
ニーチャはサキュバスとして未熟だ。空を飛んでいられる時間は短く、瞳の拘束術の力も弱い。包囲を抜けて山に入るなど不可能だ。
「ニーチャじゃ無理、だから連れて来てもらった」
「連れて来てもらったって、誰に……?」
「ルルニア、それとお兄さん。ニーチャに愛し合うを教えてくれて、毎日いっぱいの幸せをくれる。優しくて大好きな二人」
一点の曇りもない眼で言い切った。何の疑いも嫌悪も抱かず、捕食対象と競争相手をあまつさえ『大好きな二人』と言ってみせた。
「あ、あんたおかしいわよ! 正気になりなさいよ!」
「しょうきになる? どうして?」
「狂ってるって言ってるのよ!? 魔物が人間なんかと共存できるわけないじゃない! あれはただの食料! 愛し合えるわけないでしょ!?」
ドーラは慟哭した。だが叫びの根幹はニーチャへの心配とも違かった。
たった一日で魔物としての認知・認識が歪んでいる。出会った時点では普通のサキュバスだったのに、致命的に歯車がズレている。与し安しと嗤った無垢な瞳が、今は別の生き物に見えた。
「ドーラ、汗いっぱい出てる、びょうき?」
「ひ、いやっ! わたしに近づかないで!」
突き飛ばすようにして距離を取り、そこでまた愕然とした。
丈長の上着の中、そこに淫紋が刻まれているのを目撃した。
「それ、あんた何だか分かってるの……?」
「いんもん、だよね。ルルニアとお兄さんに愛し合うを知りたいってお願いしたら、お腹に刻んでくれたの。かっこいいでしょ」
「それは縄張り争いで負けた同族に屈辱を与えるためのものよ! 殺さない代わりに行動を制限して、苦しむ姿を嗤うためのものなのよ!?」
「んー……? ドーラの話よく分かんない」
いくら叫ぼうともニーチャの信頼は揺るがない。体よく利用して使い捨てるつもりだったドーラの言葉など耳に届くはずもない。
「何よ! 何だって言うのよ!」
ドーラはかな切り声を上げ、茂みをかき分けて逃げた。
退路などどこにも無かったが、ひたすら森を走り続けた。
何故こんなことになったのか、自分は何をしてしまったのか。このまま行けば近い未来に魔物と人間の関係性を脅かす何かが起こってしまう。そんな予感と悪寒が消えなかった。
「ど、どうせ殺されるなら人間共の方がマシよ!」
岩を乗り越えて枝を押しのけ、崖から滝つぼへと跳んだ。
身体は空を切って落下していき、途中でふわりと浮いた。
「────ふふっ、そんなに焦ってどこに行くつもりです?」
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